月別アーカイブ: 2020年3月

ハドソン『夢を追う子』🏃‍♀️

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告
はい、きのうはお休みしてしまった。
今日は続きやりますよ~

***********

第2章ファンタジー
《夢みるひとびと》
ハドソン『夢を追う子』1973年発表

実は、読んだことなかったんです。
で、きのう夢中で読んで、おおお~ってなりました。子どもの時に読んでおけばよかった(笑)
読まれた方ありますか?

ストーリーは単純。ひたすら一直線にさすらいの旅をする男の子のはなし。
出版当時あまり評判にならなかったらしい。
が、アン・キャロル・ムアが児童図書館運動を始めたとき、この作品を信念をもって取り上げたそうです。

作者
W・H・ハドソン1841-1922
エッセイスト、作家。
『夢を追う子』は、彼のただひとつの児童文学。書いたのは64歳のとき。

動機
ハドソンは序文でこう語ります。
私の幼いころの気持ちに合うような物語で、私の幼い心に浮かんだ想像や冒険をもとにした、現実にはありそうもない物語です。

つまり、「幼児における自然体験の、作品化」と瀬田先生は言います。

目的
自然のぞくぞくさせる驚きとふしぎを再現すること。

ハドソンの自然観は、人の善悪を超えて力と美を備えたもので、人間をも包み込むというものです。人間は自然の対立物ではない。
これは、ヨーロッパの産業革命以後の自然を克服すべきものという価値観に対抗するものです。
東洋的かもしれない。
瀬田先生は、宮沢賢治との類似性を指摘しています。

引用
一面からいえば迷子の遍歴、ひるがえせば自然の追求。時流に反して自然をあがめ、いうべきことを子どもの物語の形式に借りる。科学者の目と子どもの心を持ち、昔話になじんだ口でモディファイした体験を曇りなく語る

ね、そうでしょ。
たしかに『夢を追う子』を読んでいると、自然描写とそれを畏敬する主人公マーチンの様子が、賢治の作品と重なって見えるのです!

この作品の自然描写には、三つのスタイルがあります。
1、ありのままの観察
一枚の草の葉、一匹のカブトムシ、その動きから何から写実的で、目の前で起こっているようです。
2、比喩的な観察
マーチンの心の状態によって、たとえばカラスが黒いフロックコートを着たしわくちゃな老人たちに見えます。フクロウは、小人の老人・・・
3、擬人化
2のさらに発展されたかたちです。昔話や伝説の人物が登場します。山の精は美しい神秘的な女性で、ヒョウをかしずかせています。永遠の海の老人は海坊主のように登場します。

この物語は、自然の魅力に取りつかれて、前へ前へと進むうちに迷子になり、平原から森、山、海へと遍歴して、唐突に終わります。
瀬田先生は、「おわりがぶっきらぼう」といいます(笑)
故郷へ帰る旅も読みたいけれど、ハドソンは、書きませんでした。

福音館古典童話シリーズ6

グレアム『たのしい川べ』🐭

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告つづき

**********

第2章ファンタジー
〈夢見るひとびと〉グレアム『たのしい川べ』1974年発表

〈夢見るひとびと〉の章段は、8人の作家の代表作についての評論です。
今日は、『たのしい川べ』

作者ケネス・グレアム(1859-1932)
ヴィクトリア朝時代の作家

グレアムは、当時4歳の息子アリステアのご機嫌を直すために、アリステアの好きなモグラとネズミの登場する物語を語りました。それは、7歳でアリステアが合宿で家を離れてからも手紙の形で続きます。

瀬田先生は、この作品を二部に分けて考えています。

第一部1,3,4,5,7,9章
主人公はモグラとその友人のネズミです。
ケネスの幼児回想がもとになっているようです。
四歳のときケネスは父の作った新宅に移りますが、五歳のとき母が亡くなり、自分も大病して一家離散。母方の祖母に引き取られるも、祖母は子どもに無関心。ケネスはバークシャーの自然と生物に心慰められて二年間を過ごします。
いまアリステアがその自分の年になって、あふれるようにその頃の川や小動物への愛が流れ出したのではないかという仮説です。

