月別アーカイブ: 2020年5月

グリム童話「がちょう番の娘」👸

グリム童話の中でも、とっても大人な話って勝手に思っています(✿◡‿◡)

KHM89「がちょう番の娘」

この話は、ドロテア・フィーマンが語った話。
グリムさんは、初版の第1巻を出した後、フィーマンおばさんに出会います。そして、素晴らしい語り手だと喜んで、初版第2巻から採用しました。「三本の金髪を持った悪魔」「六人男世界をのし歩く」「三枚の鳥の羽」などです。
グリムは、7版まで文章を改訂しましたね。でも、このフィーマンおばさんの話だけは、ずっとそのままだったんだって。それほど彼女の語りをかってたんですね。

ヤンにとっては、この話、けっこう難しい。好きな話なのに、ちゃんと子どもに届かない感じ。
それで、この機会に改めて考えてみます。

呪文に焦点を当てます。

1回目:血のしずく
娘が腰元の言いなりになったとき。
母親からお守りとしてもらった、白い布についている母親の血が、言うのね。
娘は自己主張ができなかった。それが、全ての不幸のもとになったんやね。
自己主張できなかったのは、体は母親から離れていても、心はまだ自立できてなかったから。

2回目:ファラダの首
娘ががちょう番に身を落とされたとき。
母親からもらった馬が、腰元によって殺される。その首を門にかけてもらって、語りかけると、首が応える。
不幸の真っただ中。
ファラダの首を門にかけさせるという行動に出る。ちょっと成長している。

3回目:娘自身
キュルトヒェンが娘の金髪を抜こうとしたとき。
風を吹かせてキュルトヒェンの行動を制する。
これって、自分の意志で、自分の力を使ってるよね。で、それを王さまが発見することで、娘は救われる。

そう考えると、娘が母親から自立していく過程が、呪文にあらわされているといえる。
でね、よ~く考えると、この娘、血と会話ができる。馬の首とも会話ができる。風を自由に操ることができる。
これは、昔話の一次元性の表れでもあるけれど、血と馬の首を生命の象徴、風を自然と考えると、そういうものと交流できる力が娘にはあった。

主人公=聞き手。

子どもはそういう本質的なものを持っていて、それに支えられながら、自分自身の力で、人生の様々な試練にぶつかっていかなくてはならない。そうやって、成長する。

お~、テーマがはっきりしてきたね(*^▽^*)

ここで、リュティ先生の登場。
口をきく血のしずくとか口をきく馬の首とかは、昔話の中では魔法でも何でもない、物語の要素にすぎない(ほら、一次元性ね)。けれども、意味を支える役割を果たしている。血のしずくと馬を失うことで、娘は自分の力の一部を失ってしまう。窮乏と成熟の時が始まる。

引用しますね。
この窮乏を描いたところが、一番印象の深い部分である。それだけに大詰めの転換がいっそう人の心を軽くし、喜ばせる。(娘が王女の服装に戻ることで)外見が破れ、人間が本質的なものへの道を見出す。これが、昔話が聞き手に描いて見せる発展の筋道である。その底には、現実の世界においてもそういうことが起こってほしい、という希望が潜んでいる。昔話は導きの星である。

すごいね、「昔話は導きの星」だって。

最後の腰元に厳罰が下されるところ。
昔話の孤立性のところで「自己への判決」として勉強しましたね。

心理学的には、こう説明されています。
(腰元は、)邪悪だからこそ残酷な刑罰を思いつくのである。外から科されたものではない。そこに込められたメッセージは、悪い意図は悪者自身を破滅させる、ということである。
ー『昔話の魔力』ブルーノ・ベッテルハイム著/評論社

ベッテルハイムは、こんなふうにも言います。
悪者は、自分ではない他のだれかになろうということしか思いつかない。一方、がちょう番の娘は、真に自分自身であることは、他人であるふりをするよりずっと難しい、だがそれだけが、自律性を身につけ、自分の運命を変える道なのだということを、学んだのだ

今日は、ちょっと重かったね~(●’◡’●)

おわびに、がちょう番の娘の銅像を紹介しようヽ(✿゚▽゚)ノ
15年前に撮った写真。

ゲッティンゲンの市庁舎の前の広場に、泉があって、そこにがちょう番の娘が立ってるの。
ゲッティンゲン大学の学生さんが学位をとったときにキスする習わしが今でもあるんだって。

