今年の目標として、”演じてみる”と書きました。
そのことの続きです。
はじめに、私は、「演じないように」とアドバイスを受ける方をみますと、「う
らやましい…」と思う側の人間です。
演じるなんて、やろうと思っても私には出来ません。
そして、ヤンさんの教えのとおり、演じる必要はないと思いますし、演じようと
思ったことはありません。
今年の自分の課題として書いたことは、役になりきるとか登場人物を演じ分ける
ということではないんです。
考えるきっかけになったのは、先月4年生に白雪姫を語った時の事です。
壁の鏡が悪い女王に、「けれども白雪姫は、あなたより千倍も美しい」というせ
りふが何度も出てきます。
子供たちが、このせりふに期待しているのを感じました。
それで、「どうだ、ざまあみろ」という感じで言ってほしいのかと思って、言い
負かす感じで言ってみました。
すると前の子供が、唇の端でニヤッ☆と笑いました。
ほかの子供たちも、顔に「おっけい」と書いてあるように見えました。
この子たちは、この部分は楽しみたいんだなと思いました。
何年か前に白雪姫を語ったときは、とっさに変えてみるということは出来ません
でした。
ためらってしまうと、話はもう次に行ってるし、考えると語りがぶれてしまう余
裕のなさでした。
白雪姫の10日ほど後に、6年生に30分くらいの話(オーバーン・メアリー)
をしました。
前に書いたように長い話なので、早くしゃべるところ等は、アドバイスしても
らったとおりに先に考えてありました。
そして、白雪姫の時のようにとっさに演じようと思ったのが、悪役の巨人のせり
ふでした。
少し演じることによって、子供たちの集中をつなぎとめることができました。
(つなぎとめないといけないというのも、私の未熟さですが…)
壁の鏡も、巨人も、その人になったつもりでとか、気持ちをこめてとかではなく
て、少し引いた所から鏡や巨人を見ているつもりで語りました。
でもその、少し引いたところからというのが、まだまだ自分でもゆるいというか
甘いというか、これでよかったのかがわからないしつかめない。
難しいとしか言いようがない状態です。
でも、出来ないと放棄してしまってはいけないと思いました。
ちょっとは努力してみようと思いました。
ふたつのおはなしでの経験を思い返して、今年はこのゆるさと甘さを少しでもい
い方向に進めて行きたいと思ったので目標にしました。
他にもやらないといけないのはたくさんあると分かっているんです。
その中でも、つい先月のことなので、忘れないようにしたいと思って書きました。
こちらに書いておけばいつでも読み返せますしね。
でも、私はこんな風に考えていますが、人それぞれ考えや工夫が違うんじゃない
かなと思います。
ぽんです。
「演じる」難しいですねぇ。
何がって、まず「演じる」の定義。
何を持って「演じる」と言ってるのか。
このことが分からないと、議論がぐにゃぐにゃしてしまいますよね。
私の場合。
私はあまり淡々と語る方ではありません。
ですので、登場人物の台詞に声の高低がでてしまいます。
また、“さあここから怖い場面やで”と思うと、怖い声になります。
“へへーんだ”と思えば、そんな雰囲気が伝わる語り方になってしまいます。
人によってはこれを「演じる」と言うのかもしれませんが、
私にとってはこれは「演じる」ではない。
自分のイメージに沿ってお話を語ると、自然にそうなってしまうのです。
決してそうしようと思ってるわけではないんです。
ですので、私にとってはこれは「演じる」のではない。
では、「演じる」とは。
私の定義の中では、最初からそう考えて、わざとやる。
この「わざとやる」が「演じる」ということだと思っています。
たとえば、赤ずきんで、オオカミがおばあさんを食べた後、赤ずきんと対面する場面。おばあさんに化けたオオカミがいろいろ言いますよね。
あの時の声。
皆さんどうしてます?
時々私の周りの人でこんな事を言う人がいます。
「おばあさんに化けたオオカミなんだから、最初に出てきた本物のおばあさんより低い声で台詞を言うことにしてます」
私にとってはこれが「演じる」
“こんな声で語ろう”とは思ってなくても、
食べたい獲物の目の前にしているオオカミと
変だなあと思いながら話してるうちにだんだん怖くなってくる赤ずきん。
その場面を思い浮かべれば、自然とそんな雰囲気の声やら語り方になりませんか?
