日別アーカイブ: 2024年4月30日

朗読と音楽と語り

今日の新聞に、詩人の谷川俊太郎さんの言葉が載ってたんだけどね。

詩の朗読は音楽の演奏と同じで、場の雰囲気とかが自然に読み方を決めていくって。
ハチャメチャでもいいって感じで読んだほうが、言葉が生き生きするんだって。

それで思い出すのは、ずいぶん前に谷川さんと元永定正さんの講演会があってね。
講演会といっても壇上で難しく話すスタイルではなくて、お二人を囲んで座談会風の講演だったの。
そこで、お二人がコラボされた絵本を何冊か、谷川さんが読まれたのですが、リズムありメロディーありで、とっても楽しかった。
私も子どもたちに読んだことのある本だったし、ほかの人が読んでいるのを聞いたこともあったんだけど、そのどれとも違う。
それで、ちょっと衝撃だった。あ、こんなふうに読むんだって。私、間違ってたかなって。
そしたら、そのとき、谷川さんが、みなさん、好きなように読んでくださいっておっしゃった。
何の決まりもないし、どんなふうに読んでほしいとも思っていないって。

それがまた衝撃だった(笑)

でも、それ以来、詩の絵本とか、ナンセンス絵本とか、今まで苦手だったジャンルの本を子どもたちと楽しんで読めるようになったのよ。

絵本の言葉を読み手の感性でうけとめたらいいんやね。
それを子どもたちに「どう?」ってさしだして、子どもたちが「こう」「そう」って答えてくれるから、じゃあ、「こう」って、読んでいったらいい。って感じ。

それは、物語絵本にも通用すると思う。

そして、それは、ストーリーテリング、語りそのものでもないかな。
作者のさしだす言葉の力を信じて、自分の読みこむ力をつけていきたいなと思った雨の朝でした
(❁´◡`❁)

 

時間の贈り物🎁 またはメモ2

ゴールデンウィークの中休み(って言うか?)
ちょっと雨が降って、落ち着きます。
といっても、毎日がゴールデンウィークのヤンには、あんまり生活に影響ないんですが。
それでも暇なので、ちょっと真面目に考えたこと、書きますね。

おはなしを語ることは、時間を贈ることだと、以前にここで書いたの、覚えてますか?
忘れた人はこちら⇒時間の贈り物

さてさて。
ヤンはおはなし会のとき(=講師じゃないとき)はメモを取りません。
家に帰ってから、日記に、思い出しながらプログラムを書きます。
でね、ときどき、思い出せない話があるの。

これかなりシビアな話題なんだけど・・・書いていいかな???

たしか、もう1話あったんだけどなあ。
わたし居眠ってたんかなあ。

一生けんめい、参加者の顔を思い浮かべます。
そこでやっと、あ、〇〇さんが語ってはった!って思いだす。

何の話を語らはったかなあ。
やはり思い出せない。
その人が語ってる姿ははっきり覚えてるんだけど、話を思い出せない。

なぜか?

〇〇さんが語っているとき、わたしにその世界が見えてなかったからに違いない。
知っている話だと(この歳になるともうたいていの話は知っています)、あ、あれね、と思って聞きはじめはするんだけど、その世界にいざなってもらえない。語り手がテキストをなぞっているだけなので、語り手の心とわたしの心が共振しないのです。
これって、語りとは言えないです。
おぼえたテキストを右から左へと口に出してるだけだから、世界が見えない。
これで子どもに「聞け!」といっても聞けるはずがない。苦行です(笑)
子どもはえらい迷惑や。いやいや、おはなし嫌いになったら罪悪や。

きついこと言ってごめん。
でも、これ、ほんとのことで、自戒を込めて言ってるのです。

でね、たとえ仲間うちのおはなし会でも、たとえ勉強会でも、目の前に仲間=聞き手がいる限りは、語るということは贈るということです。
じゅうぶんに時間をかけてつくりあげたおはなしを、贈りあいたいんです。
それでこそ、語る意義がある。
語るということは相手がいるということです。
その相手に失礼にならないように、また、自分が恥ずかしくないように、ちゃんと時間をかけたものを手渡したいです。
上手じゃなくても、とちゅうで間違えても、それが贈り物かどうかは、聞く人が聞けばわかります。特に子どもは敏感ですよ。

え?
ヤンが思い出せないのは、歳のせいやって?
そうかもね~
というか、わたしの集中力の問題かも。

おまけ。
ヤンはいつのころからか、講演を聞いているときでも、よほどのとき(引用の書籍名とか)でなければ、メモを取らないでじっと講師の眼を見ています。
よいものを吸収するためにめっちゃ集中しています。
後ほど思い返して思い出せないようなことは、(今の)自分に必要ないことやからです。
この方法は、小澤俊夫先生から学びました。