「日記」カテゴリーアーカイブ

2016年です

明けましておめでとうございます。
ぽんです。
2016年、オリンピックイヤーの幕開けですね。
皆さま、どんな朝をお迎えになられましたか?
我が家は31日に下の息子が帰省し、4人で元旦を迎えることが出来ました。
あと何年4人で新年を迎えられるのか・・・と毎年思うのですが、何とか今年も
4人で過ごすことができました。
帰省してくれた息子達に感謝です。
久しぶりの4人家族、先ほどようやく大漁の・・・ちゃう、大量の洗濯物を干し
終えました。
その前にはおせちを食べたわけですが、ヤンさんのようにりっぱなおせちを作る
ことも放棄。阪急さんに作って頂いたおせちを頂きました。
全部。。。そう全部。完食です。
私はこの後、お年始に行くのに車を出さないといけないので、禁酒。
男3人で750mlのお酒を3本、カラにしました。
夫・・・ソファーでお休み中
上の息子・・・ベッドでお休み中
下の息子・・・日向でギター演奏中
平和なこと、この上ありません。
今年も、ババ・ヤガーをよろしくお願い致します。
                               byぽん

ゆく年くる年

2015年12月31日(木)
いつものように5時半に起きだし、コーヒーを入れて、スムージーとトーストと納豆でひとり静かに朝食をとる。
一日で最も穏やかな時間。新聞に目を通す。
昨日料理した棒鱈と黒豆に火を入れる。
家人が起きだす前に、語りの練習をする。一時間余り。

「とうふとこんにゃく」「雪女」
何年も前に共通語で語っていたのだが、年明けて5日の日常語入門講座のために、日常語に語りなおしている。
いっつもおんなじ話ばっかりやるのは、自分が許せないのだ。かなしい性だ。
あ、二話あわせても五分で終わる…よいプログラムだ。

「忠実なヨハネス」
一月末に六年生に語る。急にはもどらないから早めにもどしておく。棒鱈と同じ。
祝い鯛を焼きながら、煮しめを始める。
家人が起きだす。あとはわけわからんうちに時が過ぎる。
おせちと昼食と夕食を作りながら、掃除やら片付けやらの指示を出しつづける。

一昨日、息子が帰省。
若者が家に居るのは良い。おなかがよじれるほど笑える。
今年のおせちはいつものおせち。
金時人参とレンコンとこんにゃくと筍の煮しめ。
子芋の煮しめ。
高野豆腐の煮しめ。
干しシイタケの煮しめ。
お焼きの煮しめ。
たたきごぼう。
黒豆。
棒鱈。
海老の甘煮。
鶏の照り焼き。
数の子。
祝い鯛。
かまぼこ。これは切るだけ。

母は干しシイタケの煮しめが上手かった。
父は棒鱈が好きだった。
義父はたたきごぼうが好きだった。
たたきごぼうの作り方は、結婚前に義母に教わった。

娘は今年は帰省しない。新しい家族と賑やかに過ごすはずだ。赤ん坊を囲んで。
光景を思い描くと、嬉しくて目頭が熱い。

夕食は、年越しそばと八宝菜。

以上、個人的な、ごく個人的な日記。

除夜の鐘が鳴り始めた。
年忘れ。
忘れてはならないことと、忘れることで前に進めることと。
ちゃんと考えよう。
みなさま あけまして おめでとうございます。
どうかどうか 幸せな年となりますように。
本年も あいかわりませず よろしくお付き合いくださいませ。

ヤン

御礼 

ぽんです。
今年もあと二日となりました。
皆さん今年はどんな一年でしたか?
ババ・ヤガーにとっての今年一年は、またまた、新しいことに挑戦を始めた一年
でした。
再話勉強会や遠足、また今まで同様に日常語の勉強会をやり、中級講座をや
り・・・。でも、そのいつもの勉強会も昨年とは、また別のステップに移れ た
ように思います。
ババ・ヤガーは今年も一年走り続けてきました。来年も今年に負けないように、
走り続けられるババ・ヤガーでありたいと思っています。
私個人としての今年一年は、結構山あり谷ありでした。ゼイゼイいってたときも
あるかな?大殺界の1年目だったしね。(ってことは来年は大殺界の2 年目だぁ)
そして、実はこの押し迫った年末に身内で大事件がおこり、それがどうやら、来
年の私個人に重くのしかかってきそうな気配がしています。
そんなこんなで、今年一年、ババ・ヤガー語りの森を、見て頂いた方、ありがと
うございました。
また、様々な企画にご参加下さった皆さま、ありがとうございました。
そして、いつもの勉強会の皆さま、ありがとうございました。
皆様にとって来年が、さらに良い一年でありますように。
どうか、来年も、ババ・ヤガーをよろしくお願い致します。
                                    
byぽん

今年最後のお話会

図書館のお話会で年が明け、図書館のお話会でその年が終わります。
一昨日の土曜日、最後のお話会でした。
もう冬休みに入っていて、子ども8名、おとな4名と、少なめでしたが、いつものように和やかなひとときでした。

手遊び 「かれいこやいて」
お話  「にんじん、ごぼう、だいこん」
『松谷みよ子のむかしむかし』/講談社
絵本  『じごくのそうべえ』田島征彦/童心社
絵本  『なんでやねん』中川ひろたか文/世界文化社
お話  「かきねの戸」 ババ・ヤガー語りの森 村上郁再話
絵本  『おべんとうめしあがれ』 視覚デザイン研究所
手遊び 「さよならあんころもち」

わたしは手遊びと「かきねの戸」『おべんとうめしあがれ』だけ。
あとは、ヤンの所属サークルの初級講座のメンバーがやりました。
ずいぶん慣れてきて、頼もしい限りでしたよ〜
初級講座は、おはなしを始めて5年以内の人たちの勉強会です。
って、前にも紹介しましたよね〜?

