いばら姫の語法 感想3

すっかり秋らしくなって、うれしいなあ。
きんもくせいの香りも終わってしまいましたが、空気が澄んで空が高い。

語法勉強会の感想のご紹介です。

Dさん

正直なところ、最近になって、昔ばなし大学で学んだ語法が、語ることにどう役に立つのかなと少し懐疑的な思いがありました。
心に描いたイメージを素直に自分の声に乗せて語る時、目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける。それだけではダメなのかな?知識が必要なのかなと思う事がありました。
でも、今日受講して、やっぱり聞かせてもらって良かったと思いました。

昔話は不思議の連続、あり得ない事が次々と起きて、聞き手の心を奪い力強く結末へと導いてくれます。
これには語法がなくてはならないと。
耳で聞く文学だからこそ、語法の大切さが理解できました。語法をおはなしの展開に沿って解説して下さり、とてもわかりやすかったです。

理論が実践にどう役に立つのかっていうのは、理論を一生懸命理解しようと頑張っているとその渦中ではわからなくなってしまうことって、ありますよね。泥沼になって(笑)
おっしゃっているような「目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける」ことが、語り手の仕事ですよね。でもそれ、とっても難しいと思います。
というのは、語り手に表現力が必要なだけでなくて、聞き手に語彙力と高い想像力が不可欠だからです。
語り手は自分の表現力を高めるために努力をする、これは当然なんだけど、聞き手の語彙力や想像力はどうすればいいでしょう?聞く力のある子どもだけをターゲットに語りますか?いやいや、そううまくはいかないし、そんな子は自分でどんどん本を読むでしょうね。
だれもが努力しなくても楽しんで聞けるおはなしが、求められるんじゃないかと思うのです。
そうなると、だれもが努力しなくても自然に楽しめる、想像できるテキストが必要になってきます。
時間の流れに沿って聞いているだけで、すうっと物語を思い描けるような言葉の連なりを語り手が口にしてくれたら、子どもはストレスなしに聞けますよね。
それが語法にのっとったテキストだと、ヤンは思うわけですよ~

また私は、「モリー」の様に自分で行動して幸せを掴みに行く主人公が好きで、どうしてもそんなお話を選びがちです。はらはらわくわくする様な。
でも、振り返ってみれば私自身も、気力と行動力でがむしゃらに突き進む時もあれば、局面で立ちすくんでしまって誰かの励ましや示唆によって進むべき方向を見いだす事ができたりと、いろいろです。
本当に昔話は、人生そのものだと感じました。
これからは、好きなタイプのお話ばかりでなく、違うタイプのお話も意識して選んでレパートリーに加えて行きたいと思います。

自分の中にいろんな自分がいる。当たり前のことだけど、たとえば、正直な子、明るい子、親切な子、考え深い子でなくっちゃという気持ちでがんじがらめになることって、あると思うんですよね。
でも自分の中の負の部分を、自分も周りの人も認めると、楽になる。
昔話はそういうことをしてくれるんじゃないかな?
Dさんの感想から、そんなことを考えさせていただきました~

さてさて。
わたしにとってもリュティ理論は、文芸論を超えて哲学としての魅力をたたえております。みなさんも、ご自分の生き方と照らし合わせておられるようで、仲間やなあと思えてうれしいです。
あともう少し感想をいただいているので、お楽しみに~

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今日は、中学校の2学期のおはなし会についてのミーティングでした。
決めることは少しだったので、よもやま話から、コロナ後のおはなし会の在り方のような話になりました。
大人も子どもも、コロナで確実に人との距離が大きくなっている、それに反比例してオンラインを便利に使いこなすようになっている。
でね、若いお母さんにおはなしの大切さを伝えられるようなおはなしの場がもてないか、という意見に、ちょっと、かなり感動しました。

そんなおはなし会なら、コロナ収束していない今でも、すこうしずつ、実践していけますよね。
みなさんの行動力に期待します。

え?
ヤンはね、もう35年も一直線にやってきたからねえ。
その一直線の先、つまり現在、やりたいことがある。ありすぎて困っている。
なにかって?わかってるでしょ!
よい再話(^///^)
そのために学びたいことがいっぱいある~

 

 

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