これは、ゲッティンゲンの小学校の近くにあるプレート。
かつてナチスが本を焼いたことを示す焚書の碑です。
ハイネの「本を殺すことは人を殺すこと」と書いてある。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「がちょう番の娘」

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今日のレパートリーの解凍
「アナンシと五」『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社

 

 

グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」🍞🍕🍪

私のレパートリーで、一番新しいのが「ヘンゼルとグレーテル」
3月の学童保育のおはなし会が、コロナ自粛に突入する直前のおはなし会なんだけど、そのときのプログラムが「ヘンゼルとグレーテル」。

「ヘンゼルとグレーテル」は、前から語りたかった。
というのは、もう10年位前になるかなあ、おはなし好きの男の子が、授業のお話会でね、
わたし「最初のお話は、」
男子「ヘンゼルとグレーテル!!!」
っていったの。
その子、学童のおはなし会でも、「ヘンゼルとグレーテル!!!」
よっぽど聞きたかったんやろうね。
「じゃあ、今度やろうね」って言って、テキスト捜したんだけど、長い。単語が難しい。絵本ではやりたくない。
結局、約束を破ってしまった(;´д`)
それで、ずっと心から離れなかったのです。

何度もテキストを見ててね、冒頭の「飢饉」で引っかかってしまった。
子どもには説明しないとわからないし、かといって、ストーリーにとって、説明しないといけないほどの重要な意味はないように思えるのね。

去年、何気なく2版を見たら、「飢饉」がない!
「食べるものがないほど貧しい」きこり、というだけ!!!
え~~~!
ほんなら、「飢饉」って、グリムさんが後で付け足したんや!

で、テキストに手を入れることにした。

KHM15「ヘンゼルとグレーテル」
あらすじは皆さんご存じですね。
不安な人はお家にある完訳本を読んでみて。こぐま社にもあります。絵本はだめよ。

エーレンベルク稿では、11番で、題名が「兄と妹」でした。
初版以降、15番「ヘンゼルとグレーテル」

グリムさん、題名を「ヘンゼルとグレーテル」にしてよかったね。世界中の子どもたちが知ってるもん。題名をつけるのって大事だね。

1、母親。
エーレンベルク稿・初版・2版:実母
7版:継母
3版~7版の間に、継母に変えた。(資料がないので、いつ変えたのかは未確認)
ほら、また継母問題。
グリムさんは、実母が子どもを捨てるなんて道徳的、倫理的に問題があると考えたのかもしれない。
でも、現代の私たちにとって、むしろ継母にするほうが問題がある。偏見を植え付けるって意味でね。
それと、実母でも子どもを捨てる。社会的、心理的、両方の面で現実として受け止めなくてはいけないと思う。

2、歌
「ポリポリ、ポリポリ、ポーリポリ わたしのおうちをかじっているのはだれだい」
この魔女の歌というか会話文は、エーレンベルク稿からすでにあります。
「風だよ、風だよ。天の子だよ」
子どもたちの答え。これは、2版から入っています。
『グリム童話を読む事典』によると、1813年1月15日にドルトヒェン・ヴィルトが伝えた歌だって。詳細な経緯がわかってるんですねヽ(✿゚▽゚)ノ

3、帰宅方法
なにせ、3日間も迷子になってお菓子の家についたんですからね。どうやって帰ったのか。
エーレンベルク稿・初版:家に帰る道を見つけてちゃっちゃと帰った。まあ、昔話だから、それでもいいんだけど(笑)
2版以降:白いアヒルの背中に乗せてもらって川をわたった。川っていったら、異界との境界でしょ。白いアヒル、意味ありげですよね。

この3点に注目して、テキストに手を入れました。
16分で語れます。
秘密基地に入れてあるから、ババの人でほしい人はどうぞ。

この話は、グレーテルの成長の話だって、小澤先生がおっしゃっていました。
親の話を盗み聞いては泣き、森に捨てられては泣き、魔女に捕まえられては泣きしていたグレーテル。泣き虫のグレーテルが、魔女をかまどに押し込んで焼き殺してしまうって。

そうですね~
最後の川をわたる場面では、ヘンゼルに指示を出すほど。完全にリーダーシップをとっています。魔女を独力でやっつけたことが自信になったんでしょうね。
ヘンゼルが小屋に閉じ込められて何もできなくなった時から、グレーテルは、自分で考え始めたんじゃないかしら。
人生ではあり得ることですね。
子どもが成長する途中で、危機はあるけど、危機をチャンスにすればいいんだ。

うん。いい話だ(❁´◡`❁)