勉強会でいくら学んでも練習しても理解できないことがあります。
それは、子どもがどのようにお話を楽しむかということです。
それと、語りの場での厳しい現実です。あ、自分のふがいなさって言ったほうがいいのかなー笑
実感しないとわからない。
それで、ときどき、講師役のヤンと一緒に、図書館で子どもに語ってもらいます。実習みたいなもんです。
無責任! とか、子どもが迷惑! とかの声が聞こえてきそうー笑
大丈夫ですよ。子どもの守備範囲はめっちゃ広いです。広い心できいてくれます。
で、事後、反省会をやります。
以前、ある役者さん(だったかな?)が言ってた言葉、
「百回の練習よりも一回の本番」。
もちろん百回練習して初めて本番に臨む。
そうすると、百回の練習で分からなかったことが、一回の本番でバアッとわかる。
その話を聞いたとき、私のやってることも同じだと思いました。
「場」で成り立つ芸術(だと私は思う)は、「場」を抜きにしてはモノにならないと思います。
ヤン

チャレンジャー ぽん! 

ぽんです。

皆さん、グリムを語られるとき、出典は何を選ばれますか?
「そんなん、読み比べて決めるに決まってるやんか」というヤンさんの声が聞こえてきそうですが。

私の地元のおはなしグループの例会でのこと。

ある方が「星の銀貨」を語られました。出典は『語るためのグリム童話7星の銀貨』小峰書店刊。
これって、私の地元では凄いチャレンジャー。私の地元の会ではねグリムは99%こぐま社なんです。後の1%?ふふふっ。私です。最近の私だけが小峰。

で、まあ、語られたわけです。語り手の方はクリスチャンで信仰のある方なんですが、小峰とこぐまを読み比べられて、女の子の境遇に対して厳しい単語を使われている、特に冒頭、小峰では『見捨てられて』と強い言葉で書かれている。それが、このお話が本質的に何を語っているのかという自分の考えにびたりと合ったので、選ばれたと話されました。
ところがところが、これが御長老の意に沿わず、猛攻撃。
まず、「これ、誰の訳?」私(心の声は丸かっこ 小澤って知ってるやん)
長老「だいたいね、こんな話、子供に伝わりますか?裸になるんですよ」 私「再話は小澤研究所です。確かに聞き手に信仰に対する思いがあるほうがすっと入ると思うので、語りにくいことは語りにくいですよね。うちの会で語る人いませんし」 一同「うん」 私「でも、だからといって語っては駄目ということではないと思うんでけど。七羽のからすだって語りますし」 一同「うん」 長老(七羽のからすのところで、「お話は全てがわかる必要はないんです」と口をはさむ) 私(ほんならこれも語ってもええやん) 続けて長老「他の会ではたくさん語られる方、います。私この時期に何度も聞いたことあります」 私(えっ、さっきの発言と方向ちゃうやん、語ってええんかいな?)
長老「この子最初から帽子かぶってました?この出典、ぼうしかぶってるって言ってないよね。突然帽子被せてあげるってどういうこと」 語り手「身に付けているものって書いてあるでしょ。冬のドイツで帽子被ってない人なんかいませんよ。寒いのに」私(えっ、なに着てるか全部言うとかなあかんのん?昔々あるところに一人の女の子がいました。えーっと、この子は帽子を被り、チョッキを着、スカートをはき、肌着も着ていました。えええっー!?) 長老「だいたいね!こんなに宗教的な話やのに、最後にお金ひろて、金持ちになるっておかしいでしょ」 私「こぐまは違うんですか?」 長老「違うはずですよ。幸せになっただけです」 一同「そうなんや」 語り手「小峰はお金を拾い集めるで、こぐまはお金を集めるやったと思います」 別の人「笠地蔵は贈り物一杯もらってなに不自由なく暮らせるようになってもOKなのにねぇ」  

この辺りで代表が止めに入りました。

(ほんとはもっとケンケンガクガクよ、一部しか書いてないのよ)

この語り手の方、結構なお歳の方なんですが、10年ぐらい前までは英会話教室のセンセイ。そして、ご主人のドイツ駐在について行かれてたこともあって、ドイツ語も多少は喋れて読める。ドイツ語のグリムも見られて単語の意味を確認されたんですって。

で、帰って確認しました。
小峰もこぐまも帽子は突然出てきます。最初に帽子被ってるとはいいません(当たり前やん)
小峰もこぐまも、最後は「お金持ちになりました」で終わり。
そして、小峰の方が、使っている単語が具体的でした。「被せてやりました」「着せてやりました」など。こぐまはすべて「やりました」でした。

だからさっ、結局小峰の方が、聞き手に具体的イメージを与えやすい単語を使っていたわけなんですよ。今までこぐましか聞いてなかったから、結果的に同じ内容なのにイメージが、弱かった。そこへ小峰。で、始めて聞き手の中にイメージがはっきり見えてきた。それだけのことやったんです。

ああ、なのになのに。小澤嫌いだからね、全てが小澤訳(ホンマは再話って言わなあかんねんけど、長老の言葉通り書きます。ヤンさんごめーん)のせい。

お歳やから、しゃーないねんけど、好き嫌いがあってもしゃーないねんけど、ちゃんと比較してから、言うて欲しいよー。頼むわ。

実は、この日はルンペルシュティルツヘンでも、一悶着。それは、また今度書きます。乞うご期待。

そんなこんなで、私はいつもチャレンジャー。

             by ぽん