月別アーカイブ: 2020年7月

いばら姫~ペロー🎨

京都府南部は、先ほどやっと雨が上がりました。
あまりにもざあざあ降り続いて恐いほどでした。
九州をはじめ全国あちこちで被害にあわれたかたがた、お見舞いいたします。

出来るときにできる事を。
出来る限り日常を。平常心を。

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『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著 の報告を続けます。

きのうは、ナポリの詩人バジーレの「いばら姫」をみました。
バジーレの昔話集『ペンタメローネ』の日本語訳は、いま古本屋にしかなくて、しかも何万円もする!
でも、今日読むペローの昔話集は、岩波文庫にあるので、読んで見てくださいね。
『完訳ペロー童話集』新倉朗子訳
解説付きでおもしろいです。

バジーレの生没年が 1575?ー1632年。
ペローは1628-1703年。バジーレの次の世代の人です。詩人。
フランス古典主義華やかなりし頃アカデミー・フランセーズの会員であったとあります。アカデミー・フランセーズは、その頃、フランス語やフランスの学問芸術振興のために作られた国立の機関。だから、インテリですね。ルイ14世につかえています。

その社会環境が影響したことを考えてペローの「いばら姫」の再話を読んでみましょう。
「眠れる森の美女」という題です。
おお~、子どものとき観たディズニーの映画の題と同じ!

目覚めの部分を引用します。
「あなたでしたの、王子さま、ずいぶんお待たせになりましたわね」
王子はその言葉に、というよりはその口調にうっとりとなった。王子は自分の喜びと愛情をどう言い表したらよいのかわからなくて、
「自分自身より、もっとあなたを愛しています」といった。王子の言葉は少しごたごたしていたけれども、それが一層姫には気に入った。口数の少ない方が愛は深い、というではないか。
王子は姫よりずっとどぎまぎしていたが、別に不思議はない。なにしろ、姫には言うべきことを考える時間がたっぷりあったのだから。

なんか、めっちゃ笑えません???
リュティ氏、いわく。
ここには、グリムの場合とはちがって、慇懃(いんぎん)なサロンの反語法がある。

さらに、姫の服装が「おばあさんの着物」みたいだったり、音楽は美しかったけれど100年ほど前から演奏されなくなった古い曲だったりまします。
つまり100年の年月の経過を描いているのです。
このようなペローの再話法は、昔話の文体に違反しています。
昔話は時間の経過がない「無時間性」という性質があるからです。(こちら⇒昔話の語法)
でも、ここでは、それがかえって、姫に変化がないことを際立たせていると、リュティ氏はいうのです。

さて、「眠りの森の美女」には、「太陽と月とターリア」と同じく、グリムにはない後半がくっついています。
子どもが生まれて、姫と子どもたちが、義理の母親に苦しめられ、殺されそうになる。けれども、刺客によって助けられる、という話です。
この部分は、余計なつけたしとは言い切れないとリュティ氏は言います。
死の脅威と救済というテーマがここでもう一度かき鳴らされるのだから、たとえこの部分がよそから来たものであるとしても、他の部分と実によく合っている。これは、ライトモチーフの変奏である。

おい、おしまい。
次回は、類話比較の注意点。

これ以上雨が降りませんように。
崖や山間部を行くときは、土砂崩れに警戒してください。

 

いばら姫~グリムとバジーレ👢

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著 報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形 つづき

前回の話では、グリムさんは、口承をそのまま本にしたのではなくて、再話したのでしたね。
再話するとき、再話者の文学的な好みや素養とか、道徳や人生観など考え方とかが、表現や内容に自然と現れてくる。
そして、文学的好みや考え方は、その人が生きた時代の影響を強く受ける。

では、グリム兄弟はどのような時代を生きたか。
ロマン派とビーダーマイヤーの時代でした。
だから、ロマン派好みの森と花の詩情や変転きわまりない反語(イロニー)法が、ビーダーマイヤーの生の感情であるこまやかな心情と結びついて出てくると、リュティ氏は言います。

「反語法」は、19世紀初頭のドイツ・ロマン主義の創作活動の中心になる考えであり方法です。
「いばら姫」の「目覚め」の箇所のグリム兄弟のおふざけがそれにあたります。
ここで説明するの難しい。ごめん。

