月別アーカイブ: 2017年2月

ま~いにち♬ ま~いにち 🐟 

月曜日は府外にでかけ 
三年生におはなし三つ ♫

火曜日は日常語入門
新鮮なテキスト作り ♫

水曜日は4歳と学童保育
「ねずみのすもう」と「~ピエトリン」 ♫

木曜日は近所の5年生
「灰かぶり」「馬方やまんば」 ♫

金曜日は近所の3年生
早口言葉で「ありとこおろぎ」 ♫

土曜日は衣笠へ出かけ
先生がたにあれとこれとこれとあれ ♫

日曜日はよく晴れて
洗濯日和 ♫

テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~
テュリャテュリャテュリャテュリャリャ~ ♫

ああ~♫ 来週も・・・💖💖💖💖💖💖💔

日常語入門講座②

またまたまたもっちです。

今回は、二回目の日常語入門講座にお邪魔してきました。
前回の講座で、日常語で語るとは?、日常語テキストの作り方を学ばれた受講生の方々が、それぞれ日常語のテキストを作って来られました。
すべて『日本の昔話』(おざわとしお再話、福音館書店)の5冊からの出典です。

「和尚おかわり」『日本の昔話1』
「とうふとこんにゃく」『日本の昔話5』
「ぶしょうもの」『日本の昔話3』
「猫の嫁」『日本の昔話5』
「竜宮童子」『日本の昔話2』
「和尚おかわり」『日本の昔話1』
「だんだんのみ」『日本の昔話5』
「どうもとこうも」『日本の昔話2』

まず、それぞれの今の日常語となった来歴を話してくださいました。
その後、作ってきた日常語のテキストを読んでいただきました。

日本語は高低のアクセントです。
あちらこちらの方言が混じった日常語はメロディのように心地よく、耳に楽しいおはなしとなります。
ご自分の心のふるさとの言葉を思い描いて、当時耳にしていた、話していた、古い方言を使いたいと苦労してくださった方もいました。
言葉は日進月歩、生き物のように変化します。今、その故郷の方の言葉も変化しているので、ピタリとはまる言葉を見つけるのは大変ご苦労された様子でした。
「こう語りたい」という気持ちをこめて作るから、同じ「和尚おかわり」のテキストでも、全然違うその人だけのテキストになります。

定期講座の日常語講座でも度々つまづく「取っていい助詞と取ってはいけない助詞」は今回も話題にのぼりました。
一般的に助詞「を」「は」「が」を取ると関西弁の日常語らしくなるのですが、これもひとそれぞれです。
助詞を取るときにも、取っていけない助詞を見極めなくてはいけません。
助詞の前の言葉を強調したいときは助詞を取らない。
助詞を取っても意味が分かる。
先に出てきた場面から変わっていないので何について言っているか分かる。
強調をさせたくない。
そんなときは助詞を取ってもいいそうですよ。

次回はこのテキストを覚えての発表会です。
覚える過程でまたまたテキストは直したいところが出てくると思います。
でも、これで完成!となったら語るたびにテキストが変わる、ということがないように、じっくりテキストとご自分の日常語に向き合ってくださいね。

皆さんの熱心な姿に、もっちも発奮させられた一日でした。

第5回 昔話の語法勉強会

またまたもっちです。
第5回 昔話の語法勉強会に行ってまいりました~。
ひとつのお話を題材に、テーマを設け、どんな語法が使われているのか勉強する勉強会です。

今回俎上に載せられたお話は、ご存じの方も多いと思います。
「心臓がからだの中にない巨人」です。
「なぜ愚かな末っ子が幸せになれるのか」

勉強会の初っ端からこのテーマについて考えます。
なぜなんでしょう。
末っ子は要領がいいから?
色々考えてみましたが、末っ子が幸せになる話もあれば、一人っ子が幸せになる話もあるんですよね。
末っ子でなければという理由が思いつきません。
と、ここでタイムオーバー。

正解は『主人公だから』でした。
言われてみればそうなんですよね。昔話は主人公が幸せになって終わるのです。
聴き手は主人公に感情移入して聞きますから、主人公に幸せになってほしい。

昔話の語法」(小澤俊夫著、福音館書店刊)のなかに小澤氏がマックス・リュティ氏に「なぜ、末っ子が主人公になるのか」とお尋ねしたという一節があります。
そのとき、リュティ氏は「人は誰でも一度は末っ子だった」とお答えになったそうです。
この場合の末っ子というのは、単なる兄弟の出生順という意味ではなく、最も年少で力がなく知識もない末っ子という意味で、人は誰でも家族の中で、社会の中で、末っ子だった頃があるという意味なのだというようなことを小澤氏は説明されています。
そう考えると、一人っ子も家族の中で一番年少で力がなく知識もない年長者から見て『愚かな末っ子』になるんですね。
そして、それぞれの成長のステージでもまた誰もが一年生という『末っ子』になりますね。
その末っ子が幸せになることは、人は誰でも明るい人生が用意されていると暗に励まされている、そんな気がします。
まるで昔話は人生を表しているかのようですね。主人公がすごく弱く辛く貧しい、そんな立場からものすごい幸せを得ると、聴き手の喜びもひとしおですよね。

