「勉強会」カテゴリーアーカイブ

第23回昔話の語法勉強会「ホレばあさん」🐓

毎日寒いですね。
寒波だ、雪だとアタフタしているうちにもう2月になっています!
1月に対面で行われた語法勉強会ですが、2月はオンラインで開催され、遠方の方のご参加もありまして各地の様子を聞くこともできました。

勉強会は、「ホレばあさん」の話の構造をまず最初に抑え、それから細かい語法の指摘となりました。
話型としてはATU480親切な少女と不親切な少女です。
前半の親切な少女の部分の語法が、後半の不親切な少女の部分と対応しています。
今回の語法の勉強の中で特に心に残ったのは、昔話の平面性の説明の中で〝昔話では、行動に対する報酬はその行動に正確に対応する〟という内容でした。
これは、今までにも何度も教えてもらっていることなのではありますが、たぶんヤンさんが説明の言葉をいろいろ考えていろいろな言い方で言ってくれているからだと思いますが、何度も聞いているはずなのに心に刺さりました!
「ホレばあさん」の話の中ですと、おしまいに悪いほうの娘は大鍋いっぱいのコールタールをかぶります。
これが、行動に対する報酬です。
反対に、いいほうの娘は黄金の雨が降ってきます。
黄金の雨とコールタール、それぞれが行動に対する正確な報酬です。
見事な対比になっています。
同じように考えると、「こぶとりじいさん」「舌切りすずめ」「がちょう番の娘」など、最後に罰を受ける話はたくさんありますが、行動に対する正確な対応だとすると、それだからこそ聞き手を満足させるのだろうと思いました。
イソップ物語の「アリとキリギリス」を思い出しました。
あれは、教訓のためかもしれませんが、行動に対する報酬なんだろうなと思います。
これらの結末を厳しすぎるとか残酷だと思うのか、人生はそういうものだと思うのかは、各人の考え次第だとは思いますが、語り手としての自分は語法を学びながら昔話は残酷なシーンを伝えているのではないということをしっかり心に刻んでいきたいと思いました。

ということで、実りあり、楽しさあり、みんなの顔も見られていい時間を過ごさせてもらって、とっても良かったです(*^。^*)

「ホレばあさん」昔話の語法感想集2❄️❄️

全国的に大寒波が到来したようです。
みなさまのところは、大きな被害はありませんでしたか?
京都府南部のこの辺りは、降水量が少ないので、寒くはなっても雪が降ることはめったにありません。ところが、ゆうべ、一瞬のうちに雪が積もりました。
まだ、寒波は居座るもよう。みなさま、気を付けてくださいね。

さて、1月17日の語法勉強会の感想の続きです。
みなさま、ありがとうございました。

ひよこさん

先日は、貴重なお話ありがとうございました。
聞き心地が良いのは、色々な仕組みがあるんだなぁと改めて感じました。
先がわかっているのに何度聞いても面白い、子どもになった気分です(笑)
これからも、少しずつではありますが、勉強させて頂こうと思っております。

Dさん

ホレばあさんの語法講座、ありがとうございました。
今回の講座を受けて、おはなしと児童文学は別のもの、別の楽しみなのだということがわかりました。今頃?(笑)
長い時間をかけて語り継がれてきたおはなしは、子どもが耳で聴いて楽しめるような語法に則っている。このことをわかったつもりだったんですが、情景や心理の描写が細やかな児童文学とか小説が好きで、昔話にちょっと物足りなさを感じていました(^_^;)

でも、今回受講して、初めて語り部の昔話を聴いたときのワクワクした感じを思い出しました。近頃おはなしを聴くときも、勉強モードになってしまっていて…聴く側の気持ちになれていなかったと思います。
読んでもらう楽しさ、自分で読む楽しさ、聴く楽しさ、楽しみはいろいろ。とても当たり前のこと言っていますが、自分でちゃんとわかるのって時間がかかりますね。
スッキリしました。ありがとうございました。