私は、これは「演じる」にはならないと思っています。
どうでしょう?
皆さんのご意見、聞きたいです。
皆さんの「演じる」ってどんなん?
ぽんです。
私も、ヤンさんの1/9付け『迷える子羊たちよ』のコメントに、ごぶジローさんが書いておられるとおりだと思います。
100%やりきっちゃあダメなんですよね。
聞き手に余地を残す。これが大切だと思います。
「演じる」だと、100%その役になりきってしまう。
例えば舞台など見に行くと、役者さんがまさにその登場人物に見えてしまいますよね。
それが、「演じる」だと思います。
お話って基本的に結末を知っているのは語り手だけ。
(もちろん現実には聞き手の中にも知っている人はいるんですが)
だから語り手はその結末までのすべてを見すえて、語らなくちゃいけない。
しかも、聞き手をちゃんと、お話の世界から現実の世界につれて帰ってこないといけないですよね。
その場、その場面に100%のめり込む訳にはいかないと思うんです。
だから、ジミーさんが書いている
「少し引いた所から鏡や巨人を見ているつもりで語る」は、とても大事なことだと思います。
もし、このことを「甘い」とか「ゆるい」とか言っておられるのなら、
それは違うんじゃないかと思います。
そして、何より一番大切なのは「聞き手」
その時聞き手が何を望んでいるのか、
語り手してそれにどう答えるのか、
それを常に考えて、語り続けなければいけないと思います。
そして、もう一つ大事なのが、そのお話自身がどう語って欲しいと望んでいるのかということ。
これに対しても語り手としてどう答えていくのか。
「演じる」「お話の速さ」いずれを考えるのにもこの事が大切な要素だと思っています。
ちょっと結論ぽい?
いえいえ、皆さんの考えをお待ちしています。
コメントよろしくお願いします。
勇気をもってポチッとしよう!
ごぶジローです。今年もよろしくお願いします。ジミーさん、ものすごく深~いですね…私、ものすごく初歩的なところでウロウロしていて、さっきヤンさんのところへ浅~い意見を書き込んでしまいました…すみません。
ジミーさんの「演じる」は演じているのではないと思うのですが…その部分をボリューミーに語っただけ、雰囲気を盛っただけ、という事ではないでしょうか?M岡先生が「同じおはなしを100回子どもに語ったら、やっとそのおはなしを理解できるし、自分のものになったと言える」と言ってはりました。100回語った時初めて、そのおはなしのどの部分をどの位ボリューミーに語れるか、速さ、テンポなども含め、子どもに教えてもらって、やっとそのおはなしを理解できる、のかなぁ~と思います。
子どもに100回語ったおはなしもまだ無く、理解できる日が来るのかどうかもわからない、迷いまくりで自分の居てる場所さえ分からなく、何を言ってるかも??になっているごぶジローです…
「聞き手に想像する余地を残す」なんて、私、言ったかなあ……?(笑) ヤン
あれれっ?…
聞いた時、私、すごく納得したんだけどなぁ…
自分の記憶に
自信がなくなってきた ごぶジロー
私も聞いたことがあります。
いつ、どんな状況で聞いたかは、思い出さないけど。
ぽんさま
コメントありがとうございます。
”ゆるい”、”甘い”と書いたのは、少し引いた所とはどの位置かが自分でまだわかっていないということです。
丁度いい距離がまだ決められないということです。
おはなしを前に出して、自分を引くということ。
これが、これが、~~
迷いに迷って、迷路に入っています。
ごぶさま
コメントありがとうございます。
ほんとに難しいですよね。
いっしょに迷ってくださってありがとうございます。
「雰囲気を盛る」
ん~~、新たな課題を頂いたような気がします。
M岡先生のおはなしを1度聞かせていただいたことがあります。
「なまくらトック」は、演じていらっしゃいましたが、もちろん俳優さんのような意味ではありませんでした。
その部屋全体が、「なまくらトック」になったような、3Dのようなふしぎな感覚でした。
「演じる」を考えるときには、M岡先生の語りが大きな材料の一つになっています。
ヤンさま
お出ましいただいてありがとうございます。
ぽんさんに引き続きまして、「聞き手に想像させる」私も何度か聞いています。
家畜小屋の屋根裏の寄り合いでは、何度もこういう場面があったと思います。
私の頭に残っているのは、「聞き手が自由にイメージできるように」「イメージは聞き手のもの」
肝に銘じようと思いました。
聞き手に、想像する「余地を残す」といいましたか?
