月別アーカイブ: 2020年7月

カラスウリ

よく降りますねえ
京都府南部の話ですが。
今年の梅雨は長くって、冷害が心配。
新型コロナもね。わが市も連日、感染者が報告されてるし。

わたし個人としてはね、急激な環境の変化にやっとの思いで耐えてるんだけどね。
数か月前まではほぼ毎日おはなし関連で出歩いてたのが、いっきに人と会わなくなった。30年以上続いていたルーティンワークがぷつっと切れた。社会とのつながりが切れた。

考えると嫌になるから、今だからできる事をやろうと思って、やってるけどね。
あ~、子どもに語れないのは苦痛`(*>﹏<*)′

そんなわけで(どんなわけや?)、今日はお勉強はおいといて、素敵な写真をお送りします。
ババの仲間からいただいた写真です。

カラスウリの花です。
時間を追って、載せますね。


午前10時。つぼみです。


午後6時51分。咲き始めました。


午後6時59分。咲きました。


午後7時10分。咲いてます。


午後7時20分。


午後9時3分。
きれいやね~


午後11時15分。


夜が明けました。

24時間かけて取ってくださった貴重なお写真、ありがとうございます。

カラスウリの花って、まっ白で、なんて繊細なんでしょう。
秋に、藪にぶら下がっている赤い実しか見たことがなかったので、感激です。

カラスウリといえば、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」
星まつりの夜には、みんなでカラスウリを川に流しに行くのです。
幻想的な光景です。

ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐに飛びこんだんだ。

ジョバンニの親友が亡くなる場面です。
自己犠牲は賢治の作品の大切なテーマです。

石井桃子の自伝的小説「幻の朱い実」の朱い実もカラスウリですね。
たしかに、カラスウリは赤というより朱いですね。

ゆうがた、おはなしひろば更新します。

地の雌牛3🐄

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第4章 地の雌牛―昔話の象徴的表現 つづき

わたしたちは現実にしばりつけられてくらしている。
コロナ禍のいま、改めてそれを実感する。
昔話に自由と軽快さを感じるとするなら、それは、昔話では、あらゆるものが苦もなく孤立して他から離れ、あらゆるものが苦もなく結びつくからだ。

リュティさんは、かつて昔話が語られていた時代、人びとは、現代の私たち以上に、ふだんの環境にしっかり結び付けられて共同体にはめ込まれて生きていたといいます。
まほうの鏡のようなテレビや映画はなく、まほうのじゅうたんのような飛行機もなく、旅行や新しい出会いが普通でなかった時代。
だから、昔話は、人間は本来、習慣的な結びつきを離れて新たな結びつきを作ることができるのだという予感を、人びとに贈ったというのです。

昔話の主人公にしかできなかったことを、現代文明社会に生きる私たちはできる、ということかな?
でも、心はどうだろうか。
ほんとうに自由だろうか?

さて、地の雌牛ー象徴表現にもどります。

昔話というものは、何かを禁止するのが好きだ。
そうですよね。
今週UPしたイエメンの昔話「ジャルジューフ」(こちら⇒)。
どの部屋を見てもいいけれど、七番目の部屋だけは見てはいけない。
日本の「みるなのくら」。
ほかにどんな例があるかな?みなさんのレパートリーから探してみて。
地の雌牛では、自分のことを人に話してはダメだっていいます。

こういう禁令だけでなく、きびしい条件とか、課題とか、昔話にはよく出て来ますね。
この厳しさによって、昔話の文体は、より簡潔になる。
いっぽう。禁令や課題は、自然が作り出したものではなく、人間の精神が作り出したものです。倫理とか道徳とかといっしょ。
しかも、主人公はかならず禁令を破る。
見たらあかん、っていわれたら見る。
言うたらあかん、っていわれたら言う。
なんで?

引用
禁止は主人公に制限を加え、試練を課する。しかしたとえ禁令を犯しても、主人公は破滅するとは限らない。回り道をし、苦しみと悲しみを通して、より高い目標に到達することができる。

つまりね、禁令は破られるためにある。
人には、努力目標や限界設定があって、失敗しながら、それを乗りこえていく、そうやって生きていけばいいんだよっていうことだと思う。
昔話の多くの課題は主人公に偉大な可能性をひらく。

若い人たちに伝えたいよ~╰(*°▽°*)╯

きょうはここまで。

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午後からおはなしひろば更新します。

地の雌牛🐄2

マックスリュティ『昔話の本質』報告

第4章 地の雌牛ー昔話の象徴的表現つづき

わあ、急に雨が降ってきた。
まだ梅雨は明けてなかった

失礼しました
きのうの続きです。

マルガレーテちゃんは、名付け親のアドヴァイスで無事森から帰って来られましたね。
同じことが、3回くりかえされます。
しかも同じ言葉で。
同じ言葉だから、聞いていて、話にはっきり区切りがつくのです。
2回目は、マルガレーテちゃんはもみがらをまきながら森に入って行きます。
3回目は、麻の実を持って行きます。
すると・・・