「ビーダーマイヤー」は、ロマン派の直後の文化活動。
地味な市民の生活態度と一致する簡素で細やかな調子と、注にはあります。

で、そういう時代の風潮の中で書かれたけれども、その後200年の間、グリム童話が世界じゅうで読まれていることを思えば、グリム童話には時代を超えたものがあるといえます。
そしてまた、ロマン派とビーダーマイヤーの時代じたいが、あらゆる時代あらゆる人間に通じる感じ方を純粋に力強く展開した時代だったといえるのではないかと考えられます。

では、つぎ、バジーレに行きます。
バジーレはイタリアのナポリの詩人。
昔話集『ペンタメローネ』を編纂したのは17世紀初頭だから、グリムより200年ほどさかのぼります。
時代が違いますね~φ(* ̄0 ̄)
バロックの時代です。
バジーレは、バロック好みのやり方で再話しています。

バロック様式
建物でいえばフランスのベルサイユ宮殿。豪華な装飾的傾向をもつ様式です。

『ペンタメローネ』の第5話が、いばら姫の類話「太陽と月とターリア」です。
百聞は一見に如かず。
その冒頭を紹介します。野村泫訳です。

バジーレ←こちら「太陽と月とターリア」

ね、おもしろいでしょ。
グリムと同じように、予言のモティーフはあるし、運命を避けようとしてかえって運命に引き寄せられています。
グリムとちがう(つまり、バロック的な)のは、姫のベッド(笑)
椅子、なんだけどね。
ビロードが張ってあり、金襴で作った天蓋がついています。豪華絢爛。
もうひとつ、父親は、涙を流したすぐあとで愛する娘を「きれいさっぱり忘れ」ています。
これは、ちょっと今の私たちの感覚とちがいますね。
急激な変化を好むマニエリスモ・バロックの傾向が現れている所だそうです。
マニエリスモ・バロックというのは、ルネサンスからバロックに移る途中、主にイタリアにおける美術の様式。注には、不安な時代の状況を反映して、誇張と極端な表現、派手で気まぐれな傾向が目立つとあります。

バジーレの「太陽と月とターリア」では、姫はどのように目覚めるのか。
さっさというと、眠っている姫の所へよその王さまが忍び込んで妊娠させてしまうのです。で、眠ったまま姫は、男の子と女の子の双子を生む。
仙女たちが親子の世話をしているのだけど、ある日、赤ん坊が、母親の指を吸っているうちに、麻の繊維を吸いだしてしまう。そこで、目が覚める。

この目覚めの箇所を、ヤーコプ・グリムは素晴らしいと思ったそうです。
リュティ氏も、ありそうなこととありそうもないことをないまぜるバロック式のやり方が魅力的だと言います。
そして、麻で眠った姫が、麻が抜き取られたから目を覚ますのは、芸術上の節約。
しかも、子どもが無意識に母親を救うのが、意味深いとも。

はい、今日はここまで。
次回は、ペローのいばら姫です。

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今日は七夕。
おはなしひろばに中国の昔話「牛飼いとおり姫」を載せましたよ~
中国の江蘇省に伝わっている話を再話しました。
テキスト欲しいかた、いうてください。

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買い物途中で、学童保育の子に会いました。
思わずハイタッチ。
手のぬくもりが心を温めてくれたよ~(❁´◡`❁)

子ども「バイバーイ。またね~」
わたし「またね~」
ほんとに、またね。その日が早く来ますように。
雨空の向こうの七夕様におねがいしよう。

 

 

 

立ち止まって考える~京都大学オンライン公開講座🎊

先週土曜日から始まった、京都大学人社未来形発信ユニットのオンライン講座φ(* ̄0 ̄)
無料で、こんなすごい話が聞けるなんて~
みなさま、おすすめです!
こちら↓

【オンライン公開講義】“立ち止まって、考える”

えっと、哲学と、倫理学、環境史などなど、人文系の先生方の講義です。
人文っていったら、昔のイメージでは、机に座ってただ考えるだけの実際には役に立たない学問みたいに思うでしょ。
いやいや、そうじゃなくて、アフター・コロナも含めコロナ禍の今を生きる私たちに直接訴えかける学問なんですよ。

たとえば、オリエンテーションで、大学総長の山際寿一さんがね、人間を考えるには一千万年さかのぼって考えたほうがいいって。
それから、ゲストの安藤忠雄さんが、人生は一回限りなんだから、自分で考えて自分で行動しようよって。それって、日本人は苦手だけれど。