「余地を残す」?
さてさて、これは大きな問題ですよ。みなさま、どう思われますか? ヤン
「余地を残す」・・・その言葉通りだったのかと、厳しく訊かれますと
えーっと、と、あやふやになります。
そんな感じのこと、としか言えません。
ごぶです。
「余地を残す」…そうか、割合の問題?「余地」だとほんのちょっとしかない。ほんのちょっとしか子どもに想像する分け前がない。大部分は語り手が決めちゃう事になる?それは違う~!私の「余地」という言葉の選択がまずかったかもしれません…
ポンさん、ジミーさん巻き込んでしまってごめんなさい。
ヤンさん、さもヤンさんが言ったみたいに間違った表現をしてしまったごぶをお許し下さい。
(まだ、風邪で鼻詰まって頭がボーっと…)
ヤンさん、ごぶはまた見当違いな事を言ってますか?
迷える子羊、いや、迷っているのかどうかも分からなくなりつつあるごぶジロー
ごぶジローです。
ジミーさん。M岡先生が「なまくらトック」をあんなに大げさに語られたのには訳があります。大変悩んで、大変迷っていた方を励まし、自信を取り戻してもらうため、わざわざ大げさにやっても大丈夫なおはなしを選んで、わざとものすごく大げさに語られたんだと思います。いつもいつもあんな風に語られる訳ではないと思います。
あの時は、限界に挑戦レベル だったのではないかと…
ぽんです。
ジミーさんが書いておられた、「丁度いい距離」というのは、
お話によっても違うし、
聞き手というかその日のその場のメンバーによっても違うと思います。
どの位置が良いかは前もって決められないのではないでしょうか?
だいたいの見当はつけていけると思いますが、
その場に行ってみないとわからないし、
それが、お話を語る楽しみではないですか?
私はいつも、その日その場の聞き手の人達がどんなスタンスで聞いてくるか、
それによって、自分の立ち位置も変えています。
(変わってないかもしれないけど・・・)
聞き手の人達がどんなスタンスを要求してきても、
それに、きちんと対応できるようになりたいと思っています。
お話って生き物。
お話を語ることが生き物と言った方がいいかもしれません。
その日その場面で聞き手達とそのお話の世界を一回一回作り上げていくのが
お話を語る醍醐味。
私はそれが楽しくて、お話を語るのを辞められません。
ぽんさま
「ちょうどいい距離」ですが、演じる(この言葉以外ぴったりくるのがないので使いますが)時のことです。
演じるときの、お話と自分との距離をどれだけとるかが、ピタッときたことがないのです。
そのときの聞き手の要求に応えられる語りをするというのは別の話かと思いますが、ぽんさんのおっしゃるとおりだと思います。
ごぶさま
裏話ありがとうございます。
そうだったんですか。
いずれにせよ、話の姿によって語り方を変えておられるということは、とても勉強になりました。
ヤンさま
「余地を残す」と言われたかどうかは憶えておりませんが、「聞き手にイメージさせる」が大事ということで理解しています。
「語り手のイメージを前面に出さないことに気をつける」、ではないかと思います。
聞いた人が何を思い描いたかは人によって違うけれど、間違いは一つもないのがおはなしのいいところ。
その自由な想像をさまたげない語りをとおもっています。
書くことは立派ですが、実際は難しくて迷路ですが。
改めて、ブログにあげますね。
距離だって要求してこない?
私は「おばちゃん、今日はおばちゃんとお話との距離、これ位してね」って言われるよ。