月別アーカイブ: 2020年3月

ネズビット『砂の妖精』👒

『瀬田貞二子どもの本評論集 児童文学論上』の報告つづき

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第2章ファンタジー
〈夢みるひとびと〉ネズビット『砂の妖精』 1973年発表

イーディス・ネズビット(1858-1924)
幼いころから物語を語ったり詩を書いたりしていました。
結婚してから、生活のために、恋愛小説、怪奇小説、詩を書きに書きますが、成功しません。
1899年『宝さがしの子どもたち』出版。ここで児童文学作者として立つことになります。
1902年『砂の妖精』
このあと、砂の妖精の出てくる『火の鳥の魔法のじゅうたん』『魔除け物語』を書き、三部作が傑作となります。C・S・ルイスも少年時代に刺激を受けたそうです。

『宝さがしの子どもたち』は、ファンタジーではなく小説です。
ネズビットは、この小説の手法を使ってファンタジーを書くことで、それまでの昔話的なファンタジーから新しいファンタジーを創り出しました。
だから、登場する子どもたちは、リアリティにあふれています。
日常を生きる子どもたちが描かれ、読者の分身となって活気にあふれた行動を起こしていきます。

瀬田先生は、『砂の妖精』の最初の章、物語の始まりの持って行き方を絶賛しています。
何事かが起こるに違いないという期待。
サスペンス。
とうとう現れた妖精!の鮮明な描写によるリアリティの付けかた。
引用。
日常蝕知の外にある架空の事柄にいかに信をつなぎうるか。ファンタジーを読者にそれなりの世界として、「信じがたい世界の真実」として認めさせるには、非現実をどれほどリアリティに富むものにするかの力量にかかる。

彼女の作品の後、リアリティに裏打ちされたファンタジーが次々と生み出されていくのです。先述したケネス・グレアムやトールキンなどですね。

それだけでなく、砂の妖精の、願いをかなえてくれるが気難しいというキャラクターは、たとえばトラヴァースのメアリー・ポピンズに引き継がれていきます。

砂の妖精サミアドは、主に子どもの願いを聞いてくれるけれど、日没とともに願いは消えます。サミアドの魔法は、条件付きなのです。この条件付きの魔法も、ネズビットが発明したもので、後続に引き継がれます。

このように、ファンタジーの歴史上、大きな意義のある存在なのですが、瀬田先生は、その魔法のエピソード(ぜんぶで9つあります)自体は、面白くないと批判しています。

各エピソードへの導入はうまいけれど、「つばさ・つばさをなくして」「お城と敵兵・包囲攻撃」以外は面白くないと。
このふたつのエピソードは、教訓的な意図がなくて、子どもらしく自然な話になっています。

瀬田先生は、「ファンタジーの書き方を知りたければ、もう一度この本(『砂の妖精』)を丹念に読むことである。ことに、冒頭を、第1章を。」と言っています。

ストーリーの中身の面白さを堪能するには、次の時代の作家を待たなければならなかったのですね。

きょうは、ここまで。

 

昔話のこと🌈

ちょっと不具合があって、しばらく井戸端会議を閲覧できなかったんですよ~
あたふたしてて、児童文学のまとめができなかった。
ごめんなさい。

で、代わりに。

今朝新聞読んでたら、こんな記事があった。
落語家の柳家小さんが、弟子にね、
「おまえの話はムダが多い。それじゃあ何も伝わらない」って言ったんだって。
それで、弟子の柳家さん喬は、事細かな描写はやめて、
「ごらんよ、きれいな山だねえ」って話すようにしたんだって。

で、ヤンは、はたとひざを打った(笑)
落語も耳から。
私たちの語りも耳から。

「声による言葉」からイメージする。
ある言葉からイメージするものは、一人ひとりが異なっている。
あなたの山は比叡山かもしれないけど、私の山は天王山だからね、実際。
ヒマラヤやマッターホルンの人もいるだろうし。

一人ひとりが異なっていることを前提にして、昔話は語られる。
「山」って言えば、その山はその人独自のもの。唯一無二だよ。
それ以上の人間尊重って、ある?

