月別アーカイブ: 2020年5月

グリム童話「千枚皮」👸

あんまり語ることはないんだけど、好きな話でね。
自分のために覚えた話。

KHM65番
一度読んでみて。

イギリスの「イグサの頭巾」のほうが有名かもしれない。

ATU510B「ロバ皮」
ATU510Aっていったら、シンデレラ話ですね。「灰かぶり」とか。
この二つはとっても近い関係にあるんですね。

女性の成長の話。
自分に言い寄る父親から逃げ出し、台所女に身を落とす、お姫様。
舞踏会で絶世の美女の姿に戻り、台所でまたみすぼらしい姿になる。その3回の繰り返しは、「灰かぶり」と同じ。

それでね、お城の台所って、どんなか知ってますか?
自分なりのイメージはあったんだけどね、こんなサイト見つけた。
ドイツのハノーファーのマリエンブルク城。チャペルや台所もあるから、ぜひ見てください。
じっと見てたら360度回転するからね。で、オレンジ色の丸いマークを見つけてぽちっとしたら、お城の中に入れるから。

こちら⇒

ハノーファーっていったら、グリム兄弟がここのゲッティンゲン大学の教授でしたね~


『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「千枚皮」

 

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今朝のレパートリーの解凍
「ひなどりとねこ」『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社

 

休校が明けて、また子どもたちの前に立った時、前より賢くなっていなくっちゃ。
がんばろ~ね。

あ、書籍案内から好きな話をコメントしてね~

よろしく~~~

グリム童話「おいしいおかゆ」🥣

ゴールデンウイーク最終日ですねえ。
今年は、どっこも行けないし、家にいるといっても、子どもたちはもう2か月も家にいるわけだし、奇妙な連休。
みなさまどうお過ごしですか?

今朝のレパートリーの解凍。
「おいしいおかゆ」『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館

KHM103「おいしいおかゆ」
(KHMっていうのは、グリム童話の何番目の話かっていうこと。キンダー―ウント―ハウス―メルヒェンの頭文字ね。キンダー―ウント―ハウス―メルヒェンっていうのは、グリム童話の正式名で、訳すと、子ども―と―家庭―メルヒェン)

グリム童話の中でも、超短い。でも満足感のあるお話。

ATU565
話型名は「魔法のひき臼」
そう、「塩吹き臼」と同じ。類話なの。

塩吹き臼:貧しい男が悪魔からなんでも出てくるひき臼をもらう。
おいしいおかゆ:貧しい女の子が、森のおばあさんから、おかゆの出る鍋をもらう。
塩吹き臼:兄が臼を盗むが、どうやって止めればいいかわからない。
おいしいおかゆ:母親が、ひとりで使うが、どうやって止めればいいかわからない。
塩吹き臼:海の底でいつまでも塩を出している。
おいしいおかゆ:町の人たちは道の上のおかゆを食べながら帰った。

ね、なるほどでしょO(∩_∩)O

ヤンは、幼児に語ることが多いんだけど、ずうっと前に高学年でバカウケして、最近2年生でやってみたら、やっぱりバカウケしたφ(゜▽゜*)♪

テキストは『おはなしのろうそく1』なんだけど、「、」で文章がつながっていて、イメージできないうちに次に進むのね。それで、ヤンは「。」で区切って語ってます。ほかの完訳本や『語るためのグリム童話』とかも、区切ってあるねヾ(•ω•`)o

はい、おしまい。


「おいしいおかゆ」『オットーウベローデ グリム童話全挿絵集』古今社

木下順二の『日本民話選』🐵🦀

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告つづき

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第4章昔話《昔話の再話について》
「木下順二の『日本民話選』」

今回は、戦後の昔話の再話が、戦前に比べて様変わりしたとして、木下順二をとりあげています。

木下順二〈きのした じゅんじ〉(1914-2006)

木下順二は、巖谷小波や楠山正雄と根本的に違っていると、瀬田先生は言います。
1、語りということを非常に大切にしていること。
これは、木下順二が劇作家であることからきています。
2、昔話の精神を心得ていて、定着させようとしていること。

『日本民話選』(木下順二 岩波少年文庫1958年)
作者あとがきから、木下順二の再話についての考えがわかります。
民話は口承であるが、書き留める方法としては、学問として正確に記録する方法と、文学として再話する方法がある。自分は、前者を利用して、文学として再話する。
そして、ジェイコブズについてこう書いています。
農民特有の魅力的な語り口を生かし、内容は、教訓など解釈をつけず、文学的密度の高い作品だと。
そのうえで、再話と再創造の違いをこう書きます。
再創造とは、民話を素材としてはいるが、解釈にも表現にも、作者自身のものを自由に駆使した作品。戯曲「夕鶴」など。

