長いことやっていると、おはなしを始めたころに覚えたおはなしたちも、まだ現役でプログラムに登場します。
たとえば、さっき子どもたちに語ってきた「うりこひめ」。先週図書館で語った「三枚のお札」。
そのおはなしたちは、語るたびに新鮮です。
それは、聞き手が違うから。そして、私が人として成長し続けているから。
おはなしは、人間の魂と関わるもの、人の心の深いところと関わるものです。
30年前と今とで、わたしは人として、ちっとも変っていないものを持っているし、ずいぶん変化進化したと感じる部分もあります。そのどちらにも、おはなしは深くかかわってきます。
おはなしは、まるでチャイナマーブルのように、バウムクーヘンのように、層をなして成長していきます。
あ、木の年輪ですね。
もう語らなくなったおはなしもたくさんあります。それらは地面に堆積して肥料となり、他のおはなしの栄養になります。
現役のおはなしは、いま250話ほどあります。
250本ではまだ森とは言えませんね。林です。
この林はまだまだ大きくなるはずです。植えたい木がいっぱいありますから。
そして、一本一本が成長します。太く、高く。
みなさん、これでこのおはなしは完成したって思うこと、ありませんか?
そう思ったとたん、テクニックに堕してしまって、その木はそれ以上大きくなれません。
おはなしを上手に語ろうと思わないこと。
上手なわたしを見て!といっても、だれもそんなもの見たくもありません。
子どもたちはおはなしの世界を見たいのです。
なんのためにおはなしを語るのか。
その根本をつかんでいないなら、いくら「上手」でも、語り手失格です。
子どもの前に立ってはいけません。
精進している限り、おはなしは完成しません。
なんでいまさらこんなこと書いてるんや~?
はい、もの想う晩秋です。
「もの想う晩秋」に、ぼ~っとしてたら、ヤンさんに活を入れられた気持ちです。
あるいは、お寺の縁側で座禅を組んでいてお坊さんにランダムに棒で肩をたたかれるかのような感じです。
活入れ、ありがとうございます。
30年の大先輩に続いて、10年ちょっとのわたしが言うのはたいへん僭越ですが、芸事や茶道・華道のような○○道に到達点がないように、おはなしにも終わりはないですね。
目標をイメージして少し進んだと思ったら、目指すところも同じだけ先に進んでおりまったく距離が縮まらない(笑)
ずっとそんな感じだと思います。
そうそう、ずっと距離が縮まらない(笑)
だから、おもしろいんやね。
正解がないのがおもしろい。
みなさ~ん。誰かに人参ぶら下げてもらうんじゃないですよ~
自分でぶら下げるのよ~
ババ・ヤガーでは、ヤンは絶対「はいそれで完成ですね」なんて言わないからね~笑
他人にそんな偉そうなこと言うほどバカじゃない。