いばら姫~グリムとバジーレ👢

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著 報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形 つづき

前回の話では、グリムさんは、口承をそのまま本にしたのではなくて、再話したのでしたね。
再話するとき、再話者の文学的な好みや素養とか、道徳や人生観など考え方とかが、表現や内容に自然と現れてくる。
そして、文学的好みや考え方は、その人が生きた時代の影響を強く受ける。

では、グリム兄弟はどのような時代を生きたか。
ロマン派とビーダーマイヤーの時代でした。
だから、ロマン派好みの森と花の詩情や変転きわまりない反語(イロニー)法が、ビーダーマイヤーの生の感情であるこまやかな心情と結びついて出てくると、リュティ氏は言います。

「反語法」は、19世紀初頭のドイツ・ロマン主義の創作活動の中心になる考えであり方法です。
「いばら姫」の「目覚め」の箇所のグリム兄弟のおふざけがそれにあたります。
ここで説明するの難しい。ごめん。

「ビーダーマイヤー」は、ロマン派の直後の文化活動。
地味な市民の生活態度と一致する簡素で細やかな調子と、注にはあります。

で、そういう時代の風潮の中で書かれたけれども、その後200年の間、グリム童話が世界じゅうで読まれていることを思えば、グリム童話には時代を超えたものがあるといえます。
そしてまた、ロマン派とビーダーマイヤーの時代じたいが、あらゆる時代あらゆる人間に通じる感じ方を純粋に力強く展開した時代だったといえるのではないかと考えられます。

では、つぎ、バジーレに行きます。
バジーレはイタリアのナポリの詩人。
昔話集『ペンタメローネ』を編纂したのは17世紀初頭だから、グリムより200年ほどさかのぼります。
時代が違いますね~φ(* ̄0 ̄)
バロックの時代です。
バジーレは、バロック好みのやり方で再話しています。

バロック様式
建物でいえばフランスのベルサイユ宮殿。豪華な装飾的傾向をもつ様式です。

『ペンタメローネ』の第5話が、いばら姫の類話「太陽と月とターリア」です。
百聞は一見に如かず。
その冒頭を紹介します。野村泫訳です。

バジーレ←こちら「太陽と月とターリア」

ね、おもしろいでしょ。
グリムと同じように、予言のモティーフはあるし、運命を避けようとしてかえって運命に引き寄せられています。
グリムとちがう(つまり、バロック的な)のは、姫のベッド(笑)
椅子、なんだけどね。
ビロードが張ってあり、金襴で作った天蓋がついています。豪華絢爛。
もうひとつ、父親は、涙を流したすぐあとで愛する娘を「きれいさっぱり忘れ」ています。
これは、ちょっと今の私たちの感覚とちがいますね。
急激な変化を好むマニエリスモ・バロックの傾向が現れている所だそうです。
マニエリスモ・バロックというのは、ルネサンスからバロックに移る途中、主にイタリアにおける美術の様式。注には、不安な時代の状況を反映して、誇張と極端な表現、派手で気まぐれな傾向が目立つとあります。

バジーレの「太陽と月とターリア」では、姫はどのように目覚めるのか。
さっさというと、眠っている姫の所へよその王さまが忍び込んで妊娠させてしまうのです。で、眠ったまま姫は、男の子と女の子の双子を生む。
仙女たちが親子の世話をしているのだけど、ある日、赤ん坊が、母親の指を吸っているうちに、麻の繊維を吸いだしてしまう。そこで、目が覚める。

この目覚めの箇所を、ヤーコプ・グリムは素晴らしいと思ったそうです。
リュティ氏も、ありそうなこととありそうもないことをないまぜるバロック式のやり方が魅力的だと言います。
そして、麻で眠った姫が、麻が抜き取られたから目を覚ますのは、芸術上の節約。
しかも、子どもが無意識に母親を救うのが、意味深いとも。

はい、今日はここまで。
次回は、ペローのいばら姫です。

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今日は七夕。
おはなしひろばに中国の昔話「牛飼いとおり姫」を載せましたよ~
中国の江蘇省に伝わっている話を再話しました。
テキスト欲しいかた、いうてください。

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買い物途中で、学童保育の子に会いました。
思わずハイタッチ。
手のぬくもりが心を温めてくれたよ~(❁´◡`❁)

子ども「バイバーイ。またね~」
わたし「またね~」
ほんとに、またね。その日が早く来ますように。
雨空の向こうの七夕様におねがいしよう。

 

 

 

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