Eさん

語法の勉強会に初めて参加しました。
ストーリーテリングの世界に入ってから、昔話に対して感じていた疑問や違和感などがありました。

何故主人公はいつでも美しいのか?
何故美しい者が幸せになり、醜い者は不幸せになるのか?
話が残酷過ぎないか?
等々

それが、今回の語法会ですっかり解決しました。

今までストーリーテリングの世界に、何か神聖さを感じていたのですが、それよりも、昔話は昔話の役割があって、分かりやすいこと、覚えやすいこと、聞き取りやすいこと、イメージしやすいこと、そこを突き詰めるとあの形になるのだ、ということを学びました。

昔話の残酷さについては、もっと勉強したいので、春からの講座が今から楽しみです!

Fさん

語法の勉強会、ありがとうございました。 
今まで絵本の読み聞かせとストーリーテリング、その差は何かをなんとなくでしか分かっていませんでしたが、語法のことを知ったことでそもそもの根底?成り立ち?が全く違うのだなと思いました。
たまたま脳の使い方の勉強をしているのですが、耳で聴く時と目で見る時では脳の使われる場所が違うこと。
そして耳で聴く時はそれまでの経験や語彙によって受け取り方や想像力の広がりが変わることを知り、ストーリーテリングが歴々と繋がれていることの意味を感じましたし、絵本が充実した現代の中でもこれからも繋げていきたいものだと思いました。
描写をしないことでの広がり。
スピード感。
子どもたちが、もっともっとと次を期待する眼差しが目に浮かびます。
端的でもあり、画一的とも捉えられそうな物語は、世界中で同じようで少し違うものに溢れているのを知り、大人が子どもに伝えたいことというのは国が違っても変わらないのだなと、面白く感じました。

しばらくは物語を読むたびに語法を気にすることになりそうです。
ありがとうございました。

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それから、前回のCさんの感想のなかで、どうして娘は家に帰ることを選んだのだろうということを指摘してくださいましたね。

ちょっと考えていて、気がついたんだけど、昔話では、彼岸へ行った主人公は必ず帰ってきますよね?
浦島太郎でも、仙人の教えでも、ヘンゼルとグレーテルでも、七羽のカラスでも、世界の果ての井戸でも、旅の仲間でも、ジャックと豆の木でも、かしこいモリーでも、竜神さまと花売りでも、さきぼそがらすの神でも、・・・
昔話にそういう大きな法則があるんじゃないかなあ?どうやろ?
「ホレばあさん」の娘も、理由はどうあれ、その大きな法則に動かされてるんじゃないかなあ。

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今週は、《日本の昔話》を更新しました。
青森県の「化け物と踊った話」です。
語ってくださいね~

 

 

「ホレばあさん」昔話の語法感想集1❄️

1月17日の会場での勉強会、感想文が集まりつつあるので、順次ご紹介しますね。

Aさん
限られた時間の中で盛りだくさんのことを教えて頂いて、ありがとうございました。
ホレばあさん以外のおはなしも例に上がると楽しかったです。
なるほどと思ったのは、人の性質を
登場人物に割り振って、二つ並べて見せてあるということ。
こんな類話がたくさんあるのは、世界中で好まれていて、心と行いによって人生はいろんなふうに変わるんだよと昔話を通して言ってるのかなと思いました。
そして、心の支えになるものが昔話に答えがあるということ。そういう昔話が自分にどれだけ語れるだろうかと思いながら、おはなしを選んで語っていきたいと思います。

Bさん
今まで何度か語法の勉強会に参加させていただきましたが
今回も新しい発見や納得ポイントがあって、とても興味深く
聞かせていただきました。
(単に前回のことを忘れているだけではないと思いたいですが💦)

勉強会の終わりに、昔話の残酷性について少し触れられました。
登場人物(動物)が残酷な死を遂げるお話がある昔話を
子どもたちに語るのはどうなのか、という意見について
私も考えさせられました。