地の雌牛って、いったい何でしょう。
リュティさんも知りません。
16世紀、この話が記録されたときには、いちいち説明しなくてもみんなが知っていたんですね。
ゲーテも知っていたそうです。えっと、18世紀から19世紀の人ね。
でも、20世紀にはもうわからなくなってる。
リュティさんは、それでもいいんじゃないと言います。
意味は分からなくても響きになじみのある単語は、珍しいことがらを分かりきった調子で語る昔話の雰囲気によく合うからって。
なるほどね。

で、マルガレーテちゃんは地の雌牛を大喜びで受け入れますが、聞き手の私たちも大歓迎します。
雌牛が人間のことばをしゃべることに、全然びっくりしません。
これが伝説や聖者伝と違うところね。
もし雌牛がしゃべったら、伝説や聖者伝では「奇跡」として描くけれども、昔話では、奇跡は当たり前。
あらゆるものがあらゆるものと関係を結びうること、これが昔話における本来の奇跡であり、同時にまた自明の事柄でもある。

動物や彼岸の存在と言葉が通じることについては、《昔話の語法》一次元性のところで説明してるので検索してみて。

地の雌牛は、彼岸の存在。
それは了解ですね?

地の雌牛はマルガレーテちゃんにミルクと布をくれます。
ミルクは、雌牛だから当たり前として、絹とビロードという高価な布をくれます。
この絹とビロードについて、リュティさんは、人の手の加わった貴重な品物といいます。
昔話には、人工的なものがよく出てくるのです。

たとえば、伝説では、巨人や小人は山の洞穴に住んでいるけれど、昔話では宮殿や小屋にすんでいます。
ほら穴というのは自然の中にあって、想像すると、不確定な線で描かれます。型がない。
宮殿や、地の雌牛の小屋は、直線。しかも、垂直な線と水平な線でできています。
幾何学的、抽象的な鋭さや、さらにいえば明白さ、純粋な型式で描かれる。
ね、昔話の好む文体ですね。

はい、きょうはここまで。

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きょうは午後からおはなしひろばを更新しますね~

 

 

地の雌牛1🐄

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第4章地の雌牛ー昔話の象徴的表現 その1

この章、最初からちょっとびっくりです。
当然のことかも知れないんだけど、昔話にはいろんな語り方があって、それぞれ魅力があるって、リュティさんはおっしゃるのです。
例えば。
話に尾ひれをつける人。
簡潔に力強く語る人。
語るたびに話を変える人。
語るたびに全く同じ言葉で語る人。
母親のような優しい口調の人。
聞き手の心を奪う神秘的な口調の人。

本と子どもをつなぐ図書館の活動としてのおはなしにどっぷり漬かっていると、これって、信じられない。というか、わたしたちって、画一的すぎるんじゃないかと思ってしまいます。
特に、尾ひれをつけたり、たんびに話を変えたりするのは、許されない。
でも、口伝えの語りの現場では、いろんな語り手がいるのが当たり前なんでしょう。
わたし自身は、そのような語り手としての資質はないので、尾ひれつけたり変えたりはできませんが。

さて、そんな多種多様な口伝えの世界でも、表面下には共通の文体があると言います。
昨日までの報告で触れた、ストーリー尊重、明白さ、確実性、という特徴です。
今日からの章では、それに加えて、昔話の象徴的表現を考えようというものです。

具体例として取り上げている話は、「地の雌牛」
この話における動物の意味を考えるところから、象徴表現を考えます。

「地の雌牛」は、16世紀にドイツとフランスの境界アルザス地方で記録された昔話だそうです。
ATU511「1つ眼、2つ眼、3つ眼」の類話。
ところがねえ、この話も、竜殺しと同じで原典が見つからない。
だから、リュティさんの引用は写真でゆるしてね。
グリム童話「一つ目二つ目三つ目」とか、ロシアの「ハヴローシェチカ」(こちら⇒)が類話なので全体をみてください。

この冒頭だけで、この世の全てありとあらゆる事物が登場します。
「いばらひめ」の時と同じですね(こちら⇒
生と死、善意と悪意、誘惑と陰謀、無力と不意打ち、絶望、助言と助力、家、自然(森・動物)

わずかな範囲で人間存在の要素をこれだけたくさん取り上げようとするなら、ひとつひとつをおおいに単純化するほかありません。
単純化するには、極端化するのがよい。
例えば、貧しい男、年とった女、悪い継母。
嫌悪は、殺意として表現する。などなど。

引用
昔話に残酷な行いがよく出てくるのは、すべてをできる限りはっきりとあざやかに描き出そうとする傾向から来ている。

残酷な描写は昔話の極端性で説明がつくということですね。

昔話の人物は自己の決定によって動くのではない
例えば
母親はマルガレーテの殺害を自分で決めるのではなく、アンネと相談しているうちに決まった。
マルガレーテは、切り抜ける手段を、名付け親の助言にゆだねた。
こうして、人物は、外部からの助言や贈り物、課題などによって動かされて行きます。そうすれば見えやすいのね。心の動きだけでは、見えないもの。
アンネと相談している様子、名付け親と話している様子が見えると、はっきりくっきりする。

