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12月 おはなし初級講座

師走です。一年があっという間ですね。

先日12月のおはなし初級講座がありました。2017年度の初級講座最終回です。

語り
「うさぎのなみだ」『ロシアの昔話』福音館書店
「雪おなご」『日本の昔話5』福音館書店
「メケー・ドマ」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
「七羽のからす」『おはなしのろうそく10』東京子ども図書館
「かえるの聞きじまい」『日本の昔話2』福音館書店

おまけの語り
「一足のくつ」『木曜日はあそびの日』グリパリ作/金川光夫翻訳 岩波少年文庫

毎度のことですが、みなさんの勉強熱心な姿勢が語りに現れ、聞いていてとても楽しい発表でした。

このおはなしは何を伝えたいおはなしなのか、他にどんな類話があるのか、この場面の語法はなど、そういったことを突き詰めて考えれば、ストーリーテリングの勉強はとても奥が深くて終わりがないように思います。
2017年度の初級講座は今回で最終回ですが、2月から名称を初級クラスと変え、新しい受講生も加わって(?)まだまだお勉強は続きます。

もっちは今回で初級講座を卒業ということになりましたが、まだまだおはなしおばさんとしては、初心者マークを外れたばっかりみたいなひよっこで、お勉強はまだまだ続きます。というか、ヤンさんでも、高名な全国を講演して回っている先生方でも勉強は続けられているのでしょう。人生是勉強也。

拙い文章でしたが、初級講座レポートに一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。

来年度もバトンを渡して続きます。(たぶん)

どうぞよろしくお願いいたします。

少し早いですが、みなさま良いお年をお迎えくださいませ。

11月 おはなし初級講座

先日、11月のおはなし初級講座がありました。

語りは5つです。

「だんまりくらべ」『子どもに語るトルコの昔話』(こぐま社)
「岩くだきと堂せおいと知恵もん」『日本の昔話5』(福音館書店)
「さめにのまれる」『日本の昔話2』(福音館書店)
「たこやき」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』(語りの森)
「三枚のお札」『おはなしのろうそく5』(東京子ども図書館)

もひとつおまけに、ジミーさんが語ってくださいました。

「りこうなまほうのとり」

「たこやき」は現代の民話として伝わっているそうで、短いですが面白いおはなしです。
関東ではたこやきではなく「しゅうまい」になっているのだそうです。

トルコの「だんまりくらべ」は長いのですが、生真面目に誰が来てもだんまりを決め込む旦那さんと、さっさと外に出て喋っている奥さんの対比が面白いです。
日本の「だんまりくらべ」の類話です。

みなさん、すごく上手になられて、またアドバイスはその人のステップアップには何が必要かという内容になってきているために、あまりブログにて報告することが少なくなってきていますが、講座のなかでは質問が飛び、他人のアドバイスをメモする受講生の姿が見られます。自分の語りに応用できることと、そうでないことはあるのですが、みなさん真剣に取り組んでおられます。
今期の初級講座は来月のあと一回です。
今年はインフルエンザワクチンの数が少ないようですね。みなさん学校や幼稚園にボランティアにいらっしゃることでしょうし、体調管理には十分お気を付けくださいね。
って、木枯らしが吹いて早々風邪をひきこんだもっちに言われても…というため息交じりの声が聞こえるような気がいたします。

11月の中級講座

こんにちは!
11月の中級講座の報告をします!(^^)!

1.「九人のきょうだい」(語り)
出典は、君島久子訳の『白いりゅう黒いりゅう』(岩波書店)です。
絵本もありますね。
これは読み物なので、とうぜん語るために作られたテキストではありません。
でも、そのままをていねいに語ってくださり、よくわかりました。
おはなしを選ぶときに、語りに焦点を当てて出版されているものは少数ですよね。
そのままを丁寧に語るというのも一つの方法だと確認しました。
『王さまと九人の兄弟の世界』という本(作者同じ)も紹介してくださいましたので、参考にしてお話の理解を深めて語る事も重要なんだと思いました。
そして、再話力を高めることは、今回のような場合にも大変重要で役に立つと思いました。

