語りの森に集うみなさんの活躍の場はそれぞれだと思います。
もっちは主に地域の図書館で数人のお仲間さんと交代でおはなし会をしています。
このあいだ、休日に図書館以外の場所で小学生の女の子がもっちの顔を見て、
「あ、おはなしのおばちゃんや」
と、声をかけてくれました。
「はーい、こんにちは。またおはなし会来てね」
なんだか照れくさいやら嬉しいやら。
そういうことが、ちょこちょこ増えてきたこの頃。
次はどんなおはなしを届けようかな。
語りの森に集うみなさんの活躍の場はそれぞれだと思います。
もっちは主に地域の図書館で数人のお仲間さんと交代でおはなし会をしています。
このあいだ、休日に図書館以外の場所で小学生の女の子がもっちの顔を見て、
「あ、おはなしのおばちゃんや」
と、声をかけてくれました。
「はーい、こんにちは。またおはなし会来てね」
なんだか照れくさいやら嬉しいやら。
そういうことが、ちょこちょこ増えてきたこの頃。
次はどんなおはなしを届けようかな。
始めてパソコンでメールを送ったのは、京都昔ばなし大学を立ち上げるときだから、8年ほど前かな。
研究所にメールを送った。「いきま~す」か「とどけ~」か、なんかそんなようなことを書いて送った記憶がある。
研究所のかた「添付で送ります」
わたし「てんぷ?ら?」
あの頃は私も可愛かった。
だいたい、おはなしおばさんというのは、コミュニケーションにはこだわりがある。
顔を見て、目と目を合わせてしゃべることに、最高の価値を置いている。
かつては、め~るぅ~? と、眉をひそめる人が多かった。
わたしもそうだった。
人生は分からないものだ。
人は変わるものだ。
世の中も変わる。
先日、ババ・ヤガーの会員さんたち全員に、メールを送った。
「ホームページのお問合せフォームから、お試しに、なんでもいいから書いて送ってみてください」
すごいですね~
ほとんどのかたが、ちゃあんと送ってくださいました(すごくないかー笑)
ま、ちょっと個性的なケースも、あったので、紹介しよう。
Aさん「かしわもちたべた? 送信します」
わたし「あの、それって、返信。お問合せフォームから送ってね」
Bさん「お問合せフォームに入れません」
わたし「え、ホームページに欠陥が?」
よく聞いてみると、ホームページを開いていなかった。どこのお問合せフォームや。
Cさん「何度も送ってるけど返信が来ない。届いてますか?」
わたし「いいえ?」
Cさん「あ、「確認」は押したけど、「送信」押してませんでしたあ」
わたし「送信してください」
Cさんタイプは4人いました~
Dさん「わかりませ~ん」
そこで、パソコンを見ながら電話で説明することになった。
わたし「電源いれられる?」
Dさん「それはできる」
わたし「語りの森はわかる?」
Dさん「お気に入りにいれてます」
わたし「おお~」
わたし「お問合せ・リンク集あるでしょ?」
Dさん「ありませ~ん」
わたし「ある!」
Dさん「ありましたあ~」
わたし「そこクリックしてはいったら、お問合せフォームってのがあるでしょ」
Dさん「ありませ~ん」
わたし「ある!」
Dさん「ありましたあ~」
わたし「そこに必要事項を書いて、いちばん下の「確認」を押してね」
Dさん「は~い」
わたし「あ、電話番号は半角で打ち込んでね」
Dさん「はんかくってなんですかあ?」
わたし「ひらがなとかかたかなは全角で、アルファベットとかは半分の幅やから半角っていうの」
Dさん「わかりましたあ」
しばらくして無事送られてきた。
電話番号、半角だった。
名前も内容も、半角だった。
Dさんだ~~~~いすき!!
会員のみなさんごめんなさい、たのしかった~
ところで、井戸端会議の記事のコメントの書き方わかりますか?
テーマの上部に、leave a commentか、もしくは2commentsとか、グレーで書いてあるでしょ。そこをクリックしてください。
そしたら、書くスペースがあらわれます。
お名前は好きなニックネームを書いてください。
メールアドレスを打ち込むと、大文字で出ますが、気にしないでください。
はい、清水の舞台から飛び降りるつもりで、コメント、送信してみよう~笑
ヤン
みなさま、連休はどのようにお過ごしでしたか?