さて、このテーマに隠されている今回の勉強会の本題は「孤立性」についてでした。

昔話にでてくるあらゆる人物やモノは孤立して語られていますが、主人公は特別孤立しているように語られます。
孤立的にというのは孤独という意味ではなく、あらゆる背景(環境や設定や生い立ち?)や内面的なものを語らず、その人、その物だけの輪郭を濃く浮き立たせる……そんなイメージを受けました。それは、昔話が極端なものを好んだり、かたい物を好んだり、内面を語らないことだったりといった他の語法とも結びついているようです。確かにその他大勢のものより、イメージが際立つような気がします。
つまり昔話は孤立的なものでできている。
そして、孤立しているからこそ一本のストーリーによって結びついている。
そりゃそうですよね。複雑な人間関係やお国事情、心理描写を細かく語ると、何が本題のストーリーなのか聴き手には伝わりませんものね。
主人公は特別孤立してますから、より強く結びつく能力を持っている。
主人公は援助を受けるための正しい助言者、援助者に出会い、必ず正しいキーを押します。選択を誤りません。
だってそれを聞き手は望んでますからね。

そして孤立しているのは人物やモノだけではなく、エピソードもでした。
子どもの頃は至極当然に受け止めていた白雪姫の三回の繰り返し。
大人になってからは、なぜ白雪姫は前回の失敗を学習しないのか不思議でしたが、これら一つ一つのエピソードは孤立してカプセルのようなものに入っていて、主人公は全体を見通すことはできないのだそうです。
だから同じ出来事を繰り返す。この三回の繰り返しが楽しいんですよね。昔話らしさですよね。固定性ですね♬

今回の勉強会はすごく難しい内容でした。解説を聞いている時には分かった気になっているのですけどね。
レポートを書きながら、これで合ってるのかなと不安ですが、間違っていたらヤンさんがコメントで訂正してくれるはず。(笑)
みなさん、コメント欄も合わせてチェックしてくださいね。

ストーリーは主人公以外には優しくないけれども、正しいキーが押せずに失敗した兄弟を主人公が助けてくれて、みんなが幸せになるおはなしっていいなぁ、優しいなぁと思うのです。

ところで余談ですが、昔話では「言葉の出来事による繰り返し」があります。最初に宣言したことが実現されるのです。
このお話でも、主人公のエスペンが「必ず戻ってきます。六人の兄さんたちも一緒につれて帰ります」と宣言してから旅立ち、本当にそのようになるのですが、神社で願い事を言うときも「〇〇になりますように」ではなく「〇〇できました。ありがとうございます」と先にお礼を言うのが良いと最近耳にしました。神様が先にお礼を言われたので叶えてあげなくちゃと思うのだとか。
そのときはいい言葉で願い事を言った方がいいそうです。病気とか怪我とかマイナスのワードは入れない方がいいそうです。
もしかすると彼岸の存在である神様が言葉による宣言を出来事で繰り返す援助をしてくれるかもしれませんよ。

 

 

2月 おはなし初級講座

春ですね。
まだまだ寒い日が近づきますが、梅が咲いたという声をちらほらきいて、お出かけしたくなっているもっちです。
初級講座は2月始まりの講座でして、新しいメンバーを2人お迎えしましてスタートしました。

今回の語りは…

「三びきのくま」『語りの森HP』【リンクはここから】
「貧乏神」『語りつぎたい日本の昔話5笠地蔵』(小峰書店)
「まめたろう」『おはなしのろうそく19』(東京子ども図書館)
「馬方やまんば」『日本の昔話5ねずみのもちつき』(福音館書店)
「地獄に行った吉兵衛さん」『語りの森HP』【リンクはここから】
「おおかみと七ひきの子やぎ」『語るためのグリム童話集1ヘンゼルとグレーテル』(小峰書店)
「屋根がチーズでできた家」『子どもに語る北欧の昔話』(こぐま社)

9月の初級講座の時も思いましたが、ひと月講座が空いた次の講座は、おはなしがたっぷり聴けてとても楽しいです。みなさん勉強熱心ですよね。

さてさて、今回の初級講座では【助詞】について話題にでました。
初級講座ではテキストをそのまま覚えて語り、そこから色んなことを学んでいくのも課題の一つです。
テキストによっては言葉が舌に乗らなくて、ちょっとした接続詞や助詞が覚えられなくて、
「ここは【へ】!、こっちは【が】!!あ~、覚えられへん!!もうどっちでもいいやん!!」
とテキストに印を付けたりしたことありませんか?他にも【そして】とか【ところが】とか覚えにくい接続詞も〇したり、マーカー引いたり・・・。

