日別アーカイブ: 2020年10月7日

昔話の解釈ー七羽の烏3👩👩👩

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第1章七羽の烏

七人の兄さんがカラスに変身すること、ガラスの山に幽閉されること、これらは死をあらわす。というのが前回のお話。
そうすると、「七羽のからす」のテーマは、死と復活ということになります。

死と復活を語る昔話といえば、KHM50「いばら姫」、KHM53「白雪姫」、KHM60「二人兄弟」もそうですね。
でも、白雪姫も二人兄弟も実際に死ぬし、いばら姫はまるで死のような長い眠りに落ちます。七人の兄さんは「死んだ」とはいっていません。だから聞き手は、からすになった、ガラスの山にいると言っても、死者の世界に行っちゃったとは思わない。
つまり、死は、表面化しないし、現実性が抜けている。
では、聞き手にとってこの話の力点はどこにあるかというと、死と復活より、呪いを掛けることと呪いを解くことの方に置かれていると、リュティさんは言います。

では、呪いを掛けることについて。

父親が「坊主ども、みんなからすにでもなるがいい」と、呪いを掛けます。
が、呪いを掛けたという意識は、全然なかっただろうと思われます。
思わず口にした言葉。それが実現してしまって父親はすぐに後悔しますね。
つまり、あまりにも軽く呪いがかかってしまうのです。
これは、昔話の語法でいえば、呪いや予言は必ず実現するということです。

やすやすと呪いが掛かる、昔話は「まだ願い事がかなった時代」という架空の時代の話なのです。
そして、簡単に願い事がかなうのは、実は恐ろしいことなのです。必ずしも人を幸せにはしない。
ここでギリシャ神話のミダス王のことが引き合いに出されます。
ミダス王は、手にふれたものすべてが金になるようにと願い、叶えられます。すると、何もかも、パンやワインまで金になってしまって、飢え死にしそうになります。で、願いを取り消す。
あほやねえ。
でも、人間ってそんなものかもしれない。
この愚かな願いを語る昔話の典型的なものは、ATU750A「三つの願い」としてまとめられていて、グリム童話KHM87「貧乏人と金持ち」や、ペローの「三つの願い」などがあります。

これらの話は、人間はその考えや願いによって、いとも簡単に他人や自分自身を傷つけるということを、教えてくれるのです。
親の軽率な言葉や態度は実際の生活でも子どもに害を及ぼすことがあるとリュティさんは言います。

そしてね、いったん害が生じると、簡単には直せない。
七人の兄さんの呪いを解くためには、親ではなく純真な妹が危険を冒して世界のはてまで出かけます。

はい、ここまで。
次回は、呪いを解くことについて、考えます。