昨日は黄砂で、晴れているのに空が青くなかった・・・(;´д`)ゞ
今日は少しマシですね。でもすっきりしない。
マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第5章 賢いグレーテル
なぜ私たちは、後ろ向きの「幸せハンス」を楽しく朗らかな気持ちで聞く(読む)ことができるかでしょう。というのが、今日の課題ヾ(•ω•`)o
リュティさんは、ふたつのことを言っています。
ひとつは、ハンスを笑いものにする、つまり、優越感を味わうのだということ。
それは悪いことではありません。
落語の主人公や漫才のぼけ役、サーカスのピエロや道化師と同じ役目があるってことです。
もうひとつ、こちらのほうが大事なのですが、ハンスといっしょにわたしたちも喜ぶんだということです。
物事を軽く処理するハンスのやり方はすばらしいです。
もう一度読み(聞き)なおして見てください。
引きつったような状態からの解放、緊張からの解放、あきらめの能力、断固として楽なほうを取りつらいほうを取らぬこと、義務の免除を求め、高尚な課題を負わぬこと、それらが、生のリズムの一部をなしていると、リュティさんは言います。
徹底していますよね。わたしたち、人生だけでなく、日常生活でさえ、ここまで徹底して楽なほうを選ぶことができますか?
ハンスはできるんですね。
今直面している困難を、こんなふうに回避できたらどんなに幸せだろう。その気持ちが、朗らかな笑いになるのです。
魔法昔話(本格昔話)では、主人公は、危険や難しい課題に真剣に取り組みます。高い目標や高い価値に向かって精いっぱい努力します。グリム兄弟は、その緊張をゆるめるかのように、笑い話をいくつか混ぜています。
人生にはどちらも必要だということじゃないのかな。
グレーテルは、ごちそうを食べることしか考えていませんね。でも、飲み食いのすばらしさを肯定することも、生の一部だとリュティさんは言います。
同じように、ハンスです。
物事に満足し、折り合いをつけ、不快なことを振り払うハンスのやり方をなにがしか身につけることは、だれにも必要なことなのです。
なんだか、ほっとするね(笑)
私たちのうちには誰にでも、賢いグレーテルや仕合せハンスのようなところがなにがしかある。そして、人間存在のこうした面を肯定はするが、生の中心にはすえないというのは、私たち自身の問題である。
そう考えると、ドラマティックな話から笑い話まで、昔話にはいろんな姿の話がある意味がよく分かります。
昔話は諸々ひとまとめにして人間を語ってるんですね。
「幸せハンス」には類話がたくさんあります。
この章では、リュティさんはアンデルセンの「父さんがすることはいつもよし」を取り上げています。次回はこれね。
読んでおいてくださいね~。
『完訳アンデルセン童話集5』大畑末吉/岩波文庫
『子どもに語るアンデルセンのおはなし2』松岡享子編/こぐま社「おとっつぁんのすることは、いつもいい」
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月曜日の更新は《外国の昔話》で、イタリアの「三つのオレンジ」。
すでにアップしてたはずなんだけど、なぜか行方不明に。(っ °Д °;)っ
で、テキストをさらに改訂したものを載せました。