瀬田先生は、先にまとめたように、木下順二の仕事を認めてはいますが、『日本民話選』の昔話は、再話ではなくで、再創造だと反論しています。

「ツブむすこ」
・・・
とうとうむすめはあきらめて、もうこのうえは、むこうの田の中にひとところだけある、底の知れない深いどろぬまの中へ、身をしずめて死んでしまおうと心をきめた。・・・
むすめがいきなりふりむいてそのりっぱな若者の顔を見ると、それがあの、今までさがしにさがしておったツブむすこの姿だということが、さあっと水がみちてくるようにむすめにはわかった。
・・・

これを瀬田先生はこう言います。
根本からいって、これは小説だ。昔話の素材と技法を借りた別のものだ。
ね、よくわかるでしょう。

そして、
オリジナルを意識して加える限り、再話ではなく再創造だ。それはそれでいい。年長の子ども向けの小説(文学)として認めよう。
だが、再話はきっと別の方法で果たされねばならない。
というのです。

では、瀬田先生の再話観。
ある特定の再話者の顔や声や身ぶりが物語のなかにはいりこまないもの・・・
話す者と聞く者とのあいだで受け渡される昔話の、徹底的に非個人的な性質。それはひるがえって再話する立場から見れば、表現の刻印は鮮明におさなければならないが、話者の自己の刻印をおしてはならないこと、その無名性に通ずると思います。

そして、再話に何より肝心なことは、よい原話をさがすこと。それには文学の鑑識眼を基本に持たねばならないことだと言います。

最後に、木下順二の文体について、「どこの方言でもないひとつの方言主義」といい、これを批判するでもなく賛同するでもなく、話し言葉と書き言葉の合成は難しいと言っています。どっちやねん。
小澤先生は、木下順二のこの方法を、痛烈に批判されています。
どこの方言でもない方言など存在しないと。
そう考えると、この文体も木下順二の再創造ということになりますね。

はい、ここまで。

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『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論』の上巻もそろそろ終わりに近づきました。
取り上げられている文献を確認しながらの報告を続けてきましたが、図書館が休館しているので、限界に達しました。
できることなら、大阪国際児童文学館か国際子ども図書館に入りびたってリポートしたいものです。
それまで、この報告は、いったん終わります。

もう毎日書くことがないなんて、さびしいなあ。

児童文学か昔話関連で報告してほしいこと、なにかあればリクエストしてください。

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今日のレパートリー解凍は「さんびきのくま」ジェイコブズ

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みなさん、アンケートお待ちしてますo(^▽^)o

楠山正雄の「猿婿入り」🐵

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告つづき

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第4章昔話《昔話の再話について》
「楠山正雄の「猿婿入り」」1965年発表

え?それどなたって?
うう。うちにある辞典類には出てこない人ヾ(≧▽≦*)o
仕方がないから、Wikiから。

楠山正雄〈くすやままさお〉(1884-1950)
演劇評論家、編集者、児童文学者
鈴木三重吉が立ち上げた『赤い鳥』にも関わる。

瀬田先生によると。
大正時代の文学上の多能者。近代劇の移入、初期の百科辞典編集、児童文学での幅広い活動をした。

その児童文学の仕事のうちの『日本童話宝玉集』全2巻(1921年)について、瀬田先生は、子どもの頃、恩恵をたっぷりと受けたと言います。
日本文学について多岐にわたって知っている大人が、自分もおもしろがりながら、子どものために、過不足なく話を選んで語っている、そういう物語集だということです。
図書館が開いたら借りてみよう。

『日本童話宝玉集』に昔話の再話も載っている。
第1部 十大昔話
これは、巖谷小波にほぼしたがっている。
第2部 諸国昔話
『聞耳草紙』などの資料から直接再話。13話あまり。

ほ~。原話がはっきりしている再話ね!

