月別アーカイブ: 2020年7月

竜殺し3🐉

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第3章竜殺しつづき

さてさて、スウェーデンの竜殺しの昔話、つづきはどうなるでしょう~
銀の白は、二人目のお姫さまも救います。
以下は三番目のお姫様救出の場面。
いってみよ~

読みにくくってゴメン。
頑張って読むと、びっくりしない?
だって、一人目のお姫様の時と、ほとんど文章が同じだもの。
いえ、誤植ではないのです。
リュティさんは、これが昔話の文体の特徴だと言います。

繰り返しを好む

助けないといけないお姫さまは三人だから、三回同じことが繰り返される。
すると、主人公は銀の白と兄弟の小さい見張りのふたりだから、お姫さま、ひとり余っちゃうのね。せっかく指輪を髪に結んだのに、ひとつ無駄になる(笑)
そういう不都合があっても、ちゃんと繰り返すのが、昔話なのです。
しかも、ほとんど言葉を変えないで繰り返す。
語り手がへたくそだからじゃないのです。語り手のせいにしてはいけないとリュティさんは、いいます。
昔話に内在する文体意志が型通りの繰り返しをしきりに求めるからだそうです。

昔話は、3、7、12といった数を好みますが、このきっちりした数への愛着も、昔話が型通りの繰り返しを求める性質と同じ所から来ています。

伝説や聖者伝では時間の流れに敏感でしたね。こちら⇒
それに対して、昔話は時間を無視することで、朽ちない世界を描く。
この、時の力に支配されない普遍性も、同じ言葉で繰り返す頑固さと同じ所から来ています。

それと、お姫様の従者なんだけど、お姫さまは三人が別人だから銀の白にあって驚くのはわかりますよ。でも、従者は三回とも同じ人でしょ。でもやっぱり三回ともびっくりして木の上に逃げるのね。
はい、クイズです。これはどう説明すればいい?

そう、昔話の孤立性。
各エピソードがカプセルに入っていて、前のカプセルとはつながっていないの。
白雪姫がお妃に三回も殺されるのと同じね。経験知がない(笑)

そこまでして頑固に、繰り返すのね。
ほとんど宗教的な儀式のようですね。
でね、リュティさんはこう言います。
編集者や翻訳者が、現代の読者に合わせてそこのところを緩和したり、ニュアンスをつけたりするのは最大の害悪である。

はい、肝に銘じます。

昔話の繰り返しは、建築の装飾のようなものであり、様式全体を規定する重要な部分である。

でもね、少しはバリエーションが許されるのね。
三人目のお姫さまが一番美しい。
三回目の戦いが一番激しい。
繰り返されるときに、クレッシェンドしたりディミニエンドする。
最後部優先の法則とか、最前部優先の法則とかいわれる、あれです。
《昔話の語法》で検索かけてみて。
でも、これもやっぱり型にはまっているのね。
中ー小―大にはならない(笑)

はい、きょうは、ここまで。

あ、蛇足だけど、エピソードの孤立性について。
お姫様の従者のところでは、従者が木の上に逃げないと、お姫さまと銀の白は一対一になれないのね。語り手はどうしても二人を結び付けたいのよ。
白雪姫では、お妃にだまされて殺されないと、王子さまに発見してもらえないのね。語り手は、どうしても二人を会わせたいのよ。
この語り手の思いは、聞き手の子どもへの思い。
だいじょうぶ、しあわせになるよって、メッセージやね。
そして、エピソードの孤立の技法は、ストーリーの区切りをはっきりさせるのと、文体の厳格さを高めるという効用があると、リュティさんはいいます。

********

今日は月曜日、HP更新の日です。
《外国の昔話》イエメンの恐い話「ジャルジューフ」を紹介してます。
これ、すきやねんヾ(≧▽≦*)o

 

 

 

 

竜殺し2🐉

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第3章竜殺しー昔話の文体

前回(一昨日)の井戸端会議の最後に写真で載せておいた竜退治のおはなし、読みましたか?
もしまだなら、先に読んでから、今日のところを読んでね。
きょうは、そのおはなしの文体の特徴について、リュティさんが解説している所をまとめます。

なんか、ぎゅう詰めに説明してはる(笑)
分けて書きますね

話の筋は目標に向かってまっすぐに進む
総括すると文体の特徴はそれに尽きるということです。
おはなしを読んで、多分皆さん感じたと思うんだけど、「これって、あらすじ?」って、疑問に思わなかった?
私は思った。
でも、あらすじじゃなくて、これが原話そのままなんだって。

