昔話の解釈ー白雪姫4👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫

自分はいったい何者なのかという根源的な疑問が、まま母話の多い理由でしたね。
わたし、この人の子ども?
わたしはいったいだれ?
成長の過程でぶつかる哲学的な難問です。
その難問を与える役割を担うのが、子どもを拒絶する親。
実母でも継母でも養い親でもいいのです。

主人公は、捨てられた劣った者が最後には王者となる、幸せになる、という力学が昔話にはあります。
でも、白雪姫の女王の立場からこの話を読めば、これは悲劇であると、リュティさんは言います。
母親が「まま母(法的な継母ではなく、心理的葛藤を抱えた母なる者)」になりうること、愛する者が憎む者になること、子どもに命を与えたその同じ女が子どもを死へ追いやろうとすること、これは悲劇である。

人間って、得体の知れないものですねえ。
母親側から考えると、「白雪姫」は、人間の自己転倒、倒錯を描いたものだとリュティさんは言うのです。

でね、「倒錯」、これが「白雪姫」のキーワードなんだって。
グリムの「白雪姫」だけでなくこれの類話全体に共通するキーワード。
倒錯っていうのは、「逆」とか「さかさま」っていう意味ね。

おっと、話型番号と話型名、書いておくね。調べたい人は類話探して読んでね。
ATU709「白雪姫」

どのへんが倒錯しているかというと。
母親が「まま母」になる。
鏡は自分の美しさを示すはずなのに、他の人間の美しさを示す。
りんごは昔から命の象徴なのに、死のりんごとなる。
装飾品(くし、かざりひも)は生を高め整えるためにあるのに、死(仮死)をもたらす。
靴は足を保護するものなのに、足を傷つける。

根本のテーマがなんとよく話全体を貫いていることかと、リュティさんは言います。
倒錯というテーマが、話の個々の部分にピタッとはまっているというのです。
なるほど~
一貫しているんだ!
そんなこと、まったく気づかなかったなあ(ToT)/~~~

でね、様式が一貫していること、部分と全体がぴったり呼応していることは、一般的に、高度な芸術のしるしとされています。
つまり「白雪姫」はまずこの点ですばらしい芸術作品なんだヾ(•ω•`)o

女王が実母でなく「まま母」の場合もこの一貫性はくずれません。
良い母親が死んで、代わりに悪い母親があらわれる。
昔話では、人の相反する性格は、ふたりの人物に振り分けられるのです。
これは、昔話の平面性で説明できるって、気づきましたか?こちら⇒《昔話の語法》外的刺激

さて、「白雪姫」にはほかにも重要な「倒錯」がありますが、それは次回へ~
きょうはこれで、おしまい。

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今日は《外国の昔話》を更新しました。
小さい子向けのおはなし。
クリスマス会に向けて、どうぞ~

 

 

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