ぽんです。
昨日中にUpしようと思っていたのに、日付が変わってしまいました。
馬方ついでに、私も参戦。
私も馬方やまんばを語ります。
もちろん日常語で語っています。
そして、もちろんその日常語はババヤガーの勉強会で完成させたものです。
さて、さて。
とある小学校の2年生1クラスと3年生1クラスに語った時のことです
ここは、毎月行ってる学校。
どちらのクラスでも同じ事があったんです。
馬方は大事な馬の足をやまんばに二本も食べられ、とうとう『二本足の馬』に
乗って逃げます。
その後、もう一度やまんばが言いますよね、「馬の足、もう一本おいていけ・・・」
そのやまんばの台詞の後、子どもたちが口々に言ったんです。
「一本足の馬やっ。」「けんけんで走るんやっ」
その瞬間のクラス全員の納得した顔。
私、心の中で「いや、ちゃうねん。一本足の馬ちゃうねん。今度は馬が食べられ
るねん。」
でも、その直後におもわず、思ってしまったんです。
「一本足の馬で走ってから、やまんばに食べてもらおか・・・」
「いやいや、あかん、筋は変えたらあかん」
結局は子どもの反応にびっくりしながらも、ちゃんとテキスト通り語りました。
語り終えた後、いつも、小澤俊夫さんの「うまからやまんば」の絵本を紹介します。
表紙を見せて、「おんなじ話やから、また、自分で絵本も見てね」って。
ところがこの日は子どもたちが
「一本足の馬のとこ見せて」って。
わたし、「あの・・・、一本足の馬になったっけ?」
子ども、「・・・」しばし沈黙
子ども 「ならへんかったわ」
わたし 「そやね」
子ども 「食べられたわ」
でもね・・・。正直言うとね。
もし、私が伝承の語り手で、自分の子や孫に語っていてこう言われたとしたら、
絶対一本足の馬で走ってから、やまんばに食べさせたと思うんです。
私は、伝承の語り手でもないし、聞き手は自分の子や孫でもなかった。
だから、テキスト通りに語った。
私は一本足の馬は語らなかった。
でも、子どもたちの頭の中では、やまんばが「もう一本〜」と言った瞬間に
一本足の馬がけんけんで走った。
これは、間違いないと思うんです。
もうちょっと違う言い方をすると、
まさにこの瞬間、子どもたち(聞き手)の中に「こう語って欲しい」という意志
が生まれた。
語り手の「こう語ってあげたい、こう語りたい」という意志だけでなく、
聞き手の意志が、お話の表に突然はっきりとした形で現れた。
私は、そう思いました。
みなさん、どう思いますか?
何、たわけたこと言うとんねんって?
そうかもしれません。
この、『聞き手の「こう語って欲しい」という意志』、しばらく考え続けたいと
思っています。
明日は・・・いやちゃう今日は、三宮で再話の勉強会です。
サンタまであと三晩。・・・もう、ええっちゅうに。