じゃあ、まっすぐに進むという特徴を詳しく見ていきます。

風景や外観を細かく描くことはしない
例えば、トロル。
どんな外見か、いっさい説明がない。ひとこと、「怪物」っていうだけ。
昔話にはこれで十分なんだって。
例えば、海辺。
事件現場なのに、どんなところなのかいっさい描写がない。
トロルが出てくるときに、「泡と大波があたり一面に渦巻いた」というだけ。

それに対して多くの創作童話では、例えば主人公の入っていく街の様子をいかに詳しく丁寧に描いていることか。狭い横町、美しい街角、切妻屋根の家・・・
ほんとうの昔話には、そういうものは何一つ出てこない。

ただ、銀の白の入っていく町では、「家という家が黒い幕をかけて」いますね。
これは、描写ですね。
でも、これを描写するのは、ストーリーに関係があるからなんです。
だって、銀の白は、変だなと思って町の人に聞くでしょ。そしたら、トロルがお姫さまをさらいに来るってことがわかる。だから銀の白は、トロルをやっつけに行く。そのための「黒い幕」なんです。

たまにグリムが、魔女の長い曲がった鼻とか赤い目について書いているけど、それは、グリムさんが後から付け足したもの。
ほんとうの昔話は、年とった魔女とか、醜い老婆としか言わない。

これを、リュティさんは、「描写力の欠如」といって、それが、昔話が面白い理由なんだといっています。

昔話の主人公は、旅をし、行動する
立ち止まったり、驚いたり、観察したり、思い悩んだりしないって。
たしかに、銀の白はそうですね。うだうだ考えていないですね。
登場人物の心の中についても描写しないのです。

感情や関係は外部へ投影される
例えば、しらみとり。
銀の白は、いきなりおひめさまに頭のしらみを取ってもらいますね。
おかしくない?
わたし、いつも、この類話を読むとき、この場面で笑ってしまう。
しらみかい!って。
リュティさんの説明、おもしろいから長めに引用しますね。

しらみをとることは原始民族にはたいへん好まれた欠かせない仕事であったとか、しらみとりは、婚約の儀式になることもあったとか、しらみをとる女は取ったしらみを食べるのが常で、そうすることによってしらみを取られた男の血を体へ受け入れた、
などと知っている必要は全くない。
(≧∀≦)ゞ(≧∀≦)ゞ(≧∀≦)ゞ

だからね、しらみ取ってるってとこで、ああふたりは深い関係になったんやなって思ったらよろしい、ということなのよ。
ほら、あとで、トロルに「この人は、~おれの姫だと思うな」って言ってるでしょ。

例えば、指輪。
お姫さまが銀の白の髪の毛に指輪を結びつける。これは?
そう、信頼と愛情を感じ取ればいいのね。

人物の孤立化
二人兄弟は別れて、ひとりで行動します。
お姫さまはお供を連れてひとりで海辺へやってくる。
お供が逃げるから、お姫さまは完全にひとりになる。
主人公とお姫さまは、二人きりで向き合うことになる。
孤立した者同士が一対一。
しかも、このふたり、それぞれに独特な存在です。
銀の白は、母親がリンゴを食べて妊娠した、その子どもなんだって。
お姫さまは、王の娘ということで際立った存在ですね。
昔話は、社会の末端にあるものを主人公にするっていうのは、常識ですね。

くっきりした極端なものを好む
昔話が、金・銀・鉄・水晶を好むのは、それらが、キラキラ輝くからだけではないし、貴重なもの(極端なもの)だからというだけでもない。昔話は、硬い物、形のはっきりしたものを好むからなのです。

それでね、昔話を聞く人は、くっきりした確かな明るい語り口から、昔話にそなわっている明るい輝きを自分の中に取り込むことになるんだって。
なるほど、それで昔話は楽しいんだヾ(≧▽≦*)o

はい、きょうはここまで。

*************

オンライン講座日常語の語り入門はしめきりました。
あちゃ、しまった~って思ったかた、一人ぐらい何とかなりますので、どうぞ~

 

 

 

 

竜殺し1🐉

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第3章竜殺しー昔話の文体

竜殺しって、なんだか物騒な題名ですね(笑)
ここでは、いわゆる竜退治の昔話を一話取り上げて、昔話の文体について説明されています。
とりあげてあるのは、二人兄弟型昔話のスウェーデンの類話です。
ただし、この話の原典を翻訳で読むことはできません。部分的に引用されているので、それを載せていきますね。

二人兄弟型昔話は、きっとどこかで見たことがあると思います。
身近なところでは、グリム童話の「二人兄弟」。
めっちゃ面白くって、語りたいんだけど、めちゃめちゃ長いのです。
どうぞ、読んで見てくださいね~

