久々の『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告です。
リクエストしていた本が手に入ったので(^∀^●)
+++++++++++
第3章書評など
「子どもの館」書評欄から 1976年
『バビロンまではなんマイル』
ポーラ・フォックス作/掛川恭子訳/冨山房/1976年
日本で出版された年に書かれた書評ですね。
作者(『世界児童文学百科』から)
ポーラ・フォックス(1923-2017)
アメリカの小説家。ニューヨーク生まれ。
彼女の作品に一貫するテーマ
引用
他人との交わりに困難を感じている孤独な子どもたち(たいていは男の子)が、非日常的な体験をへて、ほかの人々と真に触れ合うことができるまでを書いている。
この『バビロン~』は、10歳の黒人の少年ジェームズが主人公です。
父親は蒸発、母親は病気で入院。マンハッタンのボロ貸アパートで、三人のおばたちと暮らしています。
ジェームズは、世話をしてくれるおばたちのことが嫌いではないけれど、何でも話せるほどではない。学校に行っても友達もいないし、先生にも心を開かない。ある日、三人の不良少年に誘拐されて、イヌ泥棒の手先にされて、夜のニューヨークを自転車で連れまわされます。その24時間のうちに、彼の心に何が起きたのかが描かれていきます。
ニューヨークのダウンタウンの景色が目に見えるようだし、事件にハラハラドキドキしっぱなしだし、ジェームズの気持ちに寄り添ってしまって、ラストは涙が止まらなかったヾ(•ω•`)o
では瀬田先生の書評に入りますね。
引用
この本は、しなやかで、したたかな作品である。十歳になるブルックリン地区の黒人の男の子の、外部世界と内面の世界とを、その子独自の感情のフィルターを濾して定着させた小説である。
主人公の環境を考えると、社会問題が表面化しそうだけれど(現在も黒人差別反対のデモが広がってますね)、作者は、政治的な主義主張は一言も発していません。そして、主人公の内面を描いて「したたかに重く、また深い余韻を残」すことによって、社会的な課題が読者の心を打つのです。
アメリカでは読者を10歳以上としているけれど、日本は社会事情が違うから、中学生以上対象になるだろうと書いてあります。でも、情報のグローバル化の現代、この書評が書かれた時代とは、日本の子どもたちの置かれている状況も変わってきています。これくらいの本は読んでほしいと思います。
たとえ背景がよく理解できなくても、孤独感、疎外感をもって生きている子どもはたくさんいますから。
瀬田先生自身、こう言っています。
引用
ジェームズは不安な心理の持ち主だ。愛されていても、ひとりぼっちの感じで、根性はあっても、いろいろなものにおびえる。そういう少年そのものがここに、はっきりつかまれている。
ね、小学生中高学年に読んでもらいたいでしょ。
作者の言葉の引用
私はお話というものが、人生そのものと思ってはいない。お話は隠喩(メタファ)だ。
お話は手袋みたいなもので、だれかそれに合った手がはめてくれるのを待っている。手そのものではない。
文章表現については、訳者の「現実と幻がたえずまじりあっているような」描き方という言葉を引用して、それが成功しているのは、作者が主人公の独自な内面世界に潜り込むことができているからだと、瀬田先生は言います。
わたしは、後半、主人公が初めて海を見たときの、海の描き方に特にそれを感じました(本書p122~127)。
ところで、この書名は、マザーグースから来ています。
バビロンまではなんマイル
60マイルと10マイル
夕ぐれまでにはつけるでしょうか
いってかえってこられます
日本のとおりゃんせとよく似た遊びの歌だそうです。
ポーラ・フォックスの他の作品(翻訳されているもの)をあげておきます。
『モリスのたからもの』世界のどうわ、清水真砂子訳、大日本図書、1982年
『どれい船にのって』Best choice、ホゥゴー政子訳、福武書店、1989年
『きのうのぼくにさようなら』あかね世界の文学シリーズ、掛川恭子訳、あかね書房、1989年
『片目のねこ』心の児童文学館シリーズ、坂崎麻子訳、ぬぷん児童図書出版、1990年
『西風がふくとき ― おばあちゃんとの日々』文研じゅべにーる、清水奈緒子訳、文研出版、1999年
『フグは海に住む ― ベンの旅立ち』森恵子訳、さ・え・ら書房、2000年
『イーグルカイト ― ぼくの父は、エイズとたたかった』翼をひろげて<6>、村田薫訳、文渓堂、2000年
『光の子がおりてきた』平野卿子訳、葉祥明絵、金の星社、2000年