月別アーカイブ: 2015年2月

心で聴く  byぽん

ぽんです。
連続投稿です。すみません。
先週、某支援学校にお話会に行ってきました。
いろいろあるので、どんな支援がいる子達の学校なのかは言えませんが、
お話を聞いてもらうわけですから、
聴覚に支援のいる子達の学校でないことは確かです。
年に6回程度行っています。
1年生から6年生まで一緒です。
私が個人的に行ってるのではないので、
私にとっては3年ぶりでした。
今回私は「かしこいモリー」を語りました。
みんな、本当に熱心に耳を傾けて聞いてくれました。
中には、じっとしているのがしんどい子もいます。
でも、みんな本当に一生懸命なのです。
その結果、お話が盛り上がってくると、声が出たり、身体が動いたりするのです。
その子、その子に応じて、聞ける形で、聞ける範囲で
本当に心から聞いているのが、感じられました。
語ってて、涙が出そうになりました。
こんなに真剣に聞いてくれることに心から感動しました。
私の語りが子ども達の心に届いているのを実感して、心を動かされました。
この子達の為に、私の語れるお話を、もっともっと語りたいと思いました。
子ども達に語ることの意味を考えさせられるお話会でした。

昨日は6年生でした byぽん

ぽんです。
しばらくぶりです。
先週後半、そして今週前半、心を動かされることがたくさんありました。
あり過ぎて自分が追っつかず、書けない日々を過ごしていました。
忘れないうちに、ぼつぼつ書いていきます。
まずは昨日のお話会
某小学校6年生
ここは、2クラス。1クラスは30名弱です。
3年生から4年間、年4回のペースでお話会に行っていました。
この日が最後のお話会。
ひょっとすると、これが生涯で最後のお話会の子もいるかもしれません。
身が引き締まりますね。
では、プログラム
語り 「マレーンひめ」  
       『子どもに語るグリムの昔話④』 こぐま社
絵本 「赤いおおかみ」 
        F.K.ヴェヒター/作 小澤俊夫/訳 古今社
紹介 「彼の手は語りつぐ」 
        パトリシア・ポラッコ 千葉茂樹/訳 あすなろ書房
語り 「ヤギとライオン」 
        『子どもに聞かせる世界の民話』 実業之日本社
私は「赤いおおかみ」「彼の手は語りつぐ」「ヤギとライオン」を担当しました。
ふーん、そんなん読むの?。
へえーこんなプログラムでやるん?
いろいろご意見が聞こえてきそうです。
いろいろあっての、このプログラムでした。
まず、学校からのご要望。
国語で立松和平さんの「海のいのち」をやるので、それにちなんで、
食べ物の繋がりとか、命の繋がりのようなことが書いてある絵本を読んだり紹介
して欲しい。
ネットで指導案を読んだり、立松さん他の作品を読んだりしたんですが、
結局この作品が問うてる「どう生きるか」を書いている作品を選ぶことにしました。
で、この単元で紹介されている2冊を選びました。
時間の都合も合って、読んだのは「赤いおおかみ」
紹介したのは「彼の手は語りつぐ」
6年生、南北戦争がわかりません。
アメリカってね、昔、アフリカから黒人の人を連れてきて、奴隷にしてん。
奴隷の説明。
「奴隷は白人の『持ち物』やってん。人間として扱って貰われへんかってん」に
子どもたちびっくり。
南北戦争の説明。
「奴隷があかん」って人と「奴隷が必要」って人の間で国内戦争になってん。
「その時の大統領がリンカーンやねん」
子どもたち「へえ−」
今でも、まだ、いろいろ差別されることがあるねん。
だ・か・ら、黒人のオバマさんがアメリカの大統領になった時、世界中があんな
に盛り上がったんやね。
ここで先生も「へえー」って。
いやいや、先生頼みまっせ。
途中まで紹介して、
「この本図書室にあると思うから。もしなかったら先生に図書館で借りて貰って」
子ども達「先生借りてきて」
そう言って貰えてよかった。
もう1点。
実はこの日予定してたのは「ヤギとライオン」ではなく「どうもとこうも」でした。
(「とうもとこうも」出典は『日本の昔話2 したきりすずめ』福音館です)
ところが、学校に行ってからこの小学校担当のメンバーから
このご時世なのでって変更の依頼がありました。
そらそうでしょう。仕方ありません。
「首、すぱっと切り落とてん。ほんでその首さっとひろて、ちょんと乗せたら
な、首、ぴたっとくっついてん。」
そら、あきません。
そしたら、今日は、火あぶり。
「マリアの子」、「十二人兄弟」…。
なぜ、現実にこんなことが起こってしまうんでしょう。
まさか、あんな遠くで起こってることが、
日本のこんな小さな活動にまで、影響してくるなんて。
私たちはどうしたらいいんでしょうね。