2.「かえるの王さま」(レポート付き)
語りについて焦点となったのは、「姫の視点で語る」です。
お姫さまが王子様と仲良く一緒に眠る、そこまではずっとお姫さまからストーリーを見ていないといけません。
聞き手は、お姫さまの気持ちになって聞いているからです。
以下、ジミーの言葉で変換してみます。
お姫さまからみて、気持ち悪いカエルがまりをひろってくれた、そして次の日厚かましくお城に来た。
お姫さまが、優しい父親と思っていた王さまから厳しいことを言われた。
そしてとうとう、気持ちの悪いカエルが最高に厚かましくて耐えられない要求をしてきた。
だからお姫さまは、もう我慢の限界でキレてカエルを壁にたたきつけた。

そして、ハインリヒが出てきてからは、親の無償の愛を語る。
ああ、ほんとにええ話や、ほんと、たまりません!
と、勉強会では思いっきり感情移入して講義に聞き入っていたのでありました。
それと、テキスト比較も大変勉強になりました。
いちどにたくさんのテキストを見られるのは嬉しかったです。

3.ヤンさんの飛び入り(語り)
「一足のくつ」『木曜日はあそびの日』グリパリ作(岩波少年文庫)
ラッキー、この日も出ました!
今、中学校で語られているおはなしです。
中学生にもなるとこのようなおはなしのおもしろさが語りで十分わかるんですね。
でも、わたしに一番ツボなのは「老けていくことを止めることはできませんもの」ですね。
グリパリさん、この台詞はおばちゃんにはきついです(笑)

4.そして、継続して読み込んでいる「呪的逃走話」を1話みんなで読んでいきました。
あっという間に時間が過ぎて1話で終了。

今回は、季節柄喉を傷めたり風邪をひいたりと、病気のための欠席がありました。
みなさん、体調管理には気をつかっておられるはずですが、どうしてもこの季節は、特に喉を使うわたしたちは辛いですね。
注意の上にも注意をしましょう!
次回は2か月後、みなさん元気で集まれますように(^^♪

第3回、昔話の語法講読会レポート📖

 これまで一次元性、平面性、抽象的様式と昔話の語法を講読してまいりまして、先日、3回目の昔話の語法講読会がありました。
 今回は『孤立性と普遍的結合の可能性』です。

 これまでのことをざっくりまとめるならば……話のすじに不必要、もしくは横道に反れそうな情報、設定はそぎ落とし、主人公にとってのハッピーエンドに向かってストーリーは一直線に進むというのが昔話、という感じでした。ざっくり過ぎたでしょうか。
 昔話は口で語られ、耳で聞く文芸ですから、言葉が発せられた瞬間しか存在しない。だから、抽象的に、極端に、同じ場面を同じ言葉で繰り返しことで聴き手がイメージしやすいように工夫がされているのかな、と思います。でも、だからといって、すべての昔話が語法にきっちりと則っているかというと、そうではないのだそうです。むしろ、語法にすべてがきちんと則っている昔話はひと握りだとか。
 なるほど、だから、どの先生も「この語法は白雪姫のこの部分」「この語法はこのお話のあの部分」とたくさんある昔話の中から探して例を挙げてくださっているわけですね。完璧なテキストばかりならば、あちこちから厳選して挙げる必要がありませんものね。

