マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第1章七羽の烏
KHM「七羽のからす」では、妹は、兄さんたちを救うために世界の果てまで旅をし、最後はガラスの山に行きます。
他の類話では、妹にはどんな課題が課されるでしょうか。
KHM9「十二人兄弟」
七年間、口をきいてもいけないし、笑ってもいけない。
KHM49「六羽の白鳥」
六年間、口をきいてもいけないし、笑ってもいけない。そして、その間にエゾギクで兄さんたちのシャツを六枚縫わなければならない。
アンデルセン「野の白鳥」
11人の兄さんたちのために、教会の墓地に生えているイラクサでシャツを編まなくてはならない。その間、口をきいてもいけないし、笑ってもいけない。
うう。墓地は怖いし、イラクサはトゲトゲで痛いよ。手は傷だらけ(⓿_⓿)
「野の白鳥」は、アンデルセンの創作だけど、昔話に基づいて書かれたものです。
昔話は、極端に語るという性質があるけれど、これらの類話をみると、競い合って極端化しているみたいね。条件がどんどんきつくなっている(笑)
「口をきかない」という課題については、ふたつのことが言えると、リュティさんはいいます。
1、がまんしたりあきらめたりする力と意志を象徴している。
なるほど~
2、葛藤の芽をはらんだモティーフである。
がんとして口をきかないから、疑いをかけられても中傷されても、すべて受け入れないといけないんですね。口をきかないから妹は火あぶりにされる。葛藤の芽をはらんでいる。
昔話は、モティーフのつながりによってストーリーが作られます。口をきかないことが、ストーリーを前に進めています。
ところで、王の妻になった妹は、義母(魔女)の中傷で、火あぶりにされることになります。刑場に引き出される馬車の中でも、妹はシャツを編み続けます。火あぶりになる瞬間、シャツが編みあがり(もしくは最後の六or七年が過ぎ去り)白鳥たちが飛んでくる。
このクライマックスの描き方について、リュティさんは、グリムもアンデルセンもとっても感傷的(センチメンタル)だと批判しています。
本来の口伝えの昔話では、もっと簡潔で力強いといいます。
ここでリュティさんは、ドイツのフェーマルン島に住むエンマ・ベントさんの語りを引用して、グリムやアンデルセンと比較しています。
めっちゃ面白いんだけど、長くなるので、次回にまわします。
はい、ここまで。
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一昨日は、HP更新。
絵本のこみちと外国の昔話、見てね~
昨日は、今年度最初の初級クラス勉強会。
メンバーによる報告があるので、ちょっと待ってくださいね(。・∀・)ノ゙