グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」🍞🍕🍪

私のレパートリーで、一番新しいのが「ヘンゼルとグレーテル」
3月の学童保育のおはなし会が、コロナ自粛に突入する直前のおはなし会なんだけど、そのときのプログラムが「ヘンゼルとグレーテル」。

「ヘンゼルとグレーテル」は、前から語りたかった。
というのは、もう10年位前になるかなあ、おはなし好きの男の子が、授業のお話会でね、
わたし「最初のお話は、」
男子「ヘンゼルとグレーテル!!!」
っていったの。
その子、学童のおはなし会でも、「ヘンゼルとグレーテル!!!」
よっぽど聞きたかったんやろうね。
「じゃあ、今度やろうね」って言って、テキスト捜したんだけど、長い。単語が難しい。絵本ではやりたくない。
結局、約束を破ってしまった(;´д`)
それで、ずっと心から離れなかったのです。

何度もテキストを見ててね、冒頭の「飢饉」で引っかかってしまった。
子どもには説明しないとわからないし、かといって、ストーリーにとって、説明しないといけないほどの重要な意味はないように思えるのね。

去年、何気なく2版を見たら、「飢饉」がない!
「食べるものがないほど貧しい」きこり、というだけ!!!
え~~~!
ほんなら、「飢饉」って、グリムさんが後で付け足したんや!

で、テキストに手を入れることにした。

KHM15「ヘンゼルとグレーテル」
あらすじは皆さんご存じですね。
不安な人はお家にある完訳本を読んでみて。こぐま社にもあります。絵本はだめよ。

エーレンベルク稿では、11番で、題名が「兄と妹」でした。
初版以降、15番「ヘンゼルとグレーテル」

グリムさん、題名を「ヘンゼルとグレーテル」にしてよかったね。世界中の子どもたちが知ってるもん。題名をつけるのって大事だね。

1、母親。
エーレンベルク稿・初版・2版:実母
7版:継母
3版~7版の間に、継母に変えた。(資料がないので、いつ変えたのかは未確認)
ほら、また継母問題。
グリムさんは、実母が子どもを捨てるなんて道徳的、倫理的に問題があると考えたのかもしれない。
でも、現代の私たちにとって、むしろ継母にするほうが問題がある。偏見を植え付けるって意味でね。
それと、実母でも子どもを捨てる。社会的、心理的、両方の面で現実として受け止めなくてはいけないと思う。

2、歌
「ポリポリ、ポリポリ、ポーリポリ わたしのおうちをかじっているのはだれだい」
この魔女の歌というか会話文は、エーレンベルク稿からすでにあります。
「風だよ、風だよ。天の子だよ」
子どもたちの答え。これは、2版から入っています。
『グリム童話を読む事典』によると、1813年1月15日にドルトヒェン・ヴィルトが伝えた歌だって。詳細な経緯がわかってるんですねヽ(✿゚▽゚)ノ

3、帰宅方法
なにせ、3日間も迷子になってお菓子の家についたんですからね。どうやって帰ったのか。
エーレンベルク稿・初版:家に帰る道を見つけてちゃっちゃと帰った。まあ、昔話だから、それでもいいんだけど(笑)
2版以降:白いアヒルの背中に乗せてもらって川をわたった。川っていったら、異界との境界でしょ。白いアヒル、意味ありげですよね。

この3点に注目して、テキストに手を入れました。
16分で語れます。
秘密基地に入れてあるから、ババの人でほしい人はどうぞ。

この話は、グレーテルの成長の話だって、小澤先生がおっしゃっていました。
親の話を盗み聞いては泣き、森に捨てられては泣き、魔女に捕まえられては泣きしていたグレーテル。泣き虫のグレーテルが、魔女をかまどに押し込んで焼き殺してしまうって。

そうですね~
最後の川をわたる場面では、ヘンゼルに指示を出すほど。完全にリーダーシップをとっています。魔女を独力でやっつけたことが自信になったんでしょうね。
ヘンゼルが小屋に閉じ込められて何もできなくなった時から、グレーテルは、自分で考え始めたんじゃないかしら。
人生ではあり得ることですね。
子どもが成長する途中で、危機はあるけど、危機をチャンスにすればいいんだ。

うん。いい話だ(❁´◡`❁)

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「ヘンゼルとグレーテル」

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今日のレパートリーの解凍
「にんじんとごぼうとだいこん」『日本・中国・韓国の昔ばなし集』(日中韓こども童話交流事業実行委員会)

 

 

