マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第5章生きている人形ー伝説と昔話
ここでは、生きている人形が主人公の伝説と昔話を比較して、その表現の特徴を考えます。
以下の写真はスイスのウーリ州のアルプスの伝説、全文です。
引用
伝説とは、恐ろしい出来事、不快な出来事に関する報告ー時としてまったく様式化されていない報告である。その点で物語の原型といえる。
たしかに、恐ろしいですよねえ。
どうしてこんな恐ろしいストーリーが伝わるのか。
白い霧とか、光の輝きとか、風のざわめきに、人が驚いたとする。
↓
あれは、白い女だ、真っ赤な男だ、狩りの一行の物音だ、と解釈する。
これは、恐れを克服する第一歩。
↓
白い女は救いを求める哀れな魂である、赤い男は傲慢を戒めている、狩りの一行は死者の群れである、とさらに解釈する。
その結果、説明されればある程度落ち着くことができるけれど、いっぽう、死者の世界と接触するんだから、さらに恐怖はつのることになる。
なるほどね。
じゃあ、この恐さは、文体の表現の面から見るとどう説明できるんだろう。
昔話は現実を抽象するが、伝説は現実的な想像を強いる。
この伝説の類話にこんなのがあるんだって。その最後の場面ね。
「(妖怪は)残った男の血まみれの皮を小屋の屋根に広げていた。それを見てみんなは恐れおののいた。それ以来、そこは屠殺(とさつ)の山と呼ばれている」
ね、現実的な想像を強いてますよね。
昔話ではどうでしょう。
ルンペルシュティルツヒェンはわれとわが身を引き裂きますが、紙の人形がまっぷたつになるイメージですよね。悪いお妃が四頭の馬に引き裂かれても血は流れない。狐の手と首を切り落としても血は出ない。リアルさがない。抽象的なのね。
昔話の平面性(こちら⇒)です。見てね。
あ、断っときますが、伝説って怖い話ばかりじゃないけど、ここでは恐い話を例に挙げてるのね。分かりやすいから。
次回は、生きている人形の出てくる昔話をみます。
リュティさんは、伝説から昔話へ戻ると、まったくほっとする、といいます(笑)
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きのうは、おはなしひろば、「三枚の鳥の羽」をアップしましたよ~
おはなしひろばも開設してそろそろ1年になる。コロナ騒動からほぼ毎日更新してたから、ずいぶん増えて189話になった。
今後、《おはなしひろば》の話を増やすのと、《日本・外国の昔話》の話を増やすのと、どっちがいいかなあと迷ってる。
今ね、《日本~》は83話、《外国》は76話。
暑いしちょっとペース落ちそうやし。