第二部2,6,8,10,11,12章
副主人公のヒキガエルが活躍します。
ヒキガエルは息子アリステアの分身のような性格です。親子で笑い合って物語をつなげたそうです。

この二部に分かれるという瀬田先生の説、びっくりしました。
というのは、ヤンがこの本を読んだのは小学3年のとき。やっぱり二つに分かれてると感じたから。すごい???
ヒキガエルが活躍する後半より前半のほうが好きでした。

ここで瀬田先生は、問題の多い前半(え?わたしは好きやったけど?)に限って論を進めます(やったー!)。

まずテーマと展開。
第1章「川の岸」は生きる喜びと春のうれしさ、本能の目覚め。初めて見る川。がテーマなんだけど、これは全編を通じて流れているテーマです。
どの章も、小動物が登場して季節が描かれその営みが描かれ、川、道、森といった大きな自然を舞台に事件が展開し、命のことや友情が確認されて家に帰る。

次に描写。
第5章「なつかしのわが家」モグラが長く離れていた家に帰るところ。初雪に包まれた村里、家々の灯り。
第7章「あかつきのパン笛」モグラとネズミが川をボートでさかのぼるところ。月が昇り、川が銀色の世界に代わり、月は沈み、暁が訪れ、鳥が鳴きやんで風が起こり・・・ああ。読んでおくれ~~~
その描写に対して瀬田先生は「的確な散文の描写がテーマを完璧に運んで、散文のままで詩の領域に渉っている

最後に悲しみ。
第9章「旅びとたち」ネズミが熱につかれたように旅に出ようとするのをモグラが必死で止める。このネズミの悲しみは、明るい未来へ旅立つことをゆるされなかったグレアムの悲しみと重なる。
グレアムは、成績優秀でオックスフォードに進学したかったのに、祖母によってその夢を断たれています。

さて今回このブログを書くにあたって『たのしい川べ』を読み返しました。
『クマのプーさん』同様これまで何度も読み返してきた、私にとってはバイブルのような本です。ほんま、読み返してよかった!!!
写真は亡き父に買ってもらったもの。調べたら初版だった!
おとうさん、ありがとう。

講演録・子どもと文学2👫

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告つづき

*************

第2章ファンタジー
その6講演録・子どもと文学ファンタジーの特質 1965年発表

前回の後編です。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のあと、イギリスではファンタジーの傑作が次々と生まれました。

マクドナルド
キャロルの友達のジョージ・マクドナルドは、イギリス国教会の牧師さんです。宗教的な神秘的なファンタジー『北風のうしろの国』を書きました。
ロンドンの辻馬車屋の男の子ダイヤモンドが主人公です。現実の過酷な日常が描写され、同時に、彼は北風に連れられて、不思議な国に行って霊的な体験をします。
現実とあちらの国を行ったり来たりします。まるで目に見えるように描かれます。
北風は、神秘的な女の人の姿をしています。とっても霊的な存在です。
マクドナルドは、あちらの国での経験を通して現実の人生の問題を深めていくのです。
引用
成熟した大作家の人生の知恵といったようなものが、想像力によって具体化され・・・

ハドソン
博物学者のW・H・ハドソンは、『夢を追う子』を書きました。
主人公のマーチンは、大自然に溶け込んで、その精髄をみきわめようとして、原野から森、海へとさまよいます。
引用
根本のテーマは、けっして到達し得ないもの、われわれのすぐ目の前にありながら、けっして手にとることのできない美に対する永遠の探求である。

デ・ラ・メア
神秘詩人で子どもの文学の大長老ウォルター・デ・ラ・メアは、『ムルガーのはるかな旅』を書きました。
ムルガーは猿の王子です。猿の世界を構築しているのですが、猿語を使ったり、いかにも猿らしい(?)感覚がリアルだそうです。
これ、まだ読んでないので図書館が開いたら借りに行きま~す。
引用
実在感のこいサルの世界の中で、サルたちは、ふしぎな事件のかずかずにであって、死と生、無常と永遠、友愛と信頼、おそれとのぞみ、悲しみと勇気を経験して成長していきます。