語り手が伝えたいのは、「あなたは幸せになるよ」というメッセージだけ。
不特定多数の「あなた」のために、無描写にする。

昔話が、本来そっけない簡潔な文体なのは、あなたへの愛なのです。

こうやって、ヤンはときどき「昔話の語法」の尊さを、日常のなかで実感するのです。

新型コロナウイルスは怖いし、先の見えない自粛もつらいけれど、でもね、わたしたち、昔話を生きようよ。
昔話の主人公たちのように、生き抜いてみせよう。

早くお話会、したいね。
勉強会も、したいね。
みんなに会いたいよ~

トールキン『ホビットの冒険』2🧚‍♂️

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』報告のつづき

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第2章ファンタジー
〈夢見るひとびと〉ートールキン『ホビットの冒険』

きのうの続きです。

ファンタジーという文学の形は、もともと古くからあるものでした。吟遊詩人も、セルバンテスの「ドン・キホーテ」も、ダンテの「神曲」も・・・
ところが、19世紀のリアリズムが、それを根絶させてしまいました。
でも、子どもの文学の分野で生き残りました。
先述のジョージ・マクドナルドやC・S・ルイス。宮沢賢治。

トールキンも同様で、現実に縛られていた精神が、ファンタジーの自由な見知らぬ力によってめざめる事を「回復」と言っています。
トールキンの引用。
回復とは、とりもどすこと―曇りのない視野をとりもどすことです。・・・いずれにせよ、わたしたちは窓をきれいにすることが必要です。そうすれば、ものがはっきりとみえ、陳腐さだの、慣れだののせいで視野がうすぎたなくぼやけている状態から解放されるのです。

そして、『ホビットの冒険』について、瀬田先生はこう言います。
引用。
いまどきの混濁をぬけた質の高い澄明さ、翳りのない高朗さ、時空の限りない壮大さといった、素朴なまでの「窓のきれいな」文学的性質が私たちをつかむ。

さらに『ホビットの冒険』は、昔話を基調にしていると説明されます。
うんうん、そうだ~!

『ホビットの冒険』の
冒頭
「地面の穴の中に、ひとりのホビットが住んでいました。」
「ある朝のこと、-ずっと昔、この世の中がたいへんおだやかで、・・・」
結末
「そしてビルボの物語を信ずる者はあまりなかったのですけれども、ビルボは、生涯を終わるまで、この上もなく幸せにすごしました。」

ね、まるで昔話の発端句と結末句(笑)

それだけではありません。
『ホビットの冒険』のテーマは「探索行」です。そして、探索行とは、「経験のない貴重なものを未知の地に探しに行く旅であって、人生そのものを暗示する
ね、グリム童話の「金の鳥」「命の水」、日本の「仙人の教え」も同じテーマです。
ここで瀬田先生は、20世紀最大の詩人W・H・オーデンの説を紹介しています。

昔話の探索テーマの6つの条件
1、貴重な人か物が求められる。
2、行く先不明の長旅に出る。
3、ほかの者には果たせない主人公があらわれる。多くは若く、弱く、賢くないもので、真の資質は隠されている。
4、試練が課されて主人公が現れ出る。
5、目的物には守り手がいて、さいごの障害になる。
6、知識と魔力を持つ援助者が見いだされて、成功する。
どうですか、当てはまりますよね。
『ホビットの冒険』にも当てはまるのです。

さて、『ホビットの冒険』が子どもに語った昔話ふうのストーリーであるのに対し、『指輪物語』は「むかしむかし」ではなく「3001年、ホビット庄暦1401年、ビルボ・バギンズ111歳の誕生会が」と始まります。場所も「ある穴の中」ではなく「中つ国の四ゲ一庄ホビット村袋小路」と限定されます。
もちろん時間も場所も架空ではありますが、ガチっと構築された第2の世界です。
そして、テーマは、「負の探索行」です。指輪を捨てに行く旅です。
『ホビットの冒険』がビルボの成長物語だとすると、『指輪物語』は危機の意識にあるシリアスなモラルが描かれているのです。
この二つの作品の間には、第2次世界大戦がありました。

ところで、『ホビットの冒険』は子どもたちに語るところから始まりましたが、トールキンはこれを子どもの本だと限定はしていなかったそうです。むしろ大人が読むべきだと考えていました。
完全に子どものために書かれた本は、子どもの本としてさえ、貧弱である」というのがトールキンの主張です。

