日別アーカイブ: 2022年1月1日

新しい年になりましたよ~🎍

みなさま
つつがなく年を越されましたでしょうか?

わが家は、台所のスポンジがなぜ汚くなるか、言い合い喧嘩で一年を閉じました。
元旦、夫婦で誓いました。
今年はスポンジのことで喧嘩はよそうと。

どうか、みなさまにとって良いお年になりますように、心からお祈りいたします。

『語りの森昔話集』は、元の話(原話)を採録したり翻訳したりした研究者の先生方のOKを頂いて再話(私の文章に)しています。
それで、そのお礼とご批評をいただくために、先生方に出来上がった本をお送りしています。
すると、本、届きましたよ~のお便りをくださいます。
そこに書いてくださっている内容が、含蓄が深いんですよ。
少し紹介しますね。

ロシア文学のN先生から
小学生くらいの子供に読み聞かせてそのまま理解できるような形にすること、それは非常に大切なことです。本来原話は大衆に分かるように語られていたものと思われますが、翻訳者にはなかなかそこまでくだけた形にできないのです。外国語の翻訳者だけでなく、日本の昔話の場合も同様であると思います。(略)原テキストを大胆に改変しても許されると考えています。

このお言葉には、たいへん勇気づけられました。
たいせつな座右の銘です。

ドイツ文学のN先生から
日本ではメルヒエンに教訓をつけるのが、明治以来のグリム導入の初めからありますが、その気配がないのが良いと思いました。

教訓!
昔話に教訓を読み取るっていうのは、せいぜい、明治以降なんだ~
人まねをしてはいけないとか、欲張ってはいけないとか、誠実であれとか。
いろんな昔話をみていると、主人公は必ずしも優等生ではなくて、欠点のある者が右往左往しながら時に助けてもらいながら幸せになるのがほとんど。それがいいなあと思って再話してるんだけど、なんか、昔話観を認めてもらった感じ。うれしい~

日本口承文芸のT先生
T先生からは、最近の御著書をご恵贈いただきました。
『チャンポンと鳴る鼓滝』吉備人出版
その「あとがき」です。
「民話は語り手と聞き手の共同作業の産物」である。同じ語り手による同じ話でも、聞き手によって内容が異なる。長くも短くもなり、また、語られないこともある。そういう意味では、聞き手の役割は大きい。
私は、長い間、口承文芸の採録を行ってきたが、語り手と心を一つにすることが、語りを聞く場合、最も大切なことだと思っている。

聞き手あっての語り、肝に銘じます。
大人どうしの語りの会、語りを引き出す聞き手の力ってあるんですね。きっと、伝承の語り手だけじゃなくて現代の語り手にもあると思います。大いに反省。
それと、やっぱり聞き手の子どもを育てなくっちゃね。
コロナ後の課題やね。

とまあこんなわけで、新年早々まじめ~なおはなしでした。
今年も、語りの森は走って行きますから(青息吐息か?)、どうぞよろしくお願いいたします(❤´艸`❤)