わたし、こういう考え方、好きだなあヾ(≧▽≦*)o

講義は、7月4日から8月8日まで。
一コマ約1時間。
ライブで聴けなくてもアーカイブがあるからOKですよ~

 

いばら姫~グリム兄弟の再話✨

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』マックス・リュティ著 報告

「いばら姫」ー昔話の意味と外形 つづき

前々回はテーマ、前回は材料について考えましたね。
今日は、文章についてです。
グリム兄弟が、死と復活というテーマを、世界のあらゆるものを材料に使って、どのように表現したかを考えるのが今日の目標。

グリム兄弟は、口伝えの資料をそのまま本に載せたのではなく、再話して本にしました。彼らの文学的センスをもとに再話したのです。

リュティ氏は、「発端」と「眠りから目覚め」の2か所を例に挙げて説明しています。

「発端」
きのう見た所ですね。冒頭から15歳になるまでの部分。
リュティ氏は、この部分を予言のモチーフでみたされているといいます。

*蛙が娘の誕生を予言する。
*占い女たちが、この子に、徳、美しさ、富などを予言する。
*13番目の女が、姫は15歳になったら死ぬと予言する。
聞き手はここで、はっと息をのみます。
*12番目の女が死の予言を百年の眠りに変える。
聞き手の緊張は和らぐけれども、すぐに、この予言は果たして実現されるのだろうか、実現されるとすればどういう具合に行われるだろうかと疑問が生まれる。
まことに劇的な発端です。

「眠りから目覚め」
姫がつむを刺して百年の眠りに落ちるとき、城のあらゆるものが眠りに落ちます。とても印象的な場面です。
また、姫が目を覚ますとき、全てのものが目を覚まします。この愉快な場面はいつまでも心に残ります。
(子どもたちに語ると、必ず、小僧をひっぱたこうとして手を振り上げる動作をする子がいます。その子たちは、たいてい目をつむっています)

この部分をエーレンベルク稿と七版で比較してみましょう。
エーレンベルク稿は、グリムが口伝えを聞き取ったときのメモ書きです。

エーレンベルク稿
「その瞬間に、王さまと宮廷の人たちも、みなもどってきて、城の中では、あらゆるものが眠りはじめました。壁のハエも眠りはじめたのです。」
七版
「ちょうどその時帰ってきた王さまとお妃も、おつきの人たちとともに眠りました。庭の馬も眠ったし、ブチの猟犬も眠りました。屋根の上の鳩も、壁の蠅も眠りました。台所でメラメラ燃えていた火もしずまり眠りこみました。焼肉はじゅうじゅういうのをやめ、料理人は何か失敗をした小僧をひっぱたこうとして手を振り上げたまま眠りました。お手伝いさんは羽をむしっていた黒い鶏を前に置いたまま眠りました。風も止まり、城の前の木々の葉も眠りました。あたりは静まりかえりました。」

ね、こんなに長くなってるんですよ。
壁のハエが眠ったことを、グリム兄弟は面白いと思ったのでしょう。想像を膨らませたのです。おかげて私たちは、城の中のあらゆる場所を見ることができます。

王子が城に入っていくところはこんなふうです。

エーレンベルク稿
王子さまは、お城の中へ入っていくと、の眠っている王女にキスをしました。すると、みんな、眠りから目を覚ましました。)」
七版
「王子は城の中へ入っていきました。庭では馬が眠っており、ブチの猟犬も眠っていました。屋根の上では鳩が小さな頭を羽の下に突っ込んで眠っています。建物の中へ入っていくと、蠅が壁で眠っていました。台所では、料理人が手を振り上げたまま眠っています。お手伝いさんは、黒い鶏を前に置いたまま眠っていました。王子はどんどん奥へ入っていきました。見ると、おつきの人たちがみな横になって眠っています。玉座では、王さまとお妃が眠っていました。」

