ぽんです。
また、寒くなりましたね。
冬なんだから仕方ないんですが・・・。
そういえば、2ヶ月ほど前にテレビで『今年の冬は暖冬』って言ってませんでした?
う〜〜ん私の空耳かなあ・・・。
突然ですが、皆さん、お話の速さって考えたことあります?
例えば、このお話は追いかけられる話だから速く、とか、
このお話は、落ち着いた話だからゆっくりとか。
勿論、私も考えます。
「ゆっくり語ろう」とかね。
(私の場合、早口なので、特に速く・・・とは考えないんですけどね。)
ところが、こればっかり気にしてる人がいるような気がするんです。
「あ」というお話をAさんがある速さで語りました。
これがとても聞きよかった。
そこで「あ」をBさんがAさんと同じ速さで語った。
ところが、聞いていてこれがとてもしんどかった。
なぜ?
Aさんにとってこの速さは、自分の息づかいで普通に語れる速さだった。
ところがBさんにとっては、必死に速く語らなあかん速さだった。
そうすると、その必死さが伝わって、聞き手もしんどくなってしまった。
皆さんそんなこと感じたことありませんか?
お話を語るとき、大事なことの一つに、自分の語りのペースをつかむというのが
あると思うんです。
自分の息づかいとか、自分の思考とかの速さに基づくペース。
まず、自分の基本となるペース(速さ)があって、
それには幾分の幅があるので、その幅の中でそのお話をどう語るかやと思うんです。
それをあまり考えないで「これは速く語るお話」とか「ここは速く語る場面」と
かばかり考えて語ると
自分のペースを乱してしまう。
そうすると、聞きいていて、なんかしんどくなってしまうと思うです。
これは “速く” の時にも “ゆっくり” の時にも等しくある。
勿論、お話によって、また、場面によって、速さって変わってくるのは分かった
上でのはなしです。
そして、ヤンさんに突っ込まれそうなので、言っておきますが、
その場にいる聞き手達の速さに対する要求を、敏感に感じ取って語ることも大事
ですよね。
また、お話自体が自然に語り手に要求してくる速さもありますよね。
それとは別の恣意的な速さを、気にし過ぎたらあかんと思うんです。
うまく、書けませんでしたね。
また、考えて、また、書きます。
今年の目標
①捜し物をする時間を減らす。
(しょっちゅう、何かを捜しています。ああ時間がもったいない)
②お話会では、聞き手の声に耳を澄ます。
(聞こえる声、聞こえない声どちらも)
ぽんです。
自分で書いて、自分でコメント。
すみません。
聞き手の声
「聞こえる声」これは勿論聞き手達が本当に発する声。
「聞こえない声」これは聞き手達の心の声。
何言うてるのか聞こえへんかったから、
もっと耳澄まして聞くってことではありませんので。
余計なつけ足しだったかしらん。