そうそう、またしらみとりがありますね(笑)
母親と姉娘の結合、信頼が、行動であらわされている。
あ、しらみとりといえば。
今再話している古事記、オオクニヌシがスサノオの頭のしらみを取る場面がある(*^▽^*)
またじきに公開しますね~

は~い、きょうはここまで。

ううむ、暑い≧ ﹏ ≦
そろそろヤンは夏籠りかなあ(┬┬﹏┬┬)

 

 

 

 

 

竜殺し4🐉 おしまい

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第3章竜殺し-昔話の文体 最終回

物語はこのあと、こんなふうに進みます。
木の上に逃げた従者が、自分がトロルをやっつけたのだ、だから自分はお姫さまと結婚する資格があるといいたてる。
お姫さまは無理やり沈黙させられる。が、結婚は1年間待ってくれという。
ちょうどぴったり1年後に銀の白がもどってくる。

もどってきた主人公が、どうやってお城のお姫様のもとに出頭するかという場面を、オーストリアで記録された類話で、説明します。
あ、昨日まで読んでいた話とは、別の話ですヨ。

なんか楽しいでしょ。
この話では、主人公の名前はゼップになってますね。
自分が来たことをお姫さまに知らせるために、犬、クマ、ライオンを順番に行かせます。
気づいたお姫さまの様子が描写されていますね。
喜びのあまり大きな笑い声を立てた。⇒前よりもっと嬉しそうに笑った⇒心の底から笑った。
描写だけど、ほら、昨日考えたように、ちゃんとクレッシェンドしている。最後部優先の法則にのっとっている。型通りというわけです。
ストーリーは確実に前に進んでいて、停滞していない印象を与えます。

それから、けっこういろんなものが出てきます。
犬、クマ、ライオン、焼肉、ぶどう酒、お菓子、紙切れ、かご。
これは、細部の描写と言えないでしょうか。
動物、とか、食べ物、とかでいいのではないのか。
いえ、だめなのです。
昔話は、目に見えることを強く求めるからです。具体的でないとだめなのね。
そう、わたしたちがおはなしを語るとき、イメージが大事って、いつも言われますね。見えるように語ること。そのためには、見えるように書かれたテキストでなければならないのです。
だから、昔話は、ストーリーだけで進むくせに、こういう具体的な物はきちんとはめ込んでいくのです。
性質は筋で、関係は贈り物であらわされる。
というわけです。

もうひとつ、昔話の文体の特徴がここで見えてきます。
主人公は、ぴったり1年後に帰ってきますね。
これは?
そう、時間の一致!

グリム童話9「十二人兄弟」(こちら⇒)の最後の場面もそうですね。呪いの解けるきっかり7年後、娘は火刑の処刑台に上がり、そこへ12羽の白鳥が飛んでくる。なんて都合よく(笑)

リュティさんの言葉を引用します。
きっかり期限に間に合わせること、最後の瞬間にぴたりとあうことは、~昔話にしみとおっている。的確な線の鋭い描写にしっくり会う。
つまり、
昔話は真の芸術作品
だというのです。

それでね、こういうふうに、現実の世界とは違った、はるかに広い視野(壮大なストーリー)で、物事がぴたりと合う世界を描くこと、それが人間の心にとって大事なんだって。
絶対に確実であること。それが昔話の世界なのね。
現実の生活はめっちゃ不確実ですよね。コロナだって、これからどうなるかわからない。水害に遭った人たち、これからどう片付けていけば生活が元通りになるかわからない。
でも現実はどうあれ、昔話だけは、確実なの。

昔話から流れ出る信頼は、昔話を語ったり、聴いたりする人々に移る。
昔話は人を喜ばせるだけではない。人を形成し、はげます。

そうだよ、うつるんだよ~
ウイルスなんかなくたって、語るだけでうつるんだよ~

ね、語ろう。
語りの森昔話集、読んでほしいなあ。
おはなしひろば、聴いてほしいなあ。
って、そうくるか?(笑)

引用
北ドイツのある語り手が、病院で昔話をすると静める力、治す力が病人に働くようだ、と報告しているが、私たちはこれを信じたい。

はい、おしまい。
リュティさんの引用している竜殺しの話は私には見つけられませんでした。
類話のグリム「二人兄弟」をぜひ読んで見てください。おもしろいです。

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蒸し暑いですねえ(;´д`)ゞ
遠くで雷がゴロゴロ言ってる。
京都もそろそろ梅雨明けかしら。

きょうのおはなしひろばは「へこきばあさん」(こちら⇒
笑ってくださいq(≧▽≦q)