王子が姫を見つけてキスをするところも、七版ではたいへん劇的になっています。
つぎは目覚める場面。

エーレンベルク稿
「すると、みんな、眠りから目を覚ましました。」
七版
「王様とお妃も目を覚ましました。おつきの人たちもみな目を覚まし、びっくりしてお互いに顔を見合わせました。庭の馬は立ち上がって身震いをしました。ブチの猟犬はとびあがってしっぽを振りました。屋根の上の鳩は小さな頭を羽の下から持ち上げ、辺りを見回して野原へ飛んでいきました。壁の蠅はまた動き出しました。台所では火が燃え上がり食べ物を煮始めました。焼肉はじゅうじゅう言い始めました。料理人は手を振り下ろして、小僧のほっぺたに一発食らわせました。小僧は大声をあげて泣きました。お手伝いさんは黒い鶏の羽をむしり終えました。」

この目覚めの場面、おもしろいですよね。
昔話は、本来、描写はしないでストーリーのみで進行しますね。
エーレンベルク稿ではそうでした。
ところが、グリム兄弟は、「いばら姫」のこの「眠りから目覚め」の部分で情景描写を入れたのです。

この部分、リュティ氏は、こう説明しています。
生命が静止し突然また動き出す様を、いかにも面白おかしく描いて見せるが、まるで機械仕掛けのおもちゃが止まってしまったので、ぜんまいを巻いたらまたとことこ動き出したような感じがする。
そして、こう言います。
ふたりの愛はあたりの滑稽などたばた騒ぎにかくれて人知れず清らかに進行する。
まあ~、なんて素敵な解釈でしょヽ(✿゚▽゚)ノ
そして、この描写分は、グリム兄弟が思い切りふざけた部分で、あとは、またすぐに、口承本来の簡素な形に戻しているから、よしとしようとリュティ氏は、いっています。

はい、今日はここでおしまい。
次回はイタリアとフランスの「いばら姫」を読みます。

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今日は月曜、HP更新の日です。
《外国の昔話》を更新しました。
モンゴルの怪談話「知らない旅人」
子どもは恐い話が大好きですね。
でも、恐い話は、信頼する人から、安心できる環境で聞くから面白いんですね。
だから、おはなしひろばにはUPしません。
みなさん、覚えて語ってください(^∀^●)
来週からしばらく、HP更新は、夏に向けての恐い話特集をします。
お楽しみに~

 

いばら姫~含世界性☔

よく降りますね...{{{(>_<)}}}
台風でもないのに、またまた洪水や土砂崩れが起きています。
みなさまのところはご無事でしょうか(⊙_⊙;)

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『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形つづき

前回の最後のところでは、恵みと脅しの極端な対比が書いてありました。
わたしたちが人生で出くわす色んなことには、確かに二面性がありますね。
昔話ではそれが象徴的に描かれているんだと思います。

今日は、昔話は短いけれども、「世界を包括している」ことについてです。
《昔話の語法》のページでは、含世界性という言葉で説明しています。こちら⇒
難しいから、ちょっとずつ進めますね。

「いばら姫」の発端部を見ていくとこんな具合です。
冒頭から姫が15歳になるまでの所で、何が描かれているでしょう。

動物(かえる)ー人間(王、お妃)ー(泉、城)
植物(木の葉、いばら)は、ストーリー進むと出てきますね。
これらは世界を構成している基本的なものです。

目に見える自然としての
ストーリーが進むと、(つむを燃やす)や(城が眠りに落ちるところ)もでてきます。

人間の世界は、子どもで代表される。

物でいえば、
働く日の物(つむ)と、祭りの日の物(金の皿)があります。

感情でいえば、
不足(子どもがいない)、あこがれ(子どもが欲しい)、苦しみ(子どもが生まれない)、喜び(子どもが生まれる)、驚き(13人目の女が入ってくる)、希望(12人目の女が贈り物をしていない)、辛さ(呪いを聞いた王)、短気(13人目の女)、復讐心(13人目の女)、同情(12人目の女)、悲しみ(呪いを聞いた王)。

行為でいえば、
失敗(13人目の女を招待しなかった)、声高い弁舌沈黙慰めの言葉

此岸(人間の世界)と彼岸の世界(予言するかえる、願や呪いをかける賢い女たち)。

こんなふうにして、「いばら姫」というたったひとつの話でも、その発端から、世界のあらゆるものが登場します。世界を包括し(ひっくるめて一つにまとめ)ようという意思が、昔話には働いているようです。

リュティ氏は、このことを、次のように言います。
昔話は小規模な宇宙である。

はい、おしまい。
次回は、グリム兄弟の再話法についてです。