まだ、後半のお休みが残っているかたもいらっしゃるでしょうね。
我が家は、何もない普通の日のはずでしたが、昨日きゅうにでかけることになり、滋賀県湖北の山の中に分け入ってきました。息子が車でつれていってくれました。
姉川の源流、尾羽梨(おばなし)という美しい谷まで行く予定が、狭い整備されていない山道で、わたしが後部座席できゃあきゃあいうものだから、目的地まで行かずにとちゅうで降りました。
そやかて、関係者以外立ち入り禁止って書いてあるし、カーブミラーないし、道は車の幅いっぱいで、すぐ崖やし、携帯は圏外やし。
わたし「そこ、まがるとき、チリンチリンって鳴らして~」
息子「・・・・」
わたし「谷に落ちたらあかんで。圏外やで~。車引っ張る縄あらへんやろ~」
息子「・・・・」
わたし「あ~っ、鳩踏む~、ちょうちょ踏む~」
息子「・・・・」
夫「おかあちゃん、うるさいし、このへんにしとこか」
で、このへんでおべんとう。
この山は、人工的に植林した木がない、いわゆる自然林です。
新緑の美しかったこと。
右の写真はニリンソウです。。
3週間前なら、山野草がたくさんあったそうなのですが、きょうは、わらびとわさびを少しだけいただきました。
山の神様ありがとう
息子「あ、さるや」と、地面を指さす。
わたし「なんでやねん。(心の中で…だまされへんわよ)」
息子「ほら」
わたし「うううう、ぎゃ」
地面に小さなどくろが転がっていたのです。
北海道トンネルを抜けて戻ってくると、日本の故郷とでもいえるような美しい村がありました。
穏やかな山に囲まれた静かな生活。
携帯は圏外です。
不便だけれど豊かな暮らし。と、あこがれるのは、よそ者の無責任な感想なのでしょうか。
道をアナグマが走っていました。
息子がお土産にと、前日にアユをとってくれていました。の、はずでした。
息子「玄関に置いてきてしもた」
わたし「とりにいこか」
息子「そやな」
ところが、停めたところは公園の駐車場。え?なんで?。
息子「とってくる」
投網とバケツを持って捕りに行った。
4回ほど投げて25匹。
右は、投網をうってるとこね。
今日のお昼ご飯のおかずはアユのから揚げと、わさびのおしたしおいしかった~
ヤン
きょうは久しぶりに、ひとりで京都にでかけました。
まずは龍谷ミュージアム。京都駅から塩小路を西へ、堀川通を北へ、歩くこと15分。西本願寺の前です。
特別展「水―神秘のかたち」
あいさつ文より
「水は、あらゆる生命の源として、その神秘性がゆえに世界中でさまざまな信仰を生みました。特に四方を海に囲まれ、かつ水源が豊かな日本においては、自然崇拝と相まって水のもつ精神性がより発展し、祈りの対象ともなりました。…」
ね、今週アップした「みいさん」を思い出してください!
弁財天って、芸術の神様だと思ってたけど、水の神様でもあったんですね。そういえば近所の月読神社の池の中島に小さなお社があって、弁財天が祭ってある。どうして龍神じゃないのかなって、ずっと思ってたのです。
そして、弁財天の頭の上にとぐろを巻いているのが、蛇。この蛇こそが神さまで、宇賀神。ウガジンと読みます。頭は人間なのです。
右の写真は、今回展示されていたものではありません。あしからず。
宇賀神ってこんな感じの神様ということで。
龍神もいっぱい展示されていました。
脅威にさらされ、恩恵を享受しながら、人々は自然とつき合ってきたのですね。それは、今も昔も全然変わらない。いや、畏れを忘れているという点で、生きかたや価値観が全く変わってしまっているのかもしれない。
そんなことを考えさせられた展覧会でした。
5月29日まで開催されています。
さて午後からは同志社大学今出川キャンパスへ。
説話・伝承学会の2016年度大会です。
今日の講演は以下の三つ。
*シチリアにおける愚者の系譜
―ジュゼッペ・ピトレによる民話の収集―
*イランの怪談
*寺と怪談 ―地方寺院蔵の幽霊画をてがかりに―
おもしろかったですよ。
伝えられている民話が、土地と生活に密着していることが、実感として分かりました。私たちにとってあたりまえの感覚が、ところ変わればあたりまえでなくなる。
世界の民話資料を読んでいると、どうしてこんな話が残っているんだろう、どこがおもしろいんだろうと、不思議に思うことがよくありましたが、そのわけが分かったような気がします。
恐い話が好きなのは世界共通だけれど、何を恐がるかは民族によって異なる。
笑い話は全世界にあるけれど、何で笑えるかは民族によって異なる。
まずそれを知ることが異文化理解の始まりなんですね。
いままで知らなかったたくさんのお話を資料として頂いて帰りました。
ほくほく。
大会は明日もあって、百合若説教の講演を聞きたかったんだけど、残念!
明日は、屋根裏の集まりです(笑)
ヤン
合唱の練習にでかけようと玄関を出た。
男の子が5人、わが家の前でたむろしていた。
わたし(お、この子たちはあの猿山の3年生。あ、いや新4年生だ)
子ども「あ、むらかみ!」
わたし(呼びすてかいな)
子ども「どこ行くん?」「おはなし会?」「学童やろ~?」
わたし「直Qバスで京都まで」
子ども「へえええ~」ちょっと尊敬のまなざしね。
夫が庭の手入れをしていた。
子ども「あ、あれ、あれ」
わたし「うん?」
子ども「あれ、あれ。だんなさん?」
夫「そやで。だんなさんやで」
子ども「へー」「へー」「へー」
わたし「いってきま~す」
子ども「ばいば~い」
ほんのささやかな日常のよろこび。
昨夜、祖父の夢を見た。
私の一歩前を歩いていた。
黒いフロックコートのにおいが懐かしくて、抱きついた。
よく見ると、4年前に亡くなった義父だった。
会えてうれしかった。
いのちのつながり。
ささやかな。
また大きな地震が起こっている。
ささやかな日常、ささやかな命のつながりが消える。
何人と、数では表すことのできないいのち。
ヤン