聞き手が来るなと思ってるところに来る byぽん

ぽんです。
以前(2/19のブログ)、小澤俊夫先生の「昔話の音楽的性質」の講演を聞い
た後に、「昔話と音楽」という題でブログ記事を書きました。
その後、皆さんからコメントを頂いたんですが、その中でジミーさんが「聞き手
が来るなとおもってるところに来る」と書いておられます。
これは勿論、講演会の中での小澤先生の言葉でもあるのですが、語っていると、
または、聞いていると実感することって度々ありますよね。
先日、大学生の息子のクラブの発表会(ピアノ)を聞きに行きました。
二日間にもわたって、延々とやっておるわけですが、そんなん聞いてられません
ので、息子の出る部だけ聞きに行きました。
9名、その部には出ていました。
その中で、ベートーベンの某ピアノソナタを弾いた男の子(って言ったって大学
生なんだけどね)、何を思ったのか、この「聞き手が来るなと思ってる ところ
に来る」を全部外して弾いてしまいやったんです。私だけがそう感じたのかと
思ったりもしたんだけど、同行した主人に聞いても同じ感想。
つまり、
「聞き手が来るなって思ってるときには来ず」「聞き手が来るなって思ってない
ときに来る」
テクニックはお上手なのに、全部のタイミングを外してる。少なくとも私には外
れてる。
「えっ?」って。「えっ、今?」って。「あかん、あかん。待って」って。
奇をてらおうとしたのでしょうか?超有名な曲なので、自分独自の何かを表現し
たかったのでしょうか?それとも、ただ、ただ私とはタイミングが違う 人だっ
ただけなんでしょうか?真相はわかりません。
でも、たった一つ言えることは、私にとってはよく知っている結構好きな曲だっ
たのに、何一つ受け入れることが出来なかったということ。
転じて、考える。
語り手の間と聞き手の間。違ったままやり通すと、聞き手に伝わらない。
弾きながらは感じられないかもしれないけど、語りながらは感じられる、ハズ。
体中の毛穴を全部開いて、感じようよ。     
                        byぽん

2 thoughts on “聞き手が来るなと思ってるところに来る byぽん

  1. ぽんさんの場合、ピアノ演奏で”来るな!”と思う時の間を感じられるということですね(^-^)
    自分の場合はと考えると、笑いの間で、それを感じます。
    というか、勉強してます。
    (それは勉強かどうか、とは、今は考えないで下さい)
    TVで特番的に、「すべらない話」と「北野演芸館」をやってますが私はこれでお勉強します。
    来る間をはずさない、来るなと思う所を作り上げる、うまい芸人さんしか出ません。
    (ぽんさん、一気に格調低くなってすいません)
    なんでもないようなエピソードや台本も、とても面白く、確実に笑えます。
    面白いと同時に、”来るな”をはずさないお勉強になると思います(・∀・)
    真剣です。

  2. 「来るな」のお勉強ね。
    私は落語やなあ。
    枝雀は小米(こよね)やったころからラジオで聞いて、ナマでも聞いてたなあ。まだ中学生やった。
    米朝や五代目文枝も好きで、10代のころ集めたレコードやテープ(古~っ)も持ってる。貸してあげようか~?
    松竹新喜劇の藤山寛美の間(ま)は絶品。DVDとかで、今も観られるのかなあ。これも子どものころからひたってた。笑って泣いて。さあ笑え、さあ泣けって感じ。
    あ、さだまさしのトーク。
    義太夫節。
    来るなというところに来ないとプロではない。ハンカチもって待ちかねて泣いてたなあ(笑)
    うら若き乙女のころ。
    間に乗る楽しさは、合唱。指揮者の求める間に確実に乗る。乗れないと指揮者は怒る(笑)
    これは、ぽんちゃんと同じ「音楽」やね。
    思うのですが、「間」はテクニック。だから、結構冷静に考えて間をとる。
    ところが、結果、聞き手の間とピタッと合ったとき、得も言えぬ聞き手の盛り上がりに、語り手の心は震える。
    間をとることで、話の世界が重層的に深まり広がる。
    快感!
    語るのって面白いねえ。
    間が取れないのを間抜けという。
      ヤン

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