巖谷小波とちがうところですね~

じゃあ、具体例「お猿のお嫁」引用
むかしあるところに、お百姓のおじいさんが、三人の娘といっしょにくらしていました。
ある日、おじいさんは裏の畑へ、ゴボウを抜きに行きました。すると、たいそう根が深いとみえて、どうしてもゴボウが抜けません。まっかになって、額からだくだく汗を流しながら、えんや、えんやと抜いていますと、どこからか一匹のお猿がちょろちょろ出てきて、
「おじいさん、ほねが折れるかい」と声をかけました。
「うん、骨が折れてしかたがない。えんや、えんや」
「手伝って抜いてやろうか」
「うん、ありがたいな、抜いておくれ」
「お礼をくれるかい」
「うん、やるとも、何でもやる。うちの三人の娘でもやる」
「ほんとうに娘をくれるか。よしよし、そんなら手伝ってやろう」
こういってお猿はそばへ寄ってきました。そしてちょいとゴボウに手をかけますと、わけなくすっぽり抜けました。
おじいさんは、
「ありがたい、おかげで助かった」
といって、ゴボウをもって、すたすた帰っていこうとしました。するとお猿はうしろから声をかけて、
「おじいさん、じゃあ三日目の晩に、おまえの娘さんをもらいに行くよ」といいました。
おじいさんは、「つい苦し紛れに冗談を言って、今更とりかえしのつかないことをした」と気がつきましたが、まさかお猿がほんとうにお婿さんになりに来もしまいと、無理に安心して、
「ああ、いいとも」
といって、急いで帰っていきました。

みなさんどうです?
ヤンは、売店でクルクル回ってる昔話絵本を思い浮かべました。
みなさん、けっこう慣れてません?
でも、おはなしおばちゃんとしては、これ、覚えて語ろうと思います?

瀬田先生は、これを口承と比較しています。
ストーリーは異なりますが、表現を見てください。

『南蒲原郡昔話集』(1935年)
あったてんがのしー。爺さがのォ、子ォ三人持ってのォ、粟の草取りいったといの。
粟の草取り行くと、まことに暑い日でどざんして、あんまり暑くなって、「この粟の草、だれか取ってくれたら、娘の子三人持っていたが、だれか一人くろが・・・。あァあ」とあくびかいたといの。
そこへ耳取山の猿が聞こいつけて来て、
「爺さ、爺さ、何言いやった」
「おら、なんにも言わない」
「いや言うた。うそ言うと、こそばし殺すぞ」
「あんまりこの草は生いて難儀だすけに、だれか取ってくれる者があったら、娘三人持っていたが、だれか一人くろっが、そう言うた」
「おら、ンだら取ってやる」言うて猿は、キッキッキ、サッサッサと取ってくいたといの。
「さあ爺さ、取り上げたすけね、おまえは上がってもよいが、娘の子いつ何日にもらい言ったらよかろう」
「17日だら、17日がよかろう」日決めしたといの。

ね、いかがですか?

瀬田先生の批評
『南蒲原郡昔話集』:音楽的ともいうべき流れの中に、空想が生き生きとかりたてられる。しかも、悠然として一つの無駄もない。
「お猿のお嫁」:擬音語や擬態語を多く差し入れて全体のリズムを壊している。言葉や扱いをモダンにし、心理的にし、描写を連ねて新しく深くつくりかえたつもりが、混乱し分裂している。
これを、中野重治の言葉を借りて、「いたずらな近代化」と評しています。

引用
再話とは、むしろ昔から伝えられてきた庶民の言葉の芯のつよさを生かしながら、もっと浄化し洗いさらして、よりシンプルで強いものにしていく。またこわれている物語を、ちょうど土器の破片を復元するような、細心慎重でもっとも必然的で自然な構成につらねていく作業が必要なのだと思います。

はい、きょうはここまで。

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今日のレパートリーの解凍
「あなのはなし」『おはなしのろうそく4』東京子ども図書館

わあ💖いいな~😄

わたしたち、ずうっとこれで守られてきたんやね
憲法記念日やから、読んでみよう ^0^
語釈付きだよん。

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日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

協和:互いに心を合わせて仲良くすること。
自由:自分の心のままに行動できる状態。
恵沢:めぐみ。
主権:事柄の最終的な決定をする権力。

そもそも国政は、国民の厳粛信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

国政:国の政治。
厳粛:ごまかしやふまじめを許さない、きびしさのあること。
信託:信用して任せること。
権威:下位の者を強制し服従させる威力。
権力:他人を強制し服従させる力。
福利:幸福と利益。
享受:受け収めること。
原理:根本の理論。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会におゐて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

専制:独断で政治を行うこと。
隷従:人の言うなりになること。
偏狭:心の狭いこと。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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すごいね。
「日本国民」って、私たち一人ひとりだよ。
私たち、これに守られてきたけど、逆に、守ってもきたんだ。すごい!

ヤンは中学3年のとき、社会の時間にこの前文と、9条と、25条を暗唱させられたの思い出した ^3^

 

今日のレパートリーの解凍は「ひとりふたりさんにんのこども」o(*^@^*)o

これは夕方の写真