京都府南部は、先ほどやっと雨が上がりました。
あまりにもざあざあ降り続いて恐いほどでした。
九州をはじめ全国あちこちで被害にあわれたかたがた、お見舞いいたします。
出来るときにできる事を。
出来る限り日常を。平常心を。
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『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著 の報告を続けます。
きのうは、ナポリの詩人バジーレの「いばら姫」をみました。
バジーレの昔話集『ペンタメローネ』の日本語訳は、いま古本屋にしかなくて、しかも何万円もする!
でも、今日読むペローの昔話集は、岩波文庫にあるので、読んで見てくださいね。
『完訳ペロー童話集』新倉朗子訳
解説付きでおもしろいです。
バジーレの生没年が 1575?ー1632年。
ペローは1628-1703年。バジーレの次の世代の人です。詩人。
フランス古典主義華やかなりし頃アカデミー・フランセーズの会員であったとあります。アカデミー・フランセーズは、その頃、フランス語やフランスの学問芸術振興のために作られた国立の機関。だから、インテリですね。ルイ14世につかえています。
その社会環境が影響したことを考えてペローの「いばら姫」の再話を読んでみましょう。
「眠れる森の美女」という題です。
おお~、子どものとき観たディズニーの映画の題と同じ!
目覚めの部分を引用します。
「あなたでしたの、王子さま、ずいぶんお待たせになりましたわね」
王子はその言葉に、というよりはその口調にうっとりとなった。王子は自分の喜びと愛情をどう言い表したらよいのかわからなくて、
「自分自身より、もっとあなたを愛しています」といった。王子の言葉は少しごたごたしていたけれども、それが一層姫には気に入った。口数の少ない方が愛は深い、というではないか。
王子は姫よりずっとどぎまぎしていたが、別に不思議はない。なにしろ、姫には言うべきことを考える時間がたっぷりあったのだから。
なんか、めっちゃ笑えません???
リュティ氏、いわく。
ここには、グリムの場合とはちがって、慇懃(いんぎん)なサロンの反語法がある。
さらに、姫の服装が「おばあさんの着物」みたいだったり、音楽は美しかったけれど100年ほど前から演奏されなくなった古い曲だったりまします。
つまり100年の年月の経過を描いているのです。
このようなペローの再話法は、昔話の文体に違反しています。
昔話は時間の経過がない「無時間性」という性質があるからです。(こちら⇒昔話の語法)
でも、ここでは、それがかえって、姫に変化がないことを際立たせていると、リュティ氏はいうのです。
さて、「眠りの森の美女」には、「太陽と月とターリア」と同じく、グリムにはない後半がくっついています。
子どもが生まれて、姫と子どもたちが、義理の母親に苦しめられ、殺されそうになる。けれども、刺客によって助けられる、という話です。
この部分は、余計なつけたしとは言い切れないとリュティ氏は言います。
死の脅威と救済というテーマがここでもう一度かき鳴らされるのだから、たとえこの部分がよそから来たものであるとしても、他の部分と実によく合っている。これは、ライトモチーフの変奏である。
おい、おしまい。
次回は、類話比較の注意点。
これ以上雨が降りませんように。
崖や山間部を行くときは、土砂崩れに警戒してください。