マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第3章竜殺しつづき
さてさて、スウェーデンの竜殺しの昔話、つづきはどうなるでしょう~
銀の白は、二人目のお姫さまも救います。
以下は三番目のお姫様救出の場面。
いってみよ~
読みにくくってゴメン。
頑張って読むと、びっくりしない?
だって、一人目のお姫様の時と、ほとんど文章が同じだもの。
いえ、誤植ではないのです。
リュティさんは、これが昔話の文体の特徴だと言います。
繰り返しを好む
助けないといけないお姫さまは三人だから、三回同じことが繰り返される。
すると、主人公は銀の白と兄弟の小さい見張りのふたりだから、お姫さま、ひとり余っちゃうのね。せっかく指輪を髪に結んだのに、ひとつ無駄になる(笑)
そういう不都合があっても、ちゃんと繰り返すのが、昔話なのです。
しかも、ほとんど言葉を変えないで繰り返す。
語り手がへたくそだからじゃないのです。語り手のせいにしてはいけないとリュティさんは、いいます。
昔話に内在する文体意志が型通りの繰り返しをしきりに求めるからだそうです。
昔話は、3、7、12といった数を好みますが、このきっちりした数への愛着も、昔話が型通りの繰り返しを求める性質と同じ所から来ています。
伝説や聖者伝では時間の流れに敏感でしたね。こちら⇒
それに対して、昔話は時間を無視することで、朽ちない世界を描く。
この、時の力に支配されない普遍性も、同じ言葉で繰り返す頑固さと同じ所から来ています。
それと、お姫様の従者なんだけど、お姫さまは三人が別人だから銀の白にあって驚くのはわかりますよ。でも、従者は三回とも同じ人でしょ。でもやっぱり三回ともびっくりして木の上に逃げるのね。
はい、クイズです。これはどう説明すればいい?
そう、昔話の孤立性。
各エピソードがカプセルに入っていて、前のカプセルとはつながっていないの。
白雪姫がお妃に三回も殺されるのと同じね。経験知がない(笑)
そこまでして頑固に、繰り返すのね。
ほとんど宗教的な儀式のようですね。
でね、リュティさんはこう言います。
編集者や翻訳者が、現代の読者に合わせてそこのところを緩和したり、ニュアンスをつけたりするのは最大の害悪である。
はい、肝に銘じます。
昔話の繰り返しは、建築の装飾のようなものであり、様式全体を規定する重要な部分である。
でもね、少しはバリエーションが許されるのね。
三人目のお姫さまが一番美しい。
三回目の戦いが一番激しい。
繰り返されるときに、クレッシェンドしたりディミニエンドする。
最後部優先の法則とか、最前部優先の法則とかいわれる、あれです。
《昔話の語法》で検索かけてみて。
でも、これもやっぱり型にはまっているのね。
中ー小―大にはならない(笑)
はい、きょうは、ここまで。
あ、蛇足だけど、エピソードの孤立性について。
お姫様の従者のところでは、従者が木の上に逃げないと、お姫さまと銀の白は一対一になれないのね。語り手はどうしても二人を結び付けたいのよ。
白雪姫では、お妃にだまされて殺されないと、王子さまに発見してもらえないのね。語り手は、どうしても二人を会わせたいのよ。
この語り手の思いは、聞き手の子どもへの思い。
だいじょうぶ、しあわせになるよって、メッセージやね。
そして、エピソードの孤立の技法は、ストーリーの区切りをはっきりさせるのと、文体の厳格さを高めるという効用があると、リュティさんはいいます。
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今日は月曜日、HP更新の日です。
《外国の昔話》イエメンの恐い話「ジャルジューフ」を紹介してます。
これ、すきやねんヾ(≧▽≦*)o