月別アーカイブ: 2017年10月

雌牛のブーコラ 🐄

先先週更新した「外国の昔話」の「雌牛のブーコラ」。
アイスランドの昔話です。
中級講座で呪的逃走のモティーフのある話を集めてるんだけど、その中で見つけました。
じつは『おはなしのろうそく』にも『新編世界の昔話 北欧』にもあるんだけどね。いちから再話したかったの。
好きな話は自分の満足いく形で語りたくって。

で、何度か語ってるんだけど、きょうの録音がいちばん聞き良い状態だったので、いま更新しなおしました。
聞いてみてください。
子どもたちがおもしろいのよ~💗
ブーコラがさらわれたっていうだけで、「え~っ」ってびっくりしてくれるし、おべんとうの三回のくりかえしはちゃんとクレッシェンドで笑ってくれるし。三段弁当だって(笑)
昔話の語法を知ってるの?って思うような反応も返してくれる。
しかも、想像が楽しい。

しかも賢い(笑)
「三枚のお札」といっしょだって、わかりましたよ。
アイスランドと日本で同じ話があることを考えると、人間ってどこでもいっしょなんだなって思う。そうは子どもたちに言わないけれど、記憶のどこかに残っていて、何かの拍子に気がついてくれたらいいなと思う。
アイスランドの子と日本の子が、おたがいに全然知らないのに同じ話で笑うんだって。それが人間。それが平和だって。

好きな話を見つけて再話して語り、子どもたちがよろこんでくれる。
もっともっとたくさん面白い話を見つけたいし再話したいし語りたい。
心が温かいものでいっぱいになる秋のおはなし会シーズンです。

先週のおはなし会 🎈

そうそう、おはなし会シーズンに突入していたのですよ。

毎日楽しいのですけどね、体力勝負でもあるのです(笑)
ほな、報告です。

ー水曜日ー

学童保育
おはなし「七羽のカラス」グリム童話
おはなし「かきねの戸」 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』
絵本『しおちゃんとこしょうちゃん』
絵本『くまさん、どこ?』
絵本『バナナのはなし』
上記絵本三冊は、語りの森ホームページ「絵本のこみち」で紹介しています。
この子たちは、まるで吸いとり紙のように聞きます。
でもね、指導員の先生のなかに約一名、子どものことが気になって仕方のない人がいてねえ。子どもが身を乗り出したり、じっとうつむいて指を見つめていたりしていると(つまり、子どもが物語の世界に入りこんでるわけなんだけど)、背後からつついて姿勢を正させようとしはるんです。つつかれた子は、いきなり現実の世界にひきもどされてびっくりするのね、かわいそうに。

ー木曜日ー

小学校2年生 1クラスずつ2回(授業)
おはなし「ハヴローシェチカ」 村上再話 未公開
おはなし「とら猫と和尚さん」 『日本の昔話4』小澤俊夫再話/福音館書店 (仲間)
おはなし「りすと風」 村上再話 未公開 (仲間)
おはなし「はらぺこピエトリン」 『子どもに語るイタリアの昔話』剣持弘子訳/こぐま社
ブックトーク 「アーノルドローベル」
「ハヴローシェチカ」はロシアの昔話、「りすと風」はインドネシアの昔話。どちらも新作です。『語りの森昔話集』の第2巻に載せる予定。でもその前にホームページにUPするかもしれない。「ハヴローシェチカ」は好きだから再話したんだけど、子どもたちのおかげで、もっと好きになりました💖
「りすと風」は、先生がほんとに嬉しそうな顔をされました。だって、りすが可愛いねんもん。

幼稚園五歳児 1クラスずつ2回
手遊び ろうそくぱ
おはなし 「おはなしかめさん」 『朝鮮の民話』瀬川拓男訳/偕成社
手遊び ろうそくぱ
子どもたちはうんこが好きですね~((´∀`*))
長者になった主人公がいじめっ子を助けてやる、いじめっ子は二度と弱いものをいじめなくなる、というのは、昔話のパターンではないようだけど、それもまたいいかなと思える結末です。

