月別アーカイブ: 2020年5月

アンケートだよ~🤗

HPの《森の市場》がリニューアルしたの、気づいてくれました?
名前も、《書籍案内》に変更した。
絵葉書とかしおりとかも販売しようって、はじめは思ってたんだけど。それで、「市場」にしてたんだけど。
だれが絵葉書作るねん?しおりは誰が作るねん?¯\(°_o)/¯
そやし、製作者が現れるまでは、本だけね。

《書籍案内》いってみてください。

で、アンケート。
各巻にコメント欄があるから、そこに回答しておくれ<(_ _)>

1、各巻で好きな話を教えてください。
2、理由とか、何でもいいので書いてください。一言でも、長文でも。

なまえのとこには、本名とちがって、ニックネーム考えてね。
別に本名でもいいけど。全国ネットだよ^3^

+++++++

今日は京都府南部は暑かった (@_@;)
それでウォーキングもお休みで、アイス食べてぐうたらしてた。
でも、朝にはちゃんと、レパートリーの解凍したよ。
「鳥のみじさ」『日本の昔話3』おざわとしお再話/福音館書店
楽勝の話からやってるの。
みなさんも大変だと思うけど、気楽にちょこっとやってみて。
集中するから落ち着くよ^_^

図書館が5月末まで休館延長になった。
長丁場だね。
時々ここにきてリラックスしてね^_~

巖谷小波の『花咲爺』🌸

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第4章昔話《昔話の再話について》
「昔話の再話について」巖谷小波の『花咲爺』1965年

日本の昔話の再話の、近代から現代への流れが論じられています。
まずは近代の最初、巖谷小波の再話から。

あ、その前に、巖谷小波について、『日本昔話事典』から説明しておきます。

巖谷小波〈いわやさざなみ〉(1870-1933)
尾崎紅葉らの硯友社に所属。小説を書いていました。
1891年『こがね丸』日本の近代児童文学の初期の作品として評価を受ける。
これをきっかけに、児童書へと転身。
1894-1896年「日本昔噺」
1896-1898年「日本お伽噺」
1899-1908年「世界お伽噺」
昔話も創作も、児童文学すべてを「お伽噺」と呼ぶようになる。
お伽噺を児童の前で口演する「口演童話」や児童向けの劇「お伽芝居」を始める。
引用
彼の再話の原話については種々論議があるにしても、のち小学校国定教科書などに非常に大きな影響を与え、口承文芸の昔話とは別の小波的昔話の世界を、とにかく確立して、日本人の人間形成のうえに大きな役割を果たしたようである。(中川正文)

ふうむ。
私らみんなが、なんとなく知ってる桃太郎や花咲爺って、根源は巖谷小波にあったのか。

さてそこで、瀬田先生の論文を読んでいきましょう。

『日本文学大辞典』には、小波の再話が広く世に迎えられて「日本最初の昔噺の定本」となったとある。けれど、だからといって、文学的な評価が定まっていると言えないと瀬田先生は言います。ただ、「耳で聞く昔話とはちがった、眼で読んで知る児童文芸としての昔話の内容と形とを、はじめて提示して、以後の原型になった」と言います。良し悪しは別にしてね。

実際に『花咲爺』を読んでの批評。
1、表現
冒頭の表現はストレートで上手い。しかし進むにつれ、「常套的すぎ、しゃべりすぎ、すべりすぎる」。
例えばこんな文章
「(犬を)わが子も同然に。蝶よ花よとかわいがっておりました。」
「猫は三年の恩を三日で忘れ、犬は三日の恩を三年忘れぬとやら。同じ畜生のうちでも、犬ほど義を知る獣はありますまい。」
2、内容
例えば冒頭
岩手県紫波郡伝承:簗(やな)に掛かった根株を割ると、犬が現れる。
新潟県古志郡伝承:川を流れてきた香箱が火のそばで割れて、子犬が出てくる。
富山県上新川郡:ひろったももが臼の中で割れて、白犬が出てくる。
小波:爺と婆が、子どもがいないので犬を飼った。

ね、小波はつまらない。
他の作品を読めてないから何とも言えないけど、きっと似たり寄ったりなんでしょうね。

煎じ詰めれば、小波が何を原話にしたのか分からないというのです。だから、本来の昔話の持つストーリーの面白さ、力強さが脱落している。

日本民俗学研究の祖といわれる柳田国男が、関敬吾とともに『昔話採集手帖』を出して全国の昔話を調査し始めたのが1936年だから、小波の頃はまだ、口承資料がほとんどなかったんでしょうね。
民俗学の人々が口承文芸の生きている場所を求めて動き出す以前の人ですから、今日私たちが果たしうるように話材の取捨選択を自由にすることができませんでした。