本当はどっちでもよくはなくて、再話された方がちゃんと一文字一文字言葉を選んで書いてくださったテキストなんですけどね。分かってはいるんですが、ついね。

今回はそんな物語のストーリーに直接関係ない助詞と接続詞に振り回された方続出でした。もっちも例外ではありません。
あまりに助詞や接続詞を気にするあまり、そこを語るときに間違えまいと肩に力が入ってしまうんですよね。で、次は間違えまいとテキストに印を入れて・・・!
でも本来、ストーリーに大事なのは誰が何をしたという主語と動詞。
でもテキスト通りに覚えてと言われたら、一文字の間違いも気になるのよぉ~。

もうね、みんな一度は通る関所なんじゃないかと思います(笑)

この助詞、接続詞覚えにくい~と思ったら、心に留めるだけにして、テキストに印をつけるのはやめましょうというアドバイスをいただきました。
子どもたちの前で語るときにはテキストは持てませんからね。
視覚に頼らず、自分を信じよう。
自分を信じられるまで練習しよう。つまりはそういうことかなと。
テキストに印をつけるとそこばっかり目に入りますからね。
そりゃ力入っちゃいますよね。
そして本番、子どもたちの前で間違ったら、間違えた顔をしない、言い直さない、ほうがいいそうです。
諦めて先に進んでください。もうちょっと上級者の方はしらっと即興で辻褄合わせをなさるそうです。

すごい(;´・ω・)

あと、「馬方やまんば」には聞く子どもの年齢にもよりますが、子どもたちの分からない言葉がたくさん出てきます。
このおはなしのミソは、馬方が自分の財産の馬を山姥に食べられて、山姥をやっつけるところなので、どうして恐ろしい山姥に仕返しをするのか、そのまま逃げなかったのかを分かってもらうためには、馬方という職業、馬に対する考え方と愛情をね、理解してもらう必要があります。
どこまで言葉を説明するのか、どのタイミングで説明を入れるのか。
子どもたちの前で語る機会が増えてきた方には、また一つ関所ですよね。
タイトルから派生して説明できることは、語りの前に。
途中のワードは子どもたちの顔を見て、分かってないなと思ったら一言で説明できるように用意していって臨むのがいいようです。
子どもの顔色を読む余裕ができればできるようになるんでしょうね。
そのときも視覚的に伝えるとイメージが固定してしまうので、手振りや絵本、図鑑や現物は見せない方がいいようです。
あとで何かの拍子に「それ」に出会って、「ああ、これのことか!」という気づきが語彙の獲得や成長に繋がるのだそうですよ。
そう考えると、おはなしのボランティアって責任重大だなぁと思いませんか。
もっちは以前、「説明(の言葉)が硬すぎる」と言われたことがあります。
ほんま、おはなしの勉強は一朝一夕にはうまくいかなくて楽しいわぁ~。

2月のがらがらどん

最近は雪の降る日も多いので、電車が遅れたり足元があぶなかったりと、外出するのにいろいろ心配してしまいます。しかし、今月のがらがらどんは、日ごろのババたちの善行のたまものなのでしょう、寒いとはいえ道路が凍ることもなくいい日でした。

お話のメニューは…
「金峯山寺(きんぷせんじ)の別当」 日本古典文学全集『今昔物語集4』小学館
「ギーギードア」 『おはなしはたのしい』たなかやすこ
「三本のカーネーション」 『子どもに語るイタリアの昔話』剣持弘子他 こぐま社
一休話4話 『一休』伊藤佳一 講談社
「歌い骸骨」 『子どもに語る日本の昔話1』稲田和子他 こぐま社
「にぎりめしころころ」 『日本の昔話4』おざわとしお 福音館書店
「かきねの戸」 語りの森HP こちら
「うそつきくらべ」 語りの森HP こちら

「金峯山寺の別当」は、がらがらどんの2日前に再話勉強会で語りをされ、おさらいで語りに来てくださいました。語りへの妥協を許さないベテラン語り手さんに情熱と執念を…。いえいえ、情熱だけを120%感じました。お手本にしないといけません。

「にぎりめしころころ」は、日常語による語りです。聞いていて、ほんとに近所のおばちゃんがしゃべっているような、自分が世間話をしているときのような雰囲気が出てきて聞きやすく、楽しいです。

この日のジミーの一押しは、「歌い骸骨」でございました。滑舌も声の大きさも早さもちょうどよく、「はっきりよく聞こえる声」とは、こういうお声かと思ったのでございます。わたしは、初めて聞かせていただいた語り手さんでした。決してお声だけがよかったのではありませんよ! 「はっきりよく伝わった」のでございます、わたしに~~! 好きな音楽があれば飽きるまで当分はエンドレスで聞くジミーは、当分「歌い骸骨」を延々聞いていたい気持ちですが、めったにおみえになれない語り手さんでございます。どうかまた来てくださいませ。カムバ~ック……