月別アーカイブ: 2015年8月

訂正しました。   byヤン

「この世の光」の訂正版アップしました。
昔話は、「むかし、あるところに」と語り始めますね。「むかし、あったずも
な」とか、「あったてんがな。あっとこに」とか、ちょっとおまじないみ たい
な言葉で。
これを「発端句」といいます。
むかし……いつの時代のことかし〜らない。
あるところに……何県の何地方のことかし〜らない。
おじいさんがいました……名前はし〜らない。顔も見たことな〜い。
つまり、発端句っていうのは、これからお話するのは、実際にあったことではな
くて、架空の話ですよ、というしるしです。
ウソ話なんですよ、ファンタジーですよ、本当にあったなんて思ってはいけませ
んよって。
そして、お話の最後は、よく、「とっぴんぱらりのぷう」とか「こんでいちごさ
けた」とか、またおまじないみたいな言葉でしめくくられます。
これを「結末句」といいます。
これで、ウソ話はおしまい、というしるし。
発端句と結末句は、その話を伝えた土地や語り手独特の言葉です。
かつては、語り手はどんな話でもたいてい同じ発端句で語りだし、同じ結末句で
語り終えました。
このおまじないみたいな言葉は、意味が分かるものもあれば、読解不能のものも
あります。
昔話は、発端句と結末句ではさまれている。
現実の世界から、きちっと区切られているのです。
わたしは、日本で暮らしている(というか、日本しか知らない―笑)ので、日本
の昔話は日常のものとして非常に身近に感じられるので、外国の話以上 に日常
的な言葉で語ります。
日本の昔話を語るとき、わたしの発端句は、「むかしな、あるとこに」。
結末句は、「はい、おしまい」です。
わたしが、「むかしな、」というと、子どもたちは、その一言で、さっと集中し
ます。だって、これから面白い話が始まるのが分かるから。
そして、わたしといっしょにもごもごと「あるとこに」と口に出します。幼稚園
なんかでは、大声で合唱(笑)
場合によっては、「おじいさんとおばあさんがすんでたんやて。あるひのこ
と」、までいっしょに言います。めちゃ嬉しそうに。
そして、最後は、子どももいっしょに、「おしまい」といいます。「おはなし終
わった」感があります。満足そうな顔をして、「もう一個して!」
発端句は本の扉を開くときの期待感。
結末句は、本を閉じたときの充実感。
語りを聞くことが直接読書につながる、その一つの証拠でもあると思います。
あ、そうそう。で、訂正のこと。
「この世の光」の結末句をまちがえたのですよ。
結末句の最終行「光のおとぎ話」が欠落していたのです。
これはえらいことです。
結末句は大切です。
ホームページじを見てくださっている方からご指摘いただきました。ありがとう
ございました。
  ヤン

聞き手が来るなと思ってるところに来る byぽん

ぽんです。
以前(2/19のブログ)、小澤俊夫先生の「昔話の音楽的性質」の講演を聞い
た後に、「昔話と音楽」という題でブログ記事を書きました。
その後、皆さんからコメントを頂いたんですが、その中でジミーさんが「聞き手
が来るなとおもってるところに来る」と書いておられます。
これは勿論、講演会の中での小澤先生の言葉でもあるのですが、語っていると、
または、聞いていると実感することって度々ありますよね。
先日、大学生の息子のクラブの発表会(ピアノ)を聞きに行きました。
二日間にもわたって、延々とやっておるわけですが、そんなん聞いてられません
ので、息子の出る部だけ聞きに行きました。
9名、その部には出ていました。
その中で、ベートーベンの某ピアノソナタを弾いた男の子(って言ったって大学
生なんだけどね)、何を思ったのか、この「聞き手が来るなと思ってる ところ
に来る」を全部外して弾いてしまいやったんです。私だけがそう感じたのかと
思ったりもしたんだけど、同行した主人に聞いても同じ感想。
つまり、
「聞き手が来るなって思ってるときには来ず」「聞き手が来るなって思ってない
ときに来る」
テクニックはお上手なのに、全部のタイミングを外してる。少なくとも私には外
れてる。
「えっ?」って。「えっ、今?」って。「あかん、あかん。待って」って。
奇をてらおうとしたのでしょうか?超有名な曲なので、自分独自の何かを表現し
たかったのでしょうか?それとも、ただ、ただ私とはタイミングが違う 人だっ
ただけなんでしょうか?真相はわかりません。
でも、たった一つ言えることは、私にとってはよく知っている結構好きな曲だっ
たのに、何一つ受け入れることが出来なかったということ。
転じて、考える。
語り手の間と聞き手の間。違ったままやり通すと、聞き手に伝わらない。
弾きながらは感じられないかもしれないけど、語りながらは感じられる、ハズ。
体中の毛穴を全部開いて、感じようよ。     
                        byぽん