でも、この小波の再話(といっていいのか?)方法が、のちの日本における昔話再話に尾を引いていくことになるのです。

ああ、そうだったのかX﹏X

昔話の再創造🕯

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第4章昔話《昔話ノート》
「昔話と児童文学―イギリスの場合」=昔話の再創造 1971年発表

昨日のつづきです。

昔話が幼い子のための文学として再話され、定着していったその時代の流れを、昨日は勉強しました。
今日は、昔話を種にして自分の文学を創作した作家たちについてです。
題材が昔話というだけなので、再話ではなく創作。その具体例。

ウォルター・デ・ラ・メア『再話集』1927年
「シンデレラ」「ねむりひめ」など19話。
デ・ラ・メアは、『ムルガーのはるかな旅』の作者ですね。
彼の短編は、伝承を元にしたものが多いそうです。
『再話集』の翻訳があるのかないのか、いくつか候補はあるのですが、今調べる方法がなくって
『かしこいモリー』エロール・ル・カイン 絵・中川千尋訳/ほるぷ出版 2009年
これも『再話集』に入っているんでしょうか?

エリナ―・ファージョン
『ガラスのくつ』1955年=「シンデレラ」を下敷きに(岩波書店刊で読めます)
『銀色のしぎ』1953年=「トム・ティット・トット」を下敷きに
昔話を下敷きに、「自由な登場人物をつけ加え、ストーリーを上積みして、はなやかなオペレッタのように仕上げた作品」

木下順二(1914-2006)
戯曲「夕鶴」
『わらしべ長者』1962年
『夢見小僧』1966年
瀬田先生は、これらの話を「再話」とすべきではないと言います。「テーマとナレーション(文体)が昔話のものとちがう」からです。

ヤンの考え・・・
デ・ラ・メアのは読んでないからわからないけど、ファージョンは、作品名に昔話の題名を使ってないのが、誠実だと思う。ちゃんと、創作だって表明してることになるから。けど、木下順二のは、ごまかしがあるような印象を与える。創作なのに、伝承かと思わせる。超有名人だから、罪は重いんじゃないかな。
語るために選ぶとき、木下順二のを選ぶなら、創作だってことを認識したうえで選びたい。
・・・ここまで

つぎに、昔話の方法を使って作品を書くことが、児童文学を成功させる方法だと、瀬田先生は言います。その具体例。

ヘレン・バンナーバン(1862-1946)
『ちびくろサンボ』1899年(瑞雲舎 刊で読めます)
お話といえば昔話しか知らない者の口になったように忠実に伝承的な形に従っていて、それゆえに幼年物語の古典たりえた」と言います。

ビアトリクス・ポター(1866-1943)
『ピーターラビットのおはなし』1901年
絵本を中判にしたこと、昔話のスタイルを使ったことで、幼い子をつかんだと言います。
そのナレーションは、昔話と同様に、まったく経済的でむだがなく、簡素で力強かった。

ワンダ・ガアグ(1983-1946)
『100まんびきのねこ』1928年 (福音館書店刊で読めます)

マージョリー・フラック(1897-1958)
『おかあさんだいすき』1932年

このふたりは、「昔話のリフレインという明快な展開法と簡潔でビジュアルな表現を存分に示した
なるほど。昔話のスタイルを使っているから、引き付けられるんだ。

あ、本や絵本の表紙をときどき張り付けてますが、これは、出版社がOKしているものだけです。著作権のことは、クリアしてますよ~
引用文も、それが引用であることをはっきりさせて出典を示せば、OK。

さあ、五月だ🎏

おはなしを語らなくなって、長い。
人生で一番長いおはなし休暇だ。
こらあかんw(゚Д゚)w
おはなし会がないと、練習もしない。
高齢者がいきなり習慣をかえたら、どうなるか、目に見えている。

再開したとき、どうする?
ぜんぜん語れへんかもしれんでψ(._. )>

さあ、五月だ。
今日から、一日一話、レパートリーをもどしていこう。

で、おそるおそる語ってみた。
「ホットケーキ」『おはなしのろうそく18』東京子ども図書館

やった!
語れた!

子どもたちの表情が浮かんできて、ちょっと涙が出たけど
なんておもしろいはなしなんだろ~ヽ(✿゚▽゚)ノ