ケネス・グレーアム 『たのしい川べ』
ヒュー・ロフティング 『ドリトル先生』
A・A・ミルン 『クマのプーさん』
これらは、題名だけ挙げてあります。ほとんど説明なし。

トールキン
オックスフォード大学の古文学教授のトールキンは『ホビットの冒険』を書きました。
専門家としての古代伝承の知識や神話伝説の学力を、妖精たちの世界に生き生きとよみがえらせました。
引用
トールキンは、想像力は人間のごくふつうの心性なのだから、ファンタジーは大人にも読まれ、むしろ大人に深く得るところがあらしめなければならない・・・と述べています。
ヤンは、『ホビットの冒険』のあとの指輪物語シリーズが大好き!大人になってから読んだのよ。

ノートン
メアリー・ノートンは、現代の小説ふうのファンタジー『床下の小人たち』を書きました。
小学校高学年の子が大人の小説に向かう入り口になる作品。
ノートンは、子どもの秘密の小さな世界を、大人はすぐ壊そうとするといいます。でも子どもはまた作り上げていくとも。
引用
この物語は、会話が傑出しておりまして、それによって人物を浮き出させ、ストーリーを運びます。

ルイス
C・S・ルイスはケンブリッジ大学の中世英文学教授。『ライオンと魔女』にはじまるナルニア国シリーズを書きました。
人間の子どもたちが何かの拍子でふっとナルニアという架空の国に入ってしまいます。そこは、アスランという強力なライオンの支配していた国なんだけど、悪い魔女によって乗っ取られ、人びとが苦しんでいます。魔女は人間の好奇心が生み出したものでした。
引用
ファンタジーの最初のテーマが、生(なま)のまま頭にあるときは、たしかに今日の全世界の重みにひしげるような重いものにちがいありません。けれども、子どもの物語としてルイスはなんの苦渋もとどめない明るい空想、楽しい想像にゆだねて、彼の問題の核心を徹底的に変身させてしまうのです。

はい、きょうは、ここまで。
読んでくださってありがとうございます。
お疲れさま~

不思議の国のアリス👱‍♀️🐰

閑話休題

きのうの画像、何の挿絵か、わかった人!!!

そう、『不思議の国のアリス』です。
全体を貼りますね。

アリスの挿絵はたくさんの画家が描いていますが、これは初版のぶんで、ジョン・テニエル画。いっちばん最初のアリスね。
アリスの作者ルイス・キャロルは、はじめ自分で挿絵を描いたんだけど、出版に当たって、プロの画家に書いてもらうことにしたんだって。それが、テニエル。
今日の画像もテニエルの挿絵です。

1862年、ルイス・キャロルは、ボート遊びのとき、友人の3姉妹に即興でお話を語りました。それが大うけしたのです。
姉妹に会うたびに続きを語りました。末の妹の名がアリス、10歳。
出版されたのはその3年後です。

キャロルは、知り合いの家族に、「この話、どうやろか?」って、原稿を回してきいたそうです。
で、子どもたちが、おもしろ~いって言ったので、出版することにしたのだそうです。

それまで、子ども向けのこんなナンセンスな物語はなかったので、出版界では、どちらかというと「?????」っていう批評がほとんどだったそうです。
ところが、本の売り上げは上々。どんどん増刷されて、ルイスが亡くなった1870年には、イギリスだけで8万6千冊!ドイツ、イタリア、フランス・・・でも翻訳されていました。

大人が????なのに、なぜ売れたのか?
もちろん、子どもたちの熱狂的な支持があったからです。

『不思議の国のアリス』は、今では、奇想天外な筋ときわだったナンセンスとで児童文学に革命を起こした作品と評価されています。
どんな道徳的な目的も持たないで、純粋に子どもを喜ばせるために想像された物語です。

さあ、読んでみよう~
ディズニーや絵本などの翻案されたものではなく、完訳で読んでみましょう!

