日別アーカイブ: 2017年9月14日

9月 おはなし初級講座

日中はまだまだ暑い日が続きますが、朝晩は涼しくなってきましたね。
一雨降るごとに、台風が過ぎるごとに秋が深まるように感じます。
さて、先日9月のおはなし初級講座がありました。

語りは3話。
「メケー・ドマ」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』(村上郁 再話、語りの森)
「半分のにわとり」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』(村上郁 再話、語りの森)
「心臓がからだの中にない巨人」『おはなしのろうそく22』(東京子ども図書館)

「メケー・ドマ」
 「メケー・ドマ」はブータンの昔話です。畑仕事ができなくなり山小屋にこもって暮らしている両親のもとへ、メケー・ドマという名の女の子が毎月食べ物などを運びます。ある日、ドマが重い荷物を担いで山道を登っていると、イノシシとサルとヒョウに出会います。イノシシとサルとヒョウはドマを食べようとしますが、機転を利かせ、荷物を無事母親に届けます。
ドマの親への愛情、機転を利かせる賢さ、援助者に助けられて怖いものから逃げる方法を学ぶこと。子どもたちはドマになって、共感したり、ドキドキしたり、ハッとしたりするのでしょう。高学年は客観的にドマがどうやって危機を乗り越えるのかな、といった聴き方をするのでしょうか。
後半はリズミカルに、とのアドバイスがありました。

「半分のにわとり」
 おはなしは最初の設定をしっかり頭に入れさせるのが大事です。
 このお話はフランスの昔話です。二人の女の人が、よく似たにわとりをそれぞれ一羽ずつ飼っていて、ある日一羽がいなくなります。
二人の女の人は残ったにわとりを自分のにわとりだと言い張って喧嘩します。どちらもにわとりを飼いたかったので半分に分けて飼うことにしたというこの最初の設定を理解するには、ちょっと読解力がいりますね。喧嘩して大岡裁きのように引っ張り合いの末、引き裂いて半分にしたわけではなく(越前さまのおかげで元ネタの子どもは引き裂かれは免れています)、半分こにすることで和解したというようなニュアンスです。
少しの間違いで意味が変わってきますので、意味を考えながらテキストを正確に覚えましょうというアドバイスがありました。
 半分になったにわとりのお尻を鳥たちやオオカミや池が出入りするナンセンスを楽しむお話だと感じました。

「心臓がからだの中にない巨人」
 このお話はノルウェーの昔話です。ぼんやり屋の末王子エスペンが、援助者たちの助言に従って6人のお兄さんたちと、お兄さんたちのお嫁さんと巨人のお城にいたお姫様を助けて幸せになるお話です。ぼんやりで役立たずの末王子をみんな、あからさまに疎むわけでもなく、エスペンにも花嫁を探してきてやるよ~と出ていくお兄さんたちに優しいなぁと思いました。結局はエスペンのことは忘れられて6人のお姫様を連れて帰る途中に石にされてしまうのですが。
 主人公のエスペンの人間性、巨人のキャラクターをよくよくイメージして、ラスト、石にされた兄さんたちを元に戻させた後、今度こそ巨人の心臓を握りつぶすエスペンが悪者に聞こえないように語りたいですね。

 最後にヤンさんが「アリョーヌシカとイワーヌシカ」を語ってくださいました。
 姉弟ふたりになって、アリョーヌシカ自身も不安に駆られながら、イワーヌシカに対してしっかりとお姉さんの顔をしているアリョーヌシカがいじらしい。アリョーヌシカが魔女の罠にはまって水底に沈められ、ヤギになったイワーヌシカが姉を思って側を離れない姿が切なくも姉弟愛を感じました。イワーヌシカの不安そうな切羽詰まった声と、アリョーヌシカが水底から答える声に、ゆらりと着物を水の流れに揺らめかせながらうつろに水面を見上げて弟を見つめるアリョーヌシカとヤギの姿で水底に目をこらしながら涙をこぼすイワーヌシカのイメージが浮かびました。想像させる間がどこにとられていたか、予想させる間がどこにとられていたか、みなさん分かりましたか?
 私はすっかり物語の世界に入り込んでしまって、そんな余裕はなかったような気がしますが…聴いている最中は確かにイメージしながら色々想像したり予想していたりさせられていたような気がします。
 ヤンさんありがとうございました。