ー金曜日ー

小学校6年生 1クラスずつ2回(授業)
おはなし「美しいワシリーサとババ・ヤガー」 『おはなしのろうそく4』東京子ども図書館
おはなし「あんころもちとあみださん」 『子どもと家庭のための奈良の民話3』村上再話/京阪奈情報教育出版
ブックトーク 京都
今年の6年生の先生は思いもかけないブックトークテーマを出されます。今回も「京都」。私としては新鮮で楽しい、マンネリ打破ね。子どもたち、終わったら先を争って本を奪い合って持ってかえっていきました。もう6年生なのにね、ほんとにかわいい。
あ、そうそう、京都テーマの本っていったら、修学旅行用の学習本がたくさん見つかったの。たしかにね、京都・奈良・大阪は全国の小中学生が来るものね。
みなさんは、修学旅行はどこへ行きましたか?
ヤンは、大阪府茨木市で小学生をやってて、三重県の伊勢に行きましたよ~
ここの子どもたちも三重です。

幼稚園4歳児 1クラスずつ2回
手遊び ろうそくぱ
おはなし 「おはなしかめさん」 『朝鮮の民話』瀬川拓男訳/偕成社
手遊び ろうそくぱ

はいはい、うんこです(〃艸〃)

来週は月曜日から木曜日までぶっちぎり。風邪ひかないようにしなくっちゃね~

PS
きょうは上野千鶴子さんの講演を聞いてきましたよ~。おもしろかった。内容もだけど、お話もお上手ですね。独居高齢者の幸福度が高いって話、私的にバカ受けでした。ちゃんちゃん。

 

第3回、昔話の語法講読会レポート📖

 これまで一次元性、平面性、抽象的様式と昔話の語法を講読してまいりまして、先日、3回目の昔話の語法講読会がありました。
 今回は『孤立性と普遍的結合の可能性』です。

 これまでのことをざっくりまとめるならば……話のすじに不必要、もしくは横道に反れそうな情報、設定はそぎ落とし、主人公にとってのハッピーエンドに向かってストーリーは一直線に進むというのが昔話、という感じでした。ざっくり過ぎたでしょうか。
 昔話は口で語られ、耳で聞く文芸ですから、言葉が発せられた瞬間しか存在しない。だから、抽象的に、極端に、同じ場面を同じ言葉で繰り返しことで聴き手がイメージしやすいように工夫がされているのかな、と思います。でも、だからといって、すべての昔話が語法にきっちりと則っているかというと、そうではないのだそうです。むしろ、語法にすべてがきちんと則っている昔話はひと握りだとか。
 なるほど、だから、どの先生も「この語法は白雪姫のこの部分」「この語法はこのお話のあの部分」とたくさんある昔話の中から探して例を挙げてくださっているわけですね。完璧なテキストばかりならば、あちこちから厳選して挙げる必要がありませんものね。

 と、話は変わりまして、今回の孤立性と普遍的結合の可能性ですが。つまり、登場するすべてのものが孤立した存在であるがゆえに、なんにでもくっつけられるという性質をもっているといった話です。すんごい金持ちか貧乏人か、美しいものか醜いものか、昔話は登場人物も物も極端なものが出てきます。そのものを見たことがなくても、想像しやすいですよね。それほど金持ちではないけれども貧乏でもない主人公とか、特別美人でもないけど醜くもない中年の魔女とか、そこそこ悪いこともしてるけど根は善人とか、黒と白の中間色とかってわかりにくいです。そんな昔話はっきりいって面白くない…。
 で、極端な存在って、端っこですから、白か黒なわけですから孤立した存在なわけです。
 この孤立性の説明を聴いているときに、私は昔の生薬を入れる引き出しのたくさんある薬箪笥をイメージしました。社会的背景も肉体的にも厚みのない、ストーリーに必要なときだけお呼びがかかる登場人物やアイテムが整理されてはいってます。それを使って女の子が人形遊びをするようなイメージ。今の子ども事情は分かりませんが、かなりご都合主義的に即興でストーリーを組み立てながら遊んだ記憶がよみがえりました。山は山で、お城はお城でしかなくて、老婆は老婆の役割しかありませんでした。
 そして、物や人だけでなく、エピソードも孤立しています。というか、カプセルに閉じ込められているようで、他のエピソードに影響を与えない。
つまり経験が生かされない。だから白雪姫は何度も殺されるし、かしこいモリーの大男やジャックと豆の木の大男は宝物を奪われちゃうんです。なんでって、その繰り返しが聴き手には楽しいからでしょうね。
 それぞれのエピソードは殻に入れられていて、他のエピソードに影響は与えないけれども、ど真ん中には聴き手を楽しませたい、主人公をハッピーエンドに導きたい、こんなお話にしたいといった『話のすじ』と伝承の語り手の『昔話の形式意志』がズドンと突き刺さっているんです。まるで串団子のようにくっつけているイメージです。団子(エピソード)自体は孤立しているけども、全体(ストーリー)からみればくっついている。外的孤立性と、内的には孤立していない、というワードを私はこのようにイメージしてみました。そこに前述した色々なものがトッピングされてひとつのお話を形成している。
 だから、こうこうこういうことがあって、同じことを三回繰り返したように聞こえるけども、主人公の旅は少しずつハッピーエンドに近付いていっている。だからこそ、子どもたちは「あほやな~」と笑いながら、ハラハラしながら、「ほんで、次どうなるの?」となるのでしょうね。