自分の子どもについては、年齢的に成長していること、
また「ひょえー!こっわ!」で済ましてくれるという信頼があるので
そういったジレンマはありませんが、
残酷なお話を敬遠される方の気持ちもわかりますし、
繊細な子どもたちには配慮が必要かなと思います。

しかし昔話が単なる子どもたちのエンターテインメントというだけでなく
生きる知恵や逞しさを伝える手段として人類が受け継いできたもの。
そう思うと、死というテーマが所々に散りばめられていることは
ある意味で昔話の優しさなのかもしれないなと思いました。

なにしろ昔、あるところにいた、自分には全く関りのない知らない誰かさんのお話です。
それを聞く子どもたちは安全地帯から「死」を少しだけ見ます。
ある登場人物が途中で死んだとしても、血を見るわけでも、苦しんでいる様子を見るわけでもなく
お話は淡々と幸せに向かって続いていきます。

先生が言われた通り、人生や現実世界はもっと残酷です。
昔話という架空の世界にしっかりと守られながら
残酷さを消化する術を学ぶことができるのかもしれないですね。

ふと、先生がお知らせくださったユリ・シュルヴィッツさんの「チャンス」を思い出しました。
(まだ読んでいません!が、実は去年ホロコーストの生存者の方のお話を
直接お聞きする機会があり、こちらの本もぜひ読んでみたいと思いました。)

ユダヤ人が民族的に受け継いできた聖書のお話には
それこそ残虐な出来事が満載です。
何千年もの間、祖国をもたず、世界中で迫害を受けてきたユダヤ民族が
現在でも独自の言語と文化を保ちつつあらゆる分野で活躍しているその強さに
「残酷な出来事もあるけど最後には希望が残っているお話」の存在が
貢献してきたのかもしれないなぁ~

Cさん
ホレばあさんの語法勉強会に参加して
♡長い年月を経て残ってきたおはなしはやっぱりいいなと思いました。
♡昔話に出会うといつも楽しくてほっとする理由が語法にあると再認識。
♡他のおはなしの具体例をたくさんあげてくださるのでわかりやすいです。
♡子どもたちの反応や語りのヒントなども教えてくださるので説得力が千倍。
♡何といっても“余談”が楽しいです。
♡もういちど一次元性の世界で生きてみたいです。
♡毎日ちゃんとお掃除して食べ物をたいせつにしようと思いました。

Q.美しいむすめは、ホレばあさんの家で幸せにくらしていたのに、なんでこわいまま母がいるうちがこいしくなって帰りたいなんていうんでしょうか?ストーリーを先に進めるために、つらかったことは忘れているのでしょうか?

Cさんの疑問、わたしもそうだなあと思います。語法的にもよくわからない。
でもね、むすめが「うちが恋しくなりました」っていうと、ホレばあさんが「それはいいことだよ」っていいますね。人って、そんなものかも知れないと思います。だから、ヤンは、ホレばあさんのこのことばを心をこめて語るんです。

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いっき読みの2冊目、やっと書けました。
ヤンの読書日記に入れましたよ。
『小さなことばたちの辞書』
あ、小説です。
『オックスフォード英語大辞典』の編纂に関わった女性の物語。
わたしたちが使っている今の辞書は、俗語とか話し言葉とかも載せてあるのが当たり前ですよね。
でも、この作品の時代は、書物に書かれたことばだけが価値あるものだったんです。そこからはじかれた俗語や、庶民の話ことば、女性だけが使うことばなどを、主人公は集めます。
時代や、運命に翻弄されながらも、自分には何ができるのかを考える主人公。
つぎどうなるかしらと、ドキドキしながら、あっという間に読みました。
読み終えて、ことばとは何か、世の中の在り方とどうつながっていくかを考えさせられました。

 

 