6 thoughts on “グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」🍞🍕🍪

  1. そうですよね、成長の物語ですよね。
    わたしも「ヘンゼルとグレーテル」は好きなんです。
    でも、先日某NHKで、この話は、本当に飢饉で生活ができなくなった時代に、捨てられた子どもが森に住む人の宝物をとって、家に戻ってきた話で、当時としてもおどろきだったから語り継がれた、というようなことを説明してたんです。
    大学の先生が出演してたんですが、番組の最後に、「昔話は、本当にあったことを後世に伝えるために生まれた…」で、しめくくっておられて、驚きました!
    昔話と伝説の違いを勉強したときのことを思い出しました。
    テレビが大好きなわたしですが、こんな乱暴なことを言うのはいかがなものかと思っていたので、やっぱり子どもたちに語るという視点から見たこのブログを読んでホッとしました(•ө•)♡

  2. 誰ですか、そんなあほなこと言う先生は?
    書いたように、「飢饉」は、語りを手書きメモしたエーレンベルク稿にないんですよ!初版にも、2版にも!
    この物語には、「飢饉」はなかったの。後から付け加えたの。
    NHK、うそ言うたらあかん!

    森や山に子どもが捨てられる話って、山ほどありますよね。「かしこいモリー」しかり、「捨て子と鬼」しかり。
    貧しくてすてられる。これ、昔話の極端性。極端に貧しいの。
    すてられたから行動する。これ、昔話の平面性。
    ストーリーを進めるために、「貧しい」が必要なの。「おいしいおかゆ」しかり。日本の昔話には貧しいお爺さんが宝物もらう話、いくらでもありますよね。あれ、みんな現実やったというのかね?みんな森にすむ人の宝物を盗んできたんかい!森にすむ人ってだれやねん?
    もちろん、実際に貧しい時代はあり、貧しい人間はいたけれど、それは、人類始まって以来ずうっとあったわけ。わざわざそれを後世に伝える必要がある?

    民俗や当時の社会風習を、昔話の中から見つけ出すことはできないっていうのは、昔話研究の常識。柳田国男だって、それをやろうと思って失敗したんだから。
    これ、昔話の純化作用。社会的モティーフも、中身を抜いて語ってるから、実態はわからないの(╬▔皿▔)╯

  3. ヤンさん、ありがとうございます。
    テレビ番組で、〝昔話〟という言葉が入っているとつい見てしまいますが、ほぼはずれです。
    昔話やメルヘンの研究をしている人はいろいろおられるようですが、わざわざめずらしい人を呼ばなくてもいいのにと思いました。
    昔話を子どもの成長の仕方とか、メッセージを読み解くとかいう視点で勉強になることを伝達してくれるのかなと期待しているんですが、テレビは大人が見てくれるために奇抜な視点でしか作らないのかな…。

  4. ヘンゼルとグレーテルを覚えているところです。
    最初の母親と父親の会話と、中盤の魔女とグレーテルの会話が、対応しているのかなと思ったり・・・母親と魔女は同質的な人物?
    白い石、白い小鳥、白いかもなどが、白い物たちが子供たちを助けてくれているなと思ったり・・・
    森の入り口、真ん中、一番奥と、異界までの奥行きを感じたり・・・
    ヘンゼルがポケットに詰め込めるだけ詰め込む物が、石から宝石に!
    グレーテルの成長物語なら、ヘンゼルは何者だろう・・・などなど。
    読み込むうちに沢山の発見があり、思考が巡り、楽しく覚えています。
    ヤンさん、いつも勉強になります。ありがとうございますー!

    先日は、お隣のお子さんに「ひなどりとねこ」を聞いてもらいました。
    そういうお話の場で語らないと完成しないですね。表情が見えないと面白くないなと思ったので、マスク無しを了承してもらい、お庭で小さなお話会。
    こちらもほっこりしました。お話し会は、子供にも大人にも大事な時間・空間だなと、改めて思いました。一瞬が永遠になる、そんな時間を作る・遊ぶ、お話しを語ることを止めずに、自分で出来ることを静かに続けていきますー!

  5. ジミーさん
    そうですね。
    昔話は、興味のある人が結構いるから、TVは責任をもって報道してほしいです。
    改ざんした話を無批判に放映しますしね。

  6. ウーカーさん
    いらっしゃいませ~
    お越しくださってありがとうございます♪(^∇^*)

    お隣のお子さんとお庭でお話会ですか!
    行動に移されるなんて、素晴らしいです。

    ヘンゼルとグレーテル、いつか聞かせてくださいませ^0^

    今回、日常を離れたことで、初めて気が付いたこととかありますよね。
    だから、この時期はチャンスだと考えたい。発想の転換ね。

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