「七羽のからす」の洗礼   byヤン

「七羽のからす」は好きな話で、もう四半世紀も語っています。
これにはいろいろとエピソードがあるんですけどね。
いちばん面白かったのは、初めて文庫で語ったとき。
つぶし屋の3年のガキども4人がそのころ常連でね、その日は、その4人と妹が
1人だけ。
5人は寝っころがって聞いてたんですが、いつの間にかしーんとなって、終わっ
ても身動きしなかった。
この話の力を感じた瞬間でしたねえ。
で、つぎの週、その5人に3,4人加わっておはなし会が始まると、ガキども
が、「七羽のからす!」ってリクエストしたのです。
うれしくって、いそいそと語り始めたら、ガキども、私の先に、先にと、ストー
リーをいうのです。そのやりにくかったこと(笑)
子どもの耳の良さを知ったのもこの時でした。
もうひとつ面白かったのは、図書館で、たまたま常連の小学生女子ばかりのとき。
わたし「・・息子が7人おりましたが」
子ども「お風呂たいへんやなあ」……しみじみ
わたし「う……」
子ども「朝のトイレも」……しみじみ
わたし「昔は子どもがようけやったからなあ」……しみじみ
子ども「ふうん」
わたし「おばちゃんのおばあさんのいとこは11人兄弟やってんて」
子ども「うちのおばあちゃんは9人やってん」
まるで、おばさんの井戸端会議です。
で、気を取り直して、
わたし「ところが、おかみさんにまた子どもができることになり」
子ども「ええ〜〜〜っ!?」
ほんま、おばさんです。
それでもこの話の力はすごい。さいごまでこのムードで進んだのですが、クライ
マックスで、
わたし「バタバタと羽ばたきの音がして」
子ども「あ、最初と同じ!」
はっきりとイメージして聞いていたんですね。
先日は、キリスト教系の学校の3年生に語りました。
いつもはテキストに「洗礼というのは、お誕生の大切なお祝いのことです」って
一文を入れ込んで語っています。
不正確だけどしかたがない、こんなことろで引っかかっていては前に進めないので。
でも、この日は違った。
「洗礼」を説明する必要がなかったので、はじめから一文は入れませんでした。
彼女たちは、洗礼の厳粛さや大切さは体で知っています。だから、洗礼に使う水
を汲みに行くことの重要性をしっていて、そこからぐっと緊張感が生ま れました。
男の子たちがつぼを泉に落とした、その罪深さ。
父親の呪いの必然。
「頭の上でバタバタと羽ばたきの音が聞こえ」。これは、神に罰せられたのです。
そのようなことが、彼女たちのまなざしと息使いから、どっと押し寄せてきました。
これは初めての経験でした。わたしの「七羽のからす」にまた新たな意味が加わ
りました。
宗教的な土台は、話にとって、とても重要だと実感しました。
宗教といえば思い出すのが、中学2年のとき、担任の言ったこと。
社会科の先生だったのですが、キリスト教と仏教とイスラム教に共通することは
なにかって聞かれたんです。
そして、それは人間にとって最も大事なものでもあるって。
ばかな私は、(水かな?あ、命かな?)なんて考えたけど、分からなかった。
ひとりの男子が手を上げて答えた。
「愛です」
……ああ、先日またひとつ、大きな愛が土足で踏みにじられました……
ヤン