第22回昔話の語法「ホレばあさん」

先日寒い中窓を開けて換気しながら「ホレばあさん」の語法勉強会が行われました。
まずは「ホレばあさん」のおはなしの構造(骨組み)について理解してから語法を丁寧に確認していきました。
私は最初の頃語法勉強会で聞いたことと実際のおはなしの中のその作用みたいなものが実感できず何度も勉強会を受けているうちに「あ、そうか!」と腑に落ちる部分がやっと出てきました(汗)。今思えば知ってるおはなしも少なくてわからなかったんですね。たくさんのおはなしを聞いたりテキストを読んだりして「おはなし」にたくさん触れる事で内容が認識できるようになってくるのだなぁと思います。

ヤンさんは語法にハマっていた時には子どもたちに語りながら頭の中で「これは孤立性!」とか同時進行で語法を確認しながら語っていたら(神わざ!)子どもたちの集中がとてもよかったそうです。

到底語りながらは出来ませんがテキストの語法をしっかり確認することが大切だと再認識しました。
今回も「これは何ですか?」と尋ねられてもオロオロし予習不足、理解不足でした(恥)。まずは復習からだ!

ヤンさんの講義でいつも昔話に込められている愛の深さを教わります。「ホレばあさん」の美しいむすめのやったことは自然に起きたこと。怠けもののむすめがやったことは無理矢理わざとやったこと。昔話はわざとやったことは失敗する。自分なりに生きていくことがよいとされる。哲学的。

そうだったんだ!自分なりに生きていくことを伝えていたのか!
子どもたちに語るのが楽しみです。

12月のプライベートレッスン⛄

こんにちは!
寒波が来ているということですが、長くないですか?
それともこれが普通の冬の寒さなんでしょうか?
とはいえ、こちらのほうは雪はほんのちょっとチラチラ降るだけなので、雪の被害がある地方のことを思えば、寒いというのも申し訳ないですが…

12月のプライベートレッスンも、再話が2話でした。
一日目
「ふしぎな白馬」
原話『世界の民話28オーストリア』ぎょうせい
二日目
「スウォファムの行商人」
原話『MORE ENGLISH FAIRY TALES』J.JACOBS
参考『イギリス民話集Ⅱヤラリー・ブラウン』木村俊夫他訳 同朋舎

2話とも前回から引き続いての再話の検討です。
「ふしぎな白馬」は少々長い話ですし、「スウォファムの行商人」は伝説の要素がある話ですから、どちらも難しい原話だったと思います。
が、初心者のお二人が熱心に取り組まれて覚える段階までテキストを仕上げられました(^O^)/
ほんと、すごいなと思います。
というか、熱意が続くのが素晴らしいですね。
エネルギー不足の自分から見たら、「ま、まぶしい~~☆彡」という感じでした!
今後は、覚えて語られて、そのとき聞いた人からイメージしやすかったかどうか、わからないところがなかったかどうかを確かめて、問題がないようであればやっと完成ということになります。
机の上だけではテキストは完成しないというのが、耳で聞く〝おはなし〟というものなんですね。
再話の検討をああでもないこうでもないと悩みながらやっていて、このテキストでいこうと思ったときは完成したと思うんですが、本当の完成は語ったあとなんですよね。
聞いてもらったら必ずと言っていいほど何らかの修正が必要になるので、がっかりしないでくださいね。
どれもこれも勉強だし、みんな同じ道を歩いてますから(^_-)-☆

今年の勉強会はこれですべて終了しました。
コロナのために換気をしながらの12月の勉強会は寒かったです(笑)
プライベートレッスンは家にいてできるから楽ちんでしたけど…
でも、なんとか無事に今年も勉強会をすることができてよかったです。
お話会が有る無しにかかわらず、各勉強会のいつものメンバーさんの顔を見られるのもうれしいし、新しくメンバーさんが増えたのもうれしかったです。
一年間、ヤンさんはじめたくさんのメンバーさんにいっぱいお世話になりました。
来年もまたよろしくお願いします<m(__)m>
みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいね。