ややっこしいことを書いてしまいましたね。
(ごぶさん、ごめんなさい。)
昨日の日記のことです。
いつか≪語るために≫に書こうと思っていたことですが。
わたしはお話を覚える前に、必ずと言っていいほどテキストに手を入れます。
聞き手がはっきりイメージできるようにです。何度もいうように、「イメージ」はおはなしの命ですから。
テキストを整理する基準は、昔話の語法に合っているかどうか。それと自分の語彙としてぴたっとくるか、です。
そして、手を入れたテキストをきちっと正確に覚えて語ります。一語一句です(あ、言い間違えるときもあるけどー笑)。
語りながら、この言葉の選びでいいかどうかを確認しています。
基準は、子どもの目が泳いでいないかどうか、です。イメージが見えないとき、子どもの目は泳ぎますからね。
そして、必要ならば、瞬時にことばを替えます。語順を変えるときもあります。語を補うこともあります。省略することも。
で、家に帰ってから、そのようにテキストを書き換えます。
頭の中でやるこの作業を、「再話しながら」語ると書いたのです。
というのは、これは昔話資料を再話するときと同じ作業だからです。
既存のテキストに手を入れるのは、正確には「再話」と言えないと思います。再話はやっぱり昔話資料からでなくてはね。でも、やり方は同じだから。
それでね、語るとき、頭でテキスト確認はしているけど、そうちょいちょい言葉を変えているわけではないのですよ。
変えなくてもいいように、テキストに手を入れる段階で一生けんめい言葉を選んでいます。
それでも、子どもは自分とは別の生き物ですから、微妙にまちがった言葉を選ぶことがあるのです。……これ、言い訳ですね。
ブログを読んでくださっているかたで、長年、再話をされているかた、いかがでしょう?
語るとき、こんな感じになりませんか?
それから、ぽんちゃん、ごぶさんがコメントに書いてくださったように、その語彙が幼い子に分かるかどうかという視点。これも大事なことです。
でもこの視点は、「語りながら再話」のほんの一部であって、もっと全体的なことを言っています。安心して身を任せてストーリーについてこられるようにという鳥の目。
語彙については、すべてが分からなくてもいいと思っています。これについて話しだしたらまたパソコンから離れられなくなるので(笑)いまは置いておきます。
ただ、ひとつ例を挙げます。「がちょうはくちょう」のペーチカ、一瞬子どもの目が泳ぎますよ。さて、どうしますか。 ヤン