きのうの続き~
リリアン・H・スミスの『児童文学論』でいえば第3章「批評の態度」ね。これについての瀬田先生の解説です。
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児童書がどんどん出版されるおかげで、文学的でない作品も増産されて、いいものが見落とされているって瀬田先生はいいます。1959年段階でこれだから、現代は以て知るべしですね。
だから、きちんと批評できないといけないっていうことなのね。
子どもと本をつなぐ立場にいる大人は。
難しいけどね。
で、瀬田先生が言うには、日本は特に間違った批評してきたんだって。
どんなふうに間違ったかと言うとね、社会的なことをテーマにしているかどうかに基準を置いてしまっているって。
社会的な見かたを不当にたくさん負わせた本を大人が歓迎するのは大きな間違いだって。大人の真剣な社会問題への興味を打ち出した本が賞賛されている。それは間違いだといいます。
大人の正義を子どもに持ち込んではいけない。
ちょっとほっとしました。
そういう本は、わたし、苦手だから。
なぜ違和感があったのか、わかった気がします。
子どもには子どもにとっての自然なテーマがあるはずですよね。
それを追いかけてほしいと思います。
瀬田先生の言葉を借りれば、「子どもの本質をつかもうとする努力をまず第一に」置くべきなんでしょう。
感動的な引用
スミス女史の態度は、終始文学的な質にむけられているが、それが読者としての子どもに密着した点を、ぼくたちは大いに学ぶべきではなかろうか
子どもの本質をつかむ・・・むしろこのほうが、ずっと難しい。社会問題は大人の問題だから大人にはわかりやすいんですよね。で上から教えることもできるし。
不断の努力やね。
古典に学ぼう!