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「ヘンゼルとグレーテル」

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今日のレパートリーの解凍
「にんじんとごぼうとだいこん」『日本・中国・韓国の昔ばなし集』(日中韓こども童話交流事業実行委員会)

 

 

昔話の語法勉強会🖊

お元気ですか~(*^-^*)
今日は黄砂がひどいそうだけど、心なしか比叡山が煙ってます。

今日は残念なお知らせです。
6月に予定していた第12回昔話の語法勉強会を延期します。

もし図書館が6月に再開されても、三密の企画は避けないといけないと思っています。
おはなし会とか、勉強会は、慎重に出口を見極めようと思う。

現在のところ、京都・大阪は非常事態宣言が解除されていないし、やがて宣言解除になっても、自粛が解除されるわけではない。
ババ・ヤガーとしては、図書館の開館後、自粛が解除されてからも、しばらくは様子を見るつもりです。
さびしいけど、がまんしようね。

オンライン勉強会やりませんかってご意見もいただいていますが、ババの全員がネット環境が整うわけではないので、やめときます。

仕事と教育は、オンライン、必要だと思います。
無理にでも環境を整えて、例えば子どもの教育を受ける権利を守らないといけないって思います。それでも欠点はあると思うけどね。
それから、お友達や趣味のサークルもまた、新しい方法としていいかもしれないと思います。あと、オンライン里帰りとか。
ヤンはほぼ毎日孫とオンラインお話会です。保育園に行けてないからね
でも、ババはどれとも性質が違うのね。

みんなの中には、オンラインでやるだけの体力気力が残ってない毎日を過ごしている人もいると思う。

お話は、不要不急だと思わない。
人生にとって必要だし、今この時にこそぴったりの話があると思うのね。
だから、みなさん、身近な人にお話を語ってください。
幼稚園や学校、図書館のお話会だけがお話の場じゃない。
本来、お話、昔話は個人的なもの。各家庭にあったんだからね。

大きな声で練習したら、いやでも在宅の家族に聞こえるでしょ(笑)

練習が無理な人でも、ホームページのスマホ向けリニューアルも完了したし、勉強もやりやすくなったでしょ?
ボ~っと眺めてるだけでも何か自分のものになると思う。
井戸端会議も、できるだけ毎日がんばっていこうと思っています。
リクエストがあれば、言ってくださると、ありがたいです。
ネタが切れるので(笑)

でね、各自が頑張って、しんぼうして、勉強会が再開したら、めっちゃうれしいと思わない?
ハグしようね~
ハグができるまで、しんぼうしようね~

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今日のレパートリーの解凍
「ミアッカどん」『イギリスとアイルランドの昔話』石井桃子編訳

おはなしひろばのお話でテキストが欲しい人、言ってくださいね~

グリム童話「七羽のカラス」💍

「七羽のカラス」はもうずいぶん昔から語っている話。
あら、1988年の記録があるから、32年前だ(T_T)
思い出した。
お話を始めて2年目。
文庫でお話会を始めたばかりで、子どもたちがなかなか聞いてくれなかった頃。
つぶし屋3年生のガキどもをとらえて放さなかった話。この時初めてお話の持つ力を実感したんだっけ。
そののちも、しょっちゅう語ってるから、エピソードはたっぷりあるよ。
図書館でなぜか女子ばっかり七人相手にやったときは面白かったなあ。
キリスト教系の学校で語るときの、冒頭の緊張感は素晴らしい。

それはさておき。

グリム兄弟は初版を出版してから7回改訂したって、前に書きましたね。
初版の前の手書きのメモも日本語に翻訳されている。
エーレンベルク稿とか手稿とか呼ばれます。

KHM25「七羽のカラス」
エーレンベルク稿では40番「三羽のカラス」となっています。え?三羽?
初版。25番「三羽のカラス」
2版。25番「七羽のカラス」
あと7版までずっと、25番「七羽のカラス」

グリムさん、初版を出した後で変えたんだヾ(•ω•`)o
比較します。

1、カラスの数が3から7に増えてる。

2、なぜカラスになったのか?
エーレンベルク稿・初版:息子たちは、教会で礼拝のときにトランプ遊びをしていた。母親が呪った。
2版以降:妹が生まれ、息子たちはその洗礼に使う水を汲みに行ったが、我先に汲もうとしたので、つぼを泉に落としてしまった。父親が呪った。

