月別アーカイブ: 2021年11月

選びとるということ🕯

とっても嬉しいメールをいただきました。
語りの森を応援してくださってるかたで、お顔も存じ上げないかたからなんですけど。

ようやく図書館のおはなし会が再開して、厳しい感染対策のなかでのおはなし会。
《日本の昔話》に再話している「犬神山のおおかみ」(こちら⇒)を子どもたちに語られたそうです。
「みんなでいっしょに薬を取りに行って、そして無事に帰ってこよう!そし
て病気には負けないという思いをこめて」語られたそうです。
つらい状況の今だからこその思いだと思います。
子どもたちはよく聞いてくれたそうです。
そう、思いは通じるのです。

世の中にはたくさんのおはなしのテキストがあります。
そのなかで、語りの森っていうこんな小さなサイトの、わずかな数の話の中から、「犬神山のおおかみ」を選びとってくださったことに、感動しています。

わたしは、たくさんの昔話資料の中から、この話に心ひかれて、原話として選びとりました。
そのわたしの心と語ってくださった方の心とが、つながったと思いました。

じつは、この話が資料に残ってきたのも、原話の語り手が、かつて聞いたたくさんの話の中から、無意識に選びとったからなのです。
その語り手に語り聞かせた人(親か祖父母か知りませんが)も、同じように無意識に選びとって語ったのです。
はるかな時間のかなたから、たくさんの人に選びとられて、連綿と残ってきた話だったのです。

この原話を選びとったとき、わたしは、過去の人たちとつながりました。
そして、今日メールをくださった方は、わたしと、過去の無数の民衆とつながったのです。
それと同時に、子どもに語ることで、未来とつながったのです。

子どもたちは、この「犬神山のおおかみ」の連綿とした時間の流れの最先端にいます。
語りに思いが乗せられて、ちゃんと伝えられたら、この流れはさらに先へと進んでいく可能性を秘めています。
語りを聞いた子どもたちのひとりが、他の誰かに語るかもしれないからです。
そんなの、奇跡だって?
奇跡が起こるのが、昔話です。
だって、そのわずかな可能性があって初めて、今に残ってきたんですから。

メールくださって、ありがとうございます。
とても勇気づけられました。

みなさん、ご自分の琴線に触れる話を選びとりましょうね。
それは、語り手の責任でもあるし、語りのだいご味でもあります。

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今日は、週に一度のおはなしひろばの日~
「うそつきくらべ」
聞いてくださいね~

 

冬支度

京都府南部、そろそろ寒くなってきましたよ。
今年の冬は寒いって、天気予報が言ってた。
天気予報ってあんまり当たらんけど。

こたつ出しました。
足をつっこんで、はじめて冷えてるうって気がついた。
ぬくぬくしてると、居眠りしそうや。

おこたに入って、お茶いただいて、甘いもん食べて、本読んで。
しあわせや。
現役の時はそんな日は夢のまた夢やったけど。
そやし、ええねん、太ってもo(* ̄▽ ̄*)o

あ、新い本、出しましたよ。
『語りの森昔話集5ももたろう』
こちらから見てください。⇒書籍案内
ほんで、ええな💖って思ったら買ってください。

 

 

読書の秋📚🕯

青空は高く、スイーツはおいしい。
いい気候だが足腰が痛い。
午前は晴れても午後になると時雨れる。
本を読むにはもってこいだ。

次から次へと昔話集を楽しむ。
その合間に、違ったジャンルの本を読む。格別の面白さがある。

『チョンキンマンションのボスは知っている』小川さやか著/春秋社
副題が「アングラ経済の人類学」
香港に住むタンザニア人の経済活動について書かれている。
人類学の研究をもとにしたエッセイ。
想像もしない価値観を教えてくれるのが人類学だと思う。
ボスのカラマの魅力にはまった。

『14歳からのプログラミング』千葉滋著/東京大学出版会
語りの森ホームページ、リニューアル前はHTMLというプログラム言語を使ってて、ヤンの手作りだったんです。でも、独学ではスマホ対応が難しくて、おおかたをワードプレスってブログソフトを利用するように。リニューアルしたんですよ。
手作りの名残が《HOME》《プロフィール》《お問合せ・リンク集》《秘密基地》なんです。ね、この4頁だけ、見た目がちょっと違うでしょ。
でもね、ソフト使うより、自分で作るほうが自由がきくし、それに、アニメを入れたいと思っててね。
それで、プログラミングをいちから勉強してみようかと思ったの。
この本は、JavaScriptってプログラム言語で動画が作れる。
語りの森の次のリニューアル、アニメやら迷路やら入れるよ。いつになるか、知らんけど。

『室町は今日もハードボイルド』清水克之著/新潮社
副題が「日本中世のアナーキーな世界」
中学高校のとき、中世ってなんだかよくわからなくて、好きじゃなかったの。
古代って、資料が少ない分、教科書はすっきりまとまってたし、近世になると江戸幕府って組織がかっちりしてて分かりやすかった。
でも、中世はねえ・・・
でもそのよくわからん部分がおもしろいって、この本を読んでわかった。
庶民が自由でアナーキーで、めっちゃ面白いの。
作者の文章力もあるんだろうけど。
うちのご先祖様といわれてる村上海賊のこととか、おもしろ~い。

 

 

