講演録・子どもと文学🏡

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』の報告第14で~す。

*********

第2章ファンタジー
その6 講演録・子どもと文学ーファンタジーの特質 1965年発表

この年、岩波市民講座っていうのがあってね、瀬田先生が「子どもと文学」って題して講演した、その記録。
その前の週は石井桃子さんの「子どもと読書」っていう公演があった。
いいねえ、聞きたかったねえ。55年前(笑)

まず瀬田さんが石井さんの講演のまとめをしてるので、引用します。聞きたいでしょ。
昔話というものが、小さい子どもの心の働きにそい、また精神の成長にとって非常に大切である。さらにそのさき子どもの読書に、ファンタジーが非常に大切ではないか、そういう文学を子どもとしての段階で通っておきますと、のちに大きくなって、その人がひとの心をよく理解できたり、ものの奥底にひそむかくれた真実というものを、正しくつかんだりするような能力が、ごく自然につちかわれるのではないか

これ、石井桃子さんの講演内容ね。
なるほど~って、思いますね。
で、それを受けて、瀬田先生は、ファンタジーの意義を具体的に説明してるのが、今日報告する章段。
長いので、前半だけまとめます。

小説的な児童文学ーリアリスティックな物語
『ハイジ』
『四人の姉妹』
『あらしの前』『あらしのあと』
『ツバメ号とアマゾン号』
『ふくろ小路一番地』
これらは、私たちの日常と地続きの世界で物語が展開します。

それに対して。

空想物語ーファンタジー
実際には起こるはずのない、非現実の、想像世界の物語です。

ただし、ファンタジーは、かつては大人の文学であって、ホメロスの『オデュッセイア』とダンテの『神曲』、スウィフトの『ガリバー旅行記』が例として挙げられています。
ところが科学が発達して、大人は昔話を信じなくなり、リアリスティックな小説が幅を利かせるようになった。

すると、大人が捨てた空想の産物を、子どもがそっくり拾い上げた。
グリム童話、『ガリバー旅行記』など。
子どもには空想力があって非現実と現実を行ったり来たりする能力があることと、いっぽうで、成長するためのはつらつとした好奇心を持っているからです。

大人にもそんな新鮮強力な想像力を持っていて、子どものためのファンタジーを書いた人がいた。
さて、だれでしょう?

ここからは、代表的古典的なファンタジー作家が具体的に上げられます。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン
1835年に昔話を元にした童話を発表し、どんどん自分の中の想像力を引き出して捜索していきます。
グリムの初版が1812年で、1857年まで版を重ねていくのと年代的に重なっていますね。子どものためのファンタジーの萌芽の時代だったのです。
おっと、もしいまアンデルセンを読もうと思ったら、改作してあるのが多いので気を付けて。
お勧めは、岩波文庫。全作品読めます。
絵本は避けましょう。アンデルセンは物語しか書いていませんから。あなたが自分でイメージしなくっちゃ。

ルイス・キャロル
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』
「まったく純粋な空想からだけでできている空前のファンタジー」と瀬田先生はいいます。
アリスは、常識を打ち砕いて、別次元の感覚を組み立てて成立しています。子どものとらわれない自由な内面に近づいたといえるでしょう。
瀬田先生は、チェシャ猫が幻のように突然現れて、ニヤニヤ笑いだけを残して消えていく場面を挙げて、こう言います。

その世界がどんなに日常世界とちがっていても、その世界なりの実体感がなくてはならない。眼で見える真実らしさがなければいけない。・・・
ファンタジーは、リアリティをもってはじめて成り立つ

これを、「ファンタジー固有の文法」だといいます。

ほら、出ました、文法という言葉。
昔話の文法(語法)と通じませんか?

昔話は、耳で聞かれてきたという特性から固有の語法を持ったわけだけれど、同時に昔話はファンタジーでもあるわけです。
「むかし、あるところに」と、冒頭でウソ話だと宣言しているにも関わらず、まるで本当に起こっているかのようなリアリティを持って聞きますね。

はい、今日はここまで。
次回は他のファンタジー作家が登場します。

ほな、目の保養~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です