 と、話は変わりまして、今回の孤立性と普遍的結合の可能性ですが。つまり、登場するすべてのものが孤立した存在であるがゆえに、なんにでもくっつけられるという性質をもっているといった話です。すんごい金持ちか貧乏人か、美しいものか醜いものか、昔話は登場人物も物も極端なものが出てきます。そのものを見たことがなくても、想像しやすいですよね。それほど金持ちではないけれども貧乏でもない主人公とか、特別美人でもないけど醜くもない中年の魔女とか、そこそこ悪いこともしてるけど根は善人とか、黒と白の中間色とかってわかりにくいです。そんな昔話はっきりいって面白くない…。
 で、極端な存在って、端っこですから、白か黒なわけですから孤立した存在なわけです。
 この孤立性の説明を聴いているときに、私は昔の生薬を入れる引き出しのたくさんある薬箪笥をイメージしました。社会的背景も肉体的にも厚みのない、ストーリーに必要なときだけお呼びがかかる登場人物やアイテムが整理されてはいってます。それを使って女の子が人形遊びをするようなイメージ。今の子ども事情は分かりませんが、かなりご都合主義的に即興でストーリーを組み立てながら遊んだ記憶がよみがえりました。山は山で、お城はお城でしかなくて、老婆は老婆の役割しかありませんでした。
 そして、物や人だけでなく、エピソードも孤立しています。というか、カプセルに閉じ込められているようで、他のエピソードに影響を与えない。
つまり経験が生かされない。だから白雪姫は何度も殺されるし、かしこいモリーの大男やジャックと豆の木の大男は宝物を奪われちゃうんです。なんでって、その繰り返しが聴き手には楽しいからでしょうね。
 それぞれのエピソードは殻に入れられていて、他のエピソードに影響は与えないけれども、ど真ん中には聴き手を楽しませたい、主人公をハッピーエンドに導きたい、こんなお話にしたいといった『話のすじ』と伝承の語り手の『昔話の形式意志』がズドンと突き刺さっているんです。まるで串団子のようにくっつけているイメージです。団子(エピソード)自体は孤立しているけども、全体(ストーリー)からみればくっついている。外的孤立性と、内的には孤立していない、というワードを私はこのようにイメージしてみました。そこに前述した色々なものがトッピングされてひとつのお話を形成している。
 だから、こうこうこういうことがあって、同じことを三回繰り返したように聞こえるけども、主人公の旅は少しずつハッピーエンドに近付いていっている。だからこそ、子どもたちは「あほやな~」と笑いながら、ハラハラしながら、「ほんで、次どうなるの?」となるのでしょうね。

 さて、みなさんはどのようにイメージして理解されたでしょうか。
 同じようにイメージする必要はありません。間違っているかもしれないし、余計難解になっているだけかもしれません。
 自分だけの言葉で理解したほうが、飲み込みやすいのではないかなと思うので、自分の言葉でまとめてみてくださいね。
 それにしてもテキストの著者、小澤俊夫先生は音楽的アンサンブルに例えていたのに、私は団子・・・どんだけ食いしん坊なのか(;´Д`)

 次回は昔話の「贈物」です。
 
 
 

再話勉強会

ジミー続投です(笑)
今週、今年度2回目の再話勉強会がありましたので報告します(^.^)

今回は、全員で原話を一から再話していく方法で勉強会が始まりました。
原話はあらかじめ決めてあり、各自にいきわたっておりました。
でも、原話を読むだけです。
原話を選んできた担当者も、再話はしてこずにみんなで一緒にやりました。
原話は次の二つ。
「九羽の雌鶏と一羽の雄鶏」『オルトゥタイ ハンガリー民話集』徳永康元・他編訳 岩波文庫
「もぐらととんび」『新装日本の民話7』岡節三・他編 ぎょうせい

わたしはですね、原話は読んでたんです。
でもそれだけでは足りないと思って、自主練で文法指摘をしておこうとも思ってたんですが時間がなかったんです!
(時間がない。「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」ほんとに誰も知りませんか? 孤独やわ~)
で、再話がなかなかできず、言葉が出てこないんですよ。
ヤンさんがあの手この手で助け船、誘い水、なだめたりすかしたり(笑)
いろいろ言葉を尽くして説明して、文章や言葉を思いつかせようとしてくれるんだけども、「出ない」の連続。
ほんとに、講師って大変ですね。(←そっちではない!)
でも、出来上がった時はとてもうれしい(^.^)
が、しかし、これは全く完成ではないのであります!
次回までに覚えて微修正・調整して、(あるいは、微ではないことになるかもしれない可能性もあり)みんなの前で聞いてもらいます。
口に乗るか、耳で分かるか、そこを通過できて初めて(テキストとして一応の)完成なのでございます。
言葉がでてこないもどかしさをさんざん味わったのに、しかしそのあと再話とは面白く楽しいと思うのは、自分の性格なのか中毒性があるのか…。
それはどうでもいいんですが、どうでもよくないのは宿題です。
みんな、がんばりましょう\(^o^)/