オンライン日常語入門講座🐤

昨日、オンラインによる日常語の語りの入門講座が行われました。

前回までは、日常語で語ることの思いや意義、どういう効果があるかなどをお勉強しましたが、今回はいよいよ共通語テキストを自分の日常語のテキストになおすやり方のお勉強です。
資料を元に、テキストにどうやって書き入れていくかを一行ずつ実際にやってもらいました。
『ノート式おはなし講座語りこの愉しき瞬間』ですと、P56の〝日常語のテキストの作りかた〟のところです。
P58に、「三人のどろぼう」の話で、具体的に書き入れ方を示しています。
今回は、ヤンさんが日常語で「とりのみじいさん」を語られ、元の共通語テキストにその通りに書き込むという作業を一緒にやりました。
そして、次回までに各自が1話選び、同じ形式で自分の日常語に変えて提出します。

今まで特に自分の言葉遣いを意識せずに使っていたところが、日常語のテキストを作るということになると改めて意識しなければなりません。
みなさん気になるのはアクセントでしょうか?
自分のアクセントは、いったいどこのもの?と迷うのは、○○弁と呼ばれるざっくりした区別にはっきり分けられないアクセントで各自が言葉を使っているからでしょうね。
それに気づいたときに、じゃあ日常語のテキスト作りでいったいどの言葉で作ればいいのかと分からなくなる、みたいな(笑)
アクセントは、近畿圏(昔の都のあった圏内)と、その東のほうと西のほうで、ふたつに分かれるのだそうです。
全国的に見ると、○○弁としてそれぞれがまた違いますよね。
そして、人は年代に連れて移動することがありますし、そのたびに違う言葉使いを上書きしていくので、言葉が混ざり独自の言葉使いになっていきます。
みんなが、違う楽譜を持っているような感じでしょうか?
わたしは、それぞれが自分だけの楽譜を持っているような感じがしっくりきます。
ですから、○○弁と✖✖弁が混ざっていてアクセントもちゃんぽんでもそれはその人の言葉ですから、そこは迷わないでいいそうです。
どうしても迷ったときは、自分の家で使っている言葉、分の子どもにしゃべるときの言葉を思い出して、初めての日常語テキストを作ってみましょう。
次回はみなさんの日常語テキストがそろいますので、どんな話をどんなふうに日常語に変えてこられるのか、とっても楽しみです(*^▽^*)

11月の中級クラス

秋になって気温が下がってくると同時に食欲が出て来るのはなんでなんでしょうか?
秋の食材がおいしい物ばかりというのはあると思いますが、おいしいものは一年中ありますしね。
そんなにいらんのにどんどん出てきますよね。ね!ねぇ!

11月の中級クラスの報告です(^^♪
「みじめおばさん」『世界のメルヒェン図書館』小澤俊夫編訳 ぎょうせい
「妖精の丘が燃えている」『子どもに語るアイルランドの昔話』こぐま社
「三本の金髪を持った悪魔」『語るためのグリム童話2』小峰書店
「カメの笛」『ブラジルのむかしばなし1』カメの笛の会編 東京子ども図書館
「めんどりちゃん」『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』語りの森
ヤンさん
「アナンシと五」『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社
『ノート式おはなし講座』
おはなしの練習 1.大きな声を出す 2.いろいろな語り方を試す(P.29~31)

今回も、どれも面白い語りで、それに対する講評もどれも勉強になるものばかりでした。
そのなかで、わたしの心に爪痕を残したのは、思いきってふり幅を大きく意識して語られた「カメの笛」でした。
普通に語られても十分面白く聞ける語り手さんですが、セリフと間の取り方を意識して、飛びはねる気持ちで語られたということですが、その理由を聞いてまたまた気持ちを持っていかれました。
高学年の朝学習で、「手なし娘」(日本)をするので、そのあとに子どもたちの朝の気持ちを持ち上げるために楽しい話をしようと「カメの笛」を組み合わせたそうです。
な、な、なるほど~~。
語り手さんは、そのプログラムでこの語り方は、「どうでしょうか?」ということを問いかけられたのです。
で、ヤンさんのアドヴァイスです。
どこまで飛びはねて語るかは、子どもたちの目を見ながら決める、目を見ながら語る
クラスによって温度差があり、反応は違うけれども聞き手の中に入ってい行くものは同じ。
反応が違うのはむしろ楽しいこと。
反応のあるなしは表面的なことで、反応が薄いと語り手がそれに影響を受けてしまうというだけ。
昔話は長いあいだ語りつがれて残ってきたものだから、話をきちんと理解して語るだけでオッケイ。
それは創作でも同じ。

全くその通りと納得です。
昔話の力を信じてわたしたち語り手はそのままを聞き手に手渡すだけ。
ただし、話を理解してそれぞれの姿をつかまなくては聞き手には本来の面白さは伝わらないかも、ということですね。

それと、「みじめおばさん」の資料で、今までコピーでさえ見たことがなかった『世界のメルヒェン図書館』を見られてちょっと嬉しかったです。
挿絵があって、梨の木に色んな人がくっついていて、梨は当然洋ナシでした。
こういうちっちゃな幸せがわたしの生活を楽しくする、みたいな(笑)

次回は12月、今年最後です。
一年が過ぎるのはなんと早い事かと驚きますが、別にわたしにだけ早く時が過ぎるわけではありません。
うかうかしないように気持ちを新たにして、次回はエントリーしたので頑張ろうと思います(^_^)