保育所に行ってきました byぽん

ぽんです。
このくそ暑い中、お話会に行っていきました。
〇保育所4才 20名程度 20分〜25分 ろうそくなし
ろうそくのうた
お話 「おだんごぱん」 同名絵本 福音館書店
絵本 「とくべつなよる」 岡島秀治/文 稲田努/絵 福音館書店
絵本 「うみやまがっせん」 
       上沢謙二/原案 長谷川摂子/文 大島英太郎/絵 福音館書店 
わらべ歌 「さよならあんころもち」
ろうそくのうた
ここはこの日が3回目のお話会。最後の「さよならあんころもち」は、前回も
やったので子ども達からリクエストがありました。
ここの保育所、昼食後、間を置かずにお話会をしています。」
この日は、午前中プールに入っていないので、お昼寝なしだそうで、少し時間
オーバーでも大丈夫ですよと、最初に保育士さんからお話がありました。
なので、お言葉に甘えて、ちょっと時間オーバー。
夏休みに入って違う保育所の4才が2回続いたので、同じ絵本で入ってみました。
うーん、やっぱり園によって違うなあ・・・。この前の保育所では絵本2冊とも
たっぷり楽しんでくれた感じがしたんだけど、今回は前の園ほどの手応 えなし。
決して聞いてないわけでもないんだけなあ。セミ取りもしてるっていうし(「と
くべつなよる」はセミの羽化の話しです)、セミの抜け殻もお部屋に置 いて
あって、子ども達は絵本の後で見せてくれたりしたんだけどなあ。何が違うんで
しょうね。やっぱり、子ども達の経験の違いかなあ。8月中にあと もう一カ所
4才さんに行きます。
そこでも、試してみようっと。
暑いです。でも来週後半には一息付けるとか・・・。
夏バテなどには、お気をつけ下さいね。
                       byぽん

主人公の幸せ  byヤン

昔話は、主人公の幸せに向かって、ストーリーが一直線に進む、と昔ばなし大学
で学びました。
主人公の幸せとは何か。
身の安全・富の獲得・結婚。
この三つが単独であったり、複数が組み合わさったりします。
「かしこいモリ―」は身の安全と結婚。
「三枚のお札」は身の安全。
「はなさかじい」は富の獲得。
さてさて。
自分の生命をおびやかすのもと戦ったり逃げたりして、ぜったいの安心を得る。
生き物として究極の欲望でしょうね。あ、本能かもしれない。
「こぶたはずっと幸せに暮らしましたとさ」
若者が戦争に行きたくないと訴える。
…これって利己的?
食べるものもないような貧しい生活から、大金持ちになる。
社会で生きていく中での切実な欲求ですね。
「おじいさんとおばあさんは何の不自由もなく幸せに暮らしましたとさ」
仕事が欲しい。老後の保障が欲しい。
……これって利己的?
人生を共に生きる仲間、愛を手に入れる。
人は一人では生きられない。
「ふたりはいつまでも平和に幸せに暮らしましたとさ」
愛する人を戦場に送りたくない。
……これって利己的?
某・若手国会議員が、若者の反戦デモを見て、「自分中心、極端な利己的考えに
基づく」とし、「利己的個人主義」だと批判しました。
戦後の教育が間違ってるって。
ブログで政治的なことは書きたくないんだけれど、おはなしのおばちゃんとし
て、思わず反応してしまいました〜
思想は自由。でも、言葉は正しく理解して使いましょ。
「個人主義」を辞書で調べました。
・・・社会・国家などの集団より個人の意義と価値を尊重し、その自由と権利を
重視しようとする立場。封建制度の崩壊と資本主義の発達にともなって 普及し
た。(『明鏡国語辞典』大修館)
「個人主義」の反対語として「全体主義」があると書かれていました。
で、「全体主義」とは。
……個人は国家・社会・民族などを構成する部分であるとし、個人の自由や権利よ
り国家全体の利益が優先するとする思想。また、その体制。第二次世 界大戦中
のナチズム・ファシズムなどに代表される。(同)
ほう。個人主義がダメだということは、全体主義に賛成ということだな。いやはや。
子どもは主人公になりきってお話を聞きます。
私は、ただの語り手で媒体にすぎないけれど、心を持った媒体。
子どもの心に共鳴しながら、子どもの幸せに向かって一直線にストーリーを進め
ます。
がんばれ、主人公!
  ヤン

電気を買う  byヤン

夜寝る前の2時間、エアコンをつけます。
寝室を締め切って冷やしておいて寝るのですが、夜中2時ごろ、丑三つ時になる
と暑くて目が覚めます。
ゆうれいの恐怖と戦いながら、そこら中の窓を開けてまわります。
……私はゆうれいの存在を否定することができない。
夜明け前、やっと涼しくなって再び眠りにつきます。
そして、眠ったかと思うと、ニカ〜ッと笑うお日さまに起こされます。
お日さまは、きょうも元気です。
体温越えに向けて、ばんばん熱射を送ってこられます。
原発を再稼働してはならない。
だから、節電、節電、です。
ふとんをジェルで冷やし、クマゴロウを枕に乗せて寝ます。
昼間は、麦茶を欠かさず、畑で採れたうらなりの水っぽいスイカを食べて体を冷
やします。
ほんとうは歩いて10分の老人センターで涼めばいいのですが、歩いて5分の勇
気が出ません。
歩くのは夕方の健康ウォーキングが精いっぱい。
来春から、各家庭でも電力会社が選べるそうです。
太陽光発電を中心にしている会社を選びたい。
水力発電も火力発電も、原子力発電も、子孫に残すリスクが大きすぎる。
なんの後ろめたさもなく冷房を入れたい。
料金が少々高くても、主婦のやりくり、どないでもします。
そやけど、み〜んなが冷房やめたら、世の中涼しくなるんちゃうか?とも思うの
ですよ。
  ヤン