はい、では、本題に入ります。
まずは、発端句についての説明です。

「むかしあった、いつかあるだろう。これがあらゆる昔話の発端である。『もし』もなければ、『ひょっとしたら』もない。鼎(かなえ)には確かに脚が三本ある。」

これは、ブルターニュ地方のある昔話の発端句です。(発端句についてはこちら⇒
リュティ氏は、これを、昔あったことは将来もあるだろうという昔話のささやかな哲学といいます。
昔といってはいるけれど、じつは過去のこと、もう終わったことではなくて、これからも起こることなんだよといって、語り始めるのですね。

たしかに、人間同士の戦いも、洪水も、感染症も、昔あったことは必ず繰り返されます。確実に。

さらに。
「『もし』もなければ『ひょっとしたら』もない。鼎には確かに脚が三本ある」というのは、昔話が世界を描くときの確かさ、明白さを面白おかしく言い換えたものだと言います。
昔話の文体が、鮮やかで、描写が確かだというのです。
わたしたちは、《昔話の語法》やそれぞれのところで昔話の文体(表現)について学んでいますね。
復習もかねて、少しずつ読んでいきます。

まず、取り上げるスウェーデンの昔話(題名が書いてないのです、ごめんなさい(⓿_⓿))は、百年以上前に記録されたものだそうです。

ふたりの兄弟の名前は、「銀の白」と「小さい見張り」。
まず銀の白が旅に出ます。

はい、説明は次回。
読んでおいてくださいね~(❤´艸`❤)

 

 

ラッキーとアンラッキー🙄

リュティ『昔話の本質』報告
をしようと思ってたんですよ。

いつも、どこをどうまとめようかと、勉強机でコーヒー牛乳を飲みながらちょっとおやつをつまみながら、考えるのね。

ああああああああ!
たっぷり入ったマグカップをひっくり返してしまったあ(っ °Д °;)っ
慌てて、本だけはのけたけど、あと、紙類、筆記用具、カード...
カーペットまで、コーヒー牛乳まみれ。

後始末をせんならんし。やる気は失せた。
で、今日の報告はなし。

実は、一昨日のWEBおはなし会の直前。
この日はトマトジュースを飲みながらやろうと思ってたの、
ところが、開始直前、パソコン机の上で、たっぷり入ったトマトジュースがひっくり返った。
なんでやねん≡(▔﹏▔)≡
パソコンは無事だったが、トマトジュースの香りでいっぱいのおはなし会だった。

ところで昨日15日は、お買い物しなさい~の日。
電車で一駅の某プラザへ、下着を買いに行った。
カードにお金が入ってなかったので、チャージ。
1万円で50円もらった。ラッキー。
帰ってから、いつもの某センターで、チャージ。
1万円で150円もらった。ラッキー。
うれしくて、大隅産のかば焼きを、迷いに迷って、買った。
レジのおねえさんが、「いこいこシニアデーです」って、5パーセント割り引いてくれた。
「めっちゃ、ラッキーやん」って、おねえさんに叫んでしまった。笑われた。
帰りに、近くの某ナカガ〇でチャージしたら、1万円で60円もらった。

うふふ。
人生、禍福はあざなえる縄の如し
机まわりがちょっとコーヒーくさいけど(❁´◡`❁)

 

 

 

ウェブおはなし会☔No3

ウェブでおはなし会を始めて、今回で3回目です。
あらかじめエントリーをしておいて(時間に限りがあるので)、当日はただ語るだけ、聞くだけの批評は無しなのです。
勉強会ではない気楽さゆえか、はたまた、勉強会が行えないし、おはなし会もできない状況で、おはなし環境に飢えているのを少しでも埋めるためか、じりじりと人数が増えております。

プログラム
「ついでにペロリ」『おはなしのろうそく6』東京子ども図書館
「あちちぷうぷう」『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』語りの森
「やまたのおろち」語りの森HP →こちら
「駅前の自転車預かりの話」語りの森HP →こちら
「うそつきくらべ」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
「まほうの鏡」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
「かも取り権兵衛」『日本の昔話2』おざわとしお再話 福音館書店

今回は全員で15.5人でした。
0.5人というのは、惜しくも時間中には完全にログインできなかったかたがおられたからです。
いや、ログインはできているんだけれど、画像と音声が出なかったのです。
確かに本人だとはわかっていたんですよ!
便利なツールなんですが、みんな慣れるまでがやっぱりね、大変ですね。
だってわたしなんて、パソコンやスマホなんて、人生のうちでつい最近ですから。
生まれたときから、あるいは、人生の大半ですでにインターネット環境が整っていた人には、きっとわからないでしょうね。
わたしは、ひとつできるごとに、「やったー!」って、そうとう喜んでます(笑)
だから、ウェブおはなし会もそうとううれしい(笑)
次回も楽しみです。
みなさん、7月28日の午前10時に、あおいしましょう(^^)/