マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。
第6章偽の花嫁と本当の花嫁
今日は「けもの婿」の話です。
旅人がやむなくけものに娘をやる約束をする。娘ははじめ結婚をしぶるが、しまいに承知してけものに愛情を注ぐと、けものは王子に変身するという話。
ディズニーのミュージカル「美女と野獣」でご存じのかたも多いのではと思います。劇団四季もやっていましたね。
絵本も様々出版されています。
2017年には実写版の映画も上映されていたようです。
映画は、すでに1946年に、フランスでジャン・コクトーによって作成されています。
世界的に広がったのは、同じくフランスのボーモン夫人の本によるもので、この出版が1756年です。
さらにボーモン夫人は、1740年ヴィルヌール夫人の本を原案にしたそうです。
リュティさんは、この昔話の痕跡は、アプレイウスの「アモールとプシケ」にあると言います。つまり、ギリシャ・ローマにさかのぼるのです。
何と長寿な物語なんでしょう。
商人の娘が、死んだように横たわっている野獣のことを嘆き悲しんで生き返らせようと手を尽くします。そのとたん、野獣は美しい王子さまになるのです。
イギリスの類話では、商人の娘が、いっしょに暮らしている犬に「みつばちの巣よりもすてきな犬」と優しく言うと、王子さまになるんですね。
娘の愛が、けものにかけられたまほうを解く。
ところが、グリム童話KHM1「かえるの王さま」も類話だというのです。
お姫さまは、「いやらしいかえる!」といって、かえるを壁にたたきつけますね。するとかえるが王子さまになる。魔法が解ける。
これは、たとえば「金の鳥」の最後で援助者のきつねが、王子に「首を切ってくれ」とたのみ、その通りにすると、きつねは魔法が解けて王子になる。それと同じことだと、リュティさんは言います。
変身させるには愛だけでは足りない。思いきって手を下すこと、厳しさと適切さが時には必要である。そうでなければ低いものを高くし、けものから王子を出現させることはできない。
これも、象徴として昔話を読まねばならないということなんだけど、それはまた次回に!
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断捨離が進んでいる。
どんどん捨てている。
夫「あんまり早く進めないように。不吉や」
わたし「最後は自分やな。まだまだや」
先週は、家族が減っても未練がましく残していた布団や毛布を処分した。45リットルのごみ袋に入る大きさのはふとんでも市が持って行ってくれるのだ。ありがたいことだ。
三つのふくろにまとめた。
最近、携帯電話がしょっちゅう行方不明になる。
「ここに置いたで」と自分に言い聞かせても、その場を離れると、忘れる。
な、断捨離の季節やろ?
その日は、本当になくなった。いくら探してもない。
いつものように夫が電話をかけてくれた。
が、しかし、マナーモードにしていたことは憶えていた。
髪の毛が逆立った。どないしょ。
へへへ。わかった?
ふとんのふくろの中で、なにかがブルブルとふるえておった。