 さて、みなさんはどのようにイメージして理解されたでしょうか。
 同じようにイメージする必要はありません。間違っているかもしれないし、余計難解になっているだけかもしれません。
 自分だけの言葉で理解したほうが、飲み込みやすいのではないかなと思うので、自分の言葉でまとめてみてくださいね。
 それにしてもテキストの著者、小澤俊夫先生は音楽的アンサンブルに例えていたのに、私は団子・・・どんだけ食いしん坊なのか(;´Д`)

 次回は昔話の「贈物」です。
 
 
 

🚴 自転車を忘れる 

季節の変わり目で膝の調子がよくない。
重いものを持つと痛い。

夫「牛乳買うてきてや」
私「う。」

重いやないか。自転車で行こ。
きょうはすでに9000歩以上歩いてるし。楽しよう。

近所のスーパーへ自転車でいった。
自転車だと思うと気が大きくなって、いっぱい買った。
かぼちゃ。魚、明日のミンチ、ふたつ100円のニラ、ふたつ100円の小松菜。徳用のジャガイモ。・・・えっと。わすれた。

エコバッグにどっさり入れて、そろりそろりとスーパーを出る。
もう辺りは暗くなっている。
きょうも一日ぶじに終わるなあ。
きょうは入門講座やったなあ。
「三匹のこぶた」のこと、つぎに言おうかなあ。それか、こんどの昔話絵本の講演でやったらええか。
ふと気づいて万歩計を見た。
お、一万歩越えたやん。やった!
???? あああああ。自転車忘れてる!
えっちらえっちら重い荷物をぶら下げて、スーパーに戻る。
膝が痛い。

そういえば数日前の夕方のことだ。
学校に向かっていると、4年生の男子に会った。
わたし「どこいくの?」
男子「学校。忘れもん取りにいくねん」
わたし「何わすれたん?」
男子「計算ドリル」
わたし「そらたいへんやなあ」
男子「おばちゃんはどこ行くん?」
わたし「学校。忘れもん取りにいくの」
男子「へえ~。何わすれたん?」
わたし「自転車。自転車で行って、歩いて帰ってしもてん」
男子「\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/」
若い子はええなあ。こんなことで笑えて。

再話勉強会

ジミー続投です(笑)
今週、今年度2回目の再話勉強会がありましたので報告します(^.^)

今回は、全員で原話を一から再話していく方法で勉強会が始まりました。
原話はあらかじめ決めてあり、各自にいきわたっておりました。
でも、原話を読むだけです。
原話を選んできた担当者も、再話はしてこずにみんなで一緒にやりました。
原話は次の二つ。
「九羽の雌鶏と一羽の雄鶏」『オルトゥタイ ハンガリー民話集』徳永康元・他編訳 岩波文庫
「もぐらととんび」『新装日本の民話7』岡節三・他編 ぎょうせい

わたしはですね、原話は読んでたんです。
でもそれだけでは足りないと思って、自主練で文法指摘をしておこうとも思ってたんですが時間がなかったんです!
(時間がない。「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」ほんとに誰も知りませんか? 孤独やわ~)
で、再話がなかなかできず、言葉が出てこないんですよ。
ヤンさんがあの手この手で助け船、誘い水、なだめたりすかしたり(笑)
いろいろ言葉を尽くして説明して、文章や言葉を思いつかせようとしてくれるんだけども、「出ない」の連続。
ほんとに、講師って大変ですね。(←そっちではない!)
でも、出来上がった時はとてもうれしい(^.^)
が、しかし、これは全く完成ではないのであります!
次回までに覚えて微修正・調整して、(あるいは、微ではないことになるかもしれない可能性もあり)みんなの前で聞いてもらいます。
口に乗るか、耳で分かるか、そこを通過できて初めて(テキストとして一応の)完成なのでございます。
言葉がでてこないもどかしさをさんざん味わったのに、しかしそのあと再話とは面白く楽しいと思うのは、自分の性格なのか中毒性があるのか…。
それはどうでもいいんですが、どうでもよくないのは宿題です。
みんな、がんばりましょう\(^o^)/