3、指輪
エーレンベルク稿・初版:妹が旅をしていると、カラスが一羽とんできて妹に指輪を投げ落とす。それはかつて末の息子に妹がプレゼントしたものだった。ちなみに、妹が旅立つときに持って行ったものは、椅子だけ。
2版以降:妹は旅立つとき、両親の指輪を持って行く。ほかに、パンと、水を入れたつぼと、椅子を持って行く。

違いはこの3つです。
あとはほぼ同じ。

『グリム童話を読む事典』(高木昌史編著/三弥井書店)によると、ヤーコプが1815年に入手したと思われる「ウィーンの物語」のものと、冒頭部分を差し替えたそうです。

もとは、息子たちに、完全に非があったんですね。
のちには、親の誤解で呪われた。息子は被害者。呪いが解けたきっかけが親の指輪だったのもうなずけますね。親の謝罪の意味があるんだ。
なぜ妹がつらい旅をしなくてはならなかったのか、2版以降では、自分の誕生がきっかけだったからですね。献身の意味が納得できます。

ウターさんは、「KHM25は、死と再生の物語である。ここで死は動物の変身によって象徴されている。この昔話においては、呪いと救済が中心テーマである。」と述べています。

ATU451「兄たちを捜す乙女」
女の子が、動物(鳥)に変身させられた12人(7人、3人、6人)の兄を救う」話。おもに3つの型があって、混じり合っているそうです。
グリム童話では、9「十二人兄弟」、49「六羽の白鳥」が類話です。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「七羽のカラス」

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今日のレパートリーの解凍
「七羽のカラス」『昔話絵本を考える』松岡享子著/日本エディタースクール出版部

 

 

 

グリム童話「みつけどり」🍀

なんだか夏みたいに暑いですね(⊙_⊙;)

今日のおはなしひろばは「めうしのブーコラ」。
《外国の昔話》に載せてますが、この話、ほかのテキストでもありますね。

お、今、確認したんだけど、《外国の昔話》に行って「雌牛のブーコラ」をプチっとしたら、ブーコラのテキストが見られて、1年生に語ってる音声が聞けた。
って、どうってことないか(笑)
そこの解説に、《昔話雑学》で呪的逃走を調べろって書いてあって、《昔話雑学》に行ったんだけど、トピックスに「呪的逃走」がない!
で、検索ってとこに「呪的逃走」を入れてプチっとしたら、二つヒットした!
「逃竄譚」と「昔話の起源」
へえ~ヾ(≧▽≦*)o
おもしろいよ、やってごらん。

前置きはこのぐらいにしてO(∩_∩)O
「雌牛のブーコラ」は、「三枚のお札」と同じく呪的逃走の話なのです。
主人公が恐い物から逃げるんだけど、逃げるときに、背後に呪的なものを投げる。お札とか、くしとか。そしたらそれが、山とか森とかの障害物になって、追っ手を阻む。それが呪的逃走の一つのパターン。

もう一つのパターンは、主人公が何かに変身して、追っ手の目をくらます。「みつけどり」は、この目くらましのパターンね。

レーンヒェン(女の子)は、みつけどり(男の子)を連れて、ザンネばあさんから逃げるの。
召使に追いつかれそうになったとき、変身する。
1回目:レ・バラの花、み・バラの木
2回目:レ・シャンデリア、み・教会
3回目:レ・かも、み・池

じつは、わたし、子どものときから時々この類の夢を見る。
追いかけられてる夢で、もう絶対逃げられなくなったときに、立ち止まって、木とか別の人に変身して立ってるの。
これ、こわいよ。
ああ見つけんとって~
ばれませんように~
そんな夢。
みなさん、そんな夢、見ません?

それで、「みつけどり」が好きなのです。

昨日、TVニュースで、小学生が「おにごっこがしたい」って言ってました。
涙が出そうでした。おにごっこ、好きだものね。
みんなで遊ぶ、一番単純な遊び。道具はいらない、ルールだけがあればいい。

色んなルールがありますね。
すわり鬼:捕まりそうになったらすわる。
いろ鬼:捕まりそうになったら指定された色のものに触る。
たか鬼:高いところに上る。
かげふみも鬼ごっこの一種かな。

みなさんは、どんな鬼ごっこを知っていますか?

でね、呪的逃走の話は、鬼ごっこにとってもよく似ていると思うのです。
だから世界中にあるし、子どもたちも好きなんじゃないかなあ。


『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「みつけどり」

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今日のレパートリーの解凍
「大工と鬼六」『日本の昔話』小澤俊夫再話/福音館書店