日別アーカイブ: 2018年1月18日

震災の日に

日本の、地球の、あちこちで災害が起こり、その報道を目にするたびに、他人ごとではないと肝に銘じるのですが。
1月17日は、やはり特別の日です。
うちでは大きな被害はなかったのに、子どもの上にかぶさり早く揺れが止まって!と祈った思いはわすれられません。

毎年、1月17日、18日の新聞を読むたびに心えぐられる言葉が載ります。
それは、「なぜ自分が生き残ったのか」という罪悪感からの言葉です。
いとしい人を亡くしたのに、その上にさらに自分を責める言葉です。
それを読むたびに私は泣きます。

私はその人に寄り添って、そっと告げたいです。
「あなたが生き残ったのは、あなたが主人公だからだ」と。

昔話の主人公は、特別いい人間だったり英雄的なことをする人物ではありません。
むしろ、人として一番弱い存在に設定されています。
それは、私であり、あなたなのです。
けれども昔話の主人公は、リュティの言葉を借りれば「恩寵を受けている」のです。そして、恩寵を受ける理由は何もありません。ただ主人公だという理由だけです。

主人公は、目の前の状況に精一杯対処しながら歩いていきます。苦難もあれば失敗もすれば喜びもある。
一本のストーリーの上をまっすぐに前へ前へと歩いています。主人公は振り返りません。

昔話なんて、ただのおとぎばなし、うそ話じゃないかと、おっしゃいますか?
もしそうなら、どうして私たちは長い長い時を超え、空間を越えて、物語を伝えてきたのでしょう。
災害や戦いや病で愛する人をなくすこの現実を生き抜くための知恵だったのではありませんか。

振り返らず、自分を責めず、自分を信じて歩いていきませんか。
きっと援助者は側にいます。
そして必ず、幸せになります。幸せになっていいのです。主人公なのですから。

口幅ったいことを書いてしまいました。