『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告
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第4章昔話《昔話の再話について》
「昔話の再話について」巖谷小波の『花咲爺』1965年
日本の昔話の再話の、近代から現代への流れが論じられています。
まずは近代の最初、巖谷小波の再話から。
あ、その前に、巖谷小波について、『日本昔話事典』から説明しておきます。
巖谷小波〈いわやさざなみ〉(1870-1933)
尾崎紅葉らの硯友社に所属。小説を書いていました。
1891年『こがね丸』日本の近代児童文学の初期の作品として評価を受ける。
これをきっかけに、児童書へと転身。
1894-1896年「日本昔噺」
1896-1898年「日本お伽噺」
1899-1908年「世界お伽噺」
昔話も創作も、児童文学すべてを「お伽噺」と呼ぶようになる。
お伽噺を児童の前で口演する「口演童話」や児童向けの劇「お伽芝居」を始める。
引用
彼の再話の原話については種々論議があるにしても、のち小学校国定教科書などに非常に大きな影響を与え、口承文芸の昔話とは別の小波的昔話の世界を、とにかく確立して、日本人の人間形成のうえに大きな役割を果たしたようである。(中川正文)
ふうむ。
私らみんなが、なんとなく知ってる桃太郎や花咲爺って、根源は巖谷小波にあったのか。
さてそこで、瀬田先生の論文を読んでいきましょう。
『日本文学大辞典』には、小波の再話が広く世に迎えられて「日本最初の昔噺の定本」となったとある。けれど、だからといって、文学的な評価が定まっていると言えないと瀬田先生は言います。ただ、「耳で聞く昔話とはちがった、眼で読んで知る児童文芸としての昔話の内容と形とを、はじめて提示して、以後の原型になった」と言います。良し悪しは別にしてね。
実際に『花咲爺』を読んでの批評。
1、表現
冒頭の表現はストレートで上手い。しかし進むにつれ、「常套的すぎ、しゃべりすぎ、すべりすぎる」。
例えばこんな文章
「(犬を)わが子も同然に。蝶よ花よとかわいがっておりました。」
「猫は三年の恩を三日で忘れ、犬は三日の恩を三年忘れぬとやら。同じ畜生のうちでも、犬ほど義を知る獣はありますまい。」
2、内容
例えば冒頭
岩手県紫波郡伝承:簗(やな)に掛かった根株を割ると、犬が現れる。
新潟県古志郡伝承:川を流れてきた香箱が火のそばで割れて、子犬が出てくる。
富山県上新川郡:ひろったももが臼の中で割れて、白犬が出てくる。
小波:爺と婆が、子どもがいないので犬を飼った。
ね、小波はつまらない。
他の作品を読めてないから何とも言えないけど、きっと似たり寄ったりなんでしょうね。
煎じ詰めれば、小波が何を原話にしたのか分からないというのです。だから、本来の昔話の持つストーリーの面白さ、力強さが脱落している。
日本民俗学研究の祖といわれる柳田国男が、関敬吾とともに『昔話採集手帖』を出して全国の昔話を調査し始めたのが1936年だから、小波の頃はまだ、口承資料がほとんどなかったんでしょうね。
「民俗学の人々が口承文芸の生きている場所を求めて動き出す以前の人ですから、今日私たちが果たしうるように話材の取捨選択を自由にすることができませんでした。」
でも、この小波の再話(といっていいのか?)方法が、のちの日本における昔話再話に尾を引いていくことになるのです。
ああ、そうだったのかX﹏X