日別アーカイブ: 2015年12月26日

チャレンジャー ぽん! 

ぽんです。

皆さん、グリムを語られるとき、出典は何を選ばれますか?
「そんなん、読み比べて決めるに決まってるやんか」というヤンさんの声が聞こえてきそうですが。

私の地元のおはなしグループの例会でのこと。

ある方が「星の銀貨」を語られました。出典は『語るためのグリム童話7星の銀貨』小峰書店刊。
これって、私の地元では凄いチャレンジャー。私の地元の会ではねグリムは99%こぐま社なんです。後の1%?ふふふっ。私です。最近の私だけが小峰。

で、まあ、語られたわけです。語り手の方はクリスチャンで信仰のある方なんですが、小峰とこぐまを読み比べられて、女の子の境遇に対して厳しい単語を使われている、特に冒頭、小峰では『見捨てられて』と強い言葉で書かれている。それが、このお話が本質的に何を語っているのかという自分の考えにびたりと合ったので、選ばれたと話されました。
ところがところが、これが御長老の意に沿わず、猛攻撃。
まず、「これ、誰の訳?」私(心の声は丸かっこ 小澤って知ってるやん)
長老「だいたいね、こんな話、子供に伝わりますか?裸になるんですよ」 私「再話は小澤研究所です。確かに聞き手に信仰に対する思いがあるほうがすっと入ると思うので、語りにくいことは語りにくいですよね。うちの会で語る人いませんし」 一同「うん」 私「でも、だからといって語っては駄目ということではないと思うんでけど。七羽のからすだって語りますし」 一同「うん」 長老(七羽のからすのところで、「お話は全てがわかる必要はないんです」と口をはさむ) 私(ほんならこれも語ってもええやん) 続けて長老「他の会ではたくさん語られる方、います。私この時期に何度も聞いたことあります」 私(えっ、さっきの発言と方向ちゃうやん、語ってええんかいな?)
長老「この子最初から帽子かぶってました?この出典、ぼうしかぶってるって言ってないよね。突然帽子被せてあげるってどういうこと」 語り手「身に付けているものって書いてあるでしょ。冬のドイツで帽子被ってない人なんかいませんよ。寒いのに」私(えっ、なに着てるか全部言うとかなあかんのん?昔々あるところに一人の女の子がいました。えーっと、この子は帽子を被り、チョッキを着、スカートをはき、肌着も着ていました。えええっー!?) 長老「だいたいね!こんなに宗教的な話やのに、最後にお金ひろて、金持ちになるっておかしいでしょ」 私「こぐまは違うんですか?」 長老「違うはずですよ。幸せになっただけです」 一同「そうなんや」 語り手「小峰はお金を拾い集めるで、こぐまはお金を集めるやったと思います」 別の人「笠地蔵は贈り物一杯もらってなに不自由なく暮らせるようになってもOKなのにねぇ」  

この辺りで代表が止めに入りました。

(ほんとはもっとケンケンガクガクよ、一部しか書いてないのよ)

この語り手の方、結構なお歳の方なんですが、10年ぐらい前までは英会話教室のセンセイ。そして、ご主人のドイツ駐在について行かれてたこともあって、ドイツ語も多少は喋れて読める。ドイツ語のグリムも見られて単語の意味を確認されたんですって。

で、帰って確認しました。
小峰もこぐまも帽子は突然出てきます。最初に帽子被ってるとはいいません(当たり前やん)
小峰もこぐまも、最後は「お金持ちになりました」で終わり。
そして、小峰の方が、使っている単語が具体的でした。「被せてやりました」「着せてやりました」など。こぐまはすべて「やりました」でした。

だからさっ、結局小峰の方が、聞き手に具体的イメージを与えやすい単語を使っていたわけなんですよ。今までこぐましか聞いてなかったから、結果的に同じ内容なのにイメージが、弱かった。そこへ小峰。で、始めて聞き手の中にイメージがはっきり見えてきた。それだけのことやったんです。

ああ、なのになのに。小澤嫌いだからね、全てが小澤訳(ホンマは再話って言わなあかんねんけど、長老の言葉通り書きます。ヤンさんごめーん)のせい。

お歳やから、しゃーないねんけど、好き嫌いがあってもしゃーないねんけど、ちゃんと比較してから、言うて欲しいよー。頼むわ。

実は、この日はルンペルシュティルツヘンでも、一悶着。それは、また今度書きます。乞うご期待。

そんなこんなで、私はいつもチャレンジャー。

             by ぽん