みなさん、ぜひ、読んでみてください。また、再読してみてください。
わたしも今回読み直して、新たな発見がいっぱいありました。

ところで、『指輪物語』は2001年「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化されましたね。作品の良しあしは言いませんが、映画は別物です。ぜひ原作を読んでみましょう。長いけど(笑)

はい、トールキンは、おしまい。

トールキン『ホビットの冒険』🧙‍♂️

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告

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第2章ファンタジー
《夢みるひとびと》トールキン『ホビットの冒険』1975年発表

いよいよトールキンですよ~
ヤンは個人的に、トールキンこそがファンタジーの最高傑作と思っておるのですよ。

瀬田先生は、「たとえば、新村出のような人が、中年を過ぎて、子どものために「根の国への使者」のような物語を書き、還暦を過ぎて後に「豊葦原の剣・三部作」のような長編を発表したと思えばよい」と書いています。言い得て妙ですね~
新村出は広辞苑を編んだ言語学者ね。

J・R・R・トールキン
1892-1973

少年時代:天体・植物・歴史・言語に興味を持つ。
学生時代:詩にめざめる。

オックスフォード大学卒業後第一次世界大戦(1914-1918)に従軍。
西部戦線で負傷。療養中に言語学にうちこむ。
言語学から妖精物語に魅了され、そののち、平和を願い、戦争の根を断つ望みを一生持ちつづけます。

戦後:オックスフォード大学言語学の教授になる。
授業では、ガウンをひらめかしながら教室を行きつ戻りつ、吟遊詩人がどのように歌ったかを実演し、堂々と朗誦したそうです。かっこい~!

1937年:『ホビットの冒険ー行きて帰りし物語』刊行
わが子4人に聞かせたものを発表しました。
トールキンも、ルイス・キャロルやA・A・ミルンたちを同じように、わが子が出発点なんですね。

1938年:講演「妖精物語について」
このころすでに『指輪物語』を書き始めていたそうです。

第二次世界大戦(1939年ー1945年)
また戦争です。執筆が途切れました。

1955年『指輪物語』刊行

戦争は、トールキンにとって、ファンタジーを作り上げる動機となりました。
反戦平和の理念と、戦場の悲惨さのリアルな描写。トールキンは、戦争体験から、ファンタジーの世界の「おどろくべき澄明さ、素朴さを」つかんだというのです。

その具体的な説明は、次回へ~

おはなしひろば お引越し🚛

おはなしひろば、お引越ししました。
話数が増えたので、広いお家にお引越し。

前よりは見やすく、さがしやすくなったかな?

子どもたちに聞いてほしいなと思って始めたんですが、ぽちぽちですね。
この井戸端会議や語りの森ホームページほどの閲覧はありません。

やっぱり絵が動かないからね。
BGMもないしね。
大人の人の協力がないと自分からは手を出さないだろうなと思います。

それでもいつかは届くと信じてやっています。

トップページのメッセージ
ここにのせるおはなしから、あなたの心に響くものを受けとって、あなたの声で語ってください。
「 こんなすてきなおはなしを見つけたよ 」 って、愛する人に語ってください。

わたしたち、図書館や学校やらで語らせてもらってるけど、それは一つの手段に過ぎない。
おはなしひろばも手段に過ぎない。
ヤンがほんとうに夢見ているのは、家族や近所が語りの場になること。

コロナ騒動でおはなし会がなくなった今、原点に立ちかえって、考えています。
自分にできる事は何だろうって。
人類が営々と築いてきた語りの営みをさらに次につなげるために、私にできる事は何だろう。
え?偉そうにって?
どうして?
昔話を語りついできた人は、みな普通の人だったんだよ。私たちと同じ普通の人だよ。

さてさて、なにはともあれ、お引越ししました。
どうぞ、新居にいらっしゃってくださいませ。
たくさんのおはなしで、おもてなし致します(笑)

こちらからどうぞ、おはいり~!→

そして、はいったら、新しいURLをブックマークしておいてね。
古い家もまだあるけど、そっちは更新しないからね。