明日は、瀬田先生の講演の続きを報告しますね。

講演録・子どもと文学🏡

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』の報告第14で~す。

*********

第2章ファンタジー
その6 講演録・子どもと文学ーファンタジーの特質 1965年発表

この年、岩波市民講座っていうのがあってね、瀬田先生が「子どもと文学」って題して講演した、その記録。
その前の週は石井桃子さんの「子どもと読書」っていう公演があった。
いいねえ、聞きたかったねえ。55年前(笑)

まず瀬田さんが石井さんの講演のまとめをしてるので、引用します。聞きたいでしょ。
昔話というものが、小さい子どもの心の働きにそい、また精神の成長にとって非常に大切である。さらにそのさき子どもの読書に、ファンタジーが非常に大切ではないか、そういう文学を子どもとしての段階で通っておきますと、のちに大きくなって、その人がひとの心をよく理解できたり、ものの奥底にひそむかくれた真実というものを、正しくつかんだりするような能力が、ごく自然につちかわれるのではないか

これ、石井桃子さんの講演内容ね。
なるほど~って、思いますね。
で、それを受けて、瀬田先生は、ファンタジーの意義を具体的に説明してるのが、今日報告する章段。
長いので、前半だけまとめます。

小説的な児童文学ーリアリスティックな物語
『ハイジ』
『四人の姉妹』
『あらしの前』『あらしのあと』
『ツバメ号とアマゾン号』
『ふくろ小路一番地』
これらは、私たちの日常と地続きの世界で物語が展開します。

それに対して。

空想物語ーファンタジー
実際には起こるはずのない、非現実の、想像世界の物語です。

ただし、ファンタジーは、かつては大人の文学であって、ホメロスの『オデュッセイア』とダンテの『神曲』、スウィフトの『ガリバー旅行記』が例として挙げられています。
ところが科学が発達して、大人は昔話を信じなくなり、リアリスティックな小説が幅を利かせるようになった。

すると、大人が捨てた空想の産物を、子どもがそっくり拾い上げた。
グリム童話、『ガリバー旅行記』など。
子どもには空想力があって非現実と現実を行ったり来たりする能力があることと、いっぽうで、成長するためのはつらつとした好奇心を持っているからです。

大人にもそんな新鮮強力な想像力を持っていて、子どものためのファンタジーを書いた人がいた。
さて、だれでしょう?

ここからは、代表的古典的なファンタジー作家が具体的に上げられます。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン
1835年に昔話を元にした童話を発表し、どんどん自分の中の想像力を引き出して捜索していきます。
グリムの初版が1812年で、1857年まで版を重ねていくのと年代的に重なっていますね。子どものためのファンタジーの萌芽の時代だったのです。
おっと、もしいまアンデルセンを読もうと思ったら、改作してあるのが多いので気を付けて。
お勧めは、岩波文庫。全作品読めます。
絵本は避けましょう。アンデルセンは物語しか書いていませんから。あなたが自分でイメージしなくっちゃ。

ルイス・キャロル
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』
「まったく純粋な空想からだけでできている空前のファンタジー」と瀬田先生はいいます。
アリスは、常識を打ち砕いて、別次元の感覚を組み立てて成立しています。子どものとらわれない自由な内面に近づいたといえるでしょう。
瀬田先生は、チェシャ猫が幻のように突然現れて、ニヤニヤ笑いだけを残して消えていく場面を挙げて、こう言います。

その世界がどんなに日常世界とちがっていても、その世界なりの実体感がなくてはならない。眼で見える真実らしさがなければいけない。・・・
ファンタジーは、リアリティをもってはじめて成り立つ

これを、「ファンタジー固有の文法」だといいます。

ほら、出ました、文法という言葉。
昔話の文法(語法)と通じませんか?

昔話は、耳で聞かれてきたという特性から固有の語法を持ったわけだけれど、同時に昔話はファンタジーでもあるわけです。
「むかし、あるところに」と、冒頭でウソ話だと宣言しているにも関わらず、まるで本当に起こっているかのようなリアリティを持って聞きますね。

はい、今日はここまで。
次回は他のファンタジー作家が登場します。

ほな、目の保養~