ねえねえ、おはなしってね💖

ねえねえ、おはなしってね、語ってほしがってるんだって~

インドの昔話を読んでるとね、こんな昔話があったのよ。

ある男が使用人を連れて遠くの村に出かけて行った。
とちゅうで、小屋に泊まって、晩ご飯を食べてから、使用人が男に、「ひとつ、お話をしてくだせえ」っていった。
けれども、男は疲れてたので、そのまま寝てしまった。
男がぐっすり寝てしまうと、四つの話が男のお腹の中から出てきて、話し合いを始めた。
「この男は幼い時からおれたちを知っていたくせに、だれにも話してくれない。こいつの腹の中で無駄に暮らすことはない。こいつを殺して誰かほかの人と暮らそう」
「おれは、こいつがご飯を食べようとしたら、最初のひと口を針に変えよう。そいつを飲みこんだらこいつは死ぬだろう」と、一つ目の話が行った。
「それでも死ななかったら、おれは、道端の大木になって、こいつの上に倒れてやろう」と、二番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、おれは、蛇になってかみついてやろう」と、三番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、こいつが川をわたるとき、大波を起こしてさらってやろう」と、四番目の話が言った。
使用人は目を覚ましてこの話し合いを聞いていた。
つぎの日、四つの話のいった通りのことが起こるんだけど、使用人が、先手を打って男を助けてやる。
男が使用人になぜ知っていたんだと聞くと、使用人は、それは話せない、もし話したら石になってしまうからといった。けれども、石になった自分を、男の孫に投げつけたら、自分は生き返るのだと。
使用人は一部始終を話して石になり、男の息子の妻が子どもを投げつけたので、使用人は生き返った。  「話されない話」

ざっと、あらすじだけだけどね、強烈におもしろいでしょ。
お話に意思があって、強い感情も持っているのよ。人間に復讐するくらいだからね。
で、お話にしてみれば、人間が自分を話すことで、自分は生きているのね。

だからね、みなさん、知ってるお話は、だれかに語らないとだめなんですよ。
復讐されちゃうよ(笑)

この昔話は、『インドの民話』A・K・ラーマ―ヌジャン編/中島健訳/青土社 に載っています。
この本の序論に、物語は、解釈という行為においてのみ繰り返し存在することが可能になると書いています。「解釈」っていうのは、話を聞くときに起こるし、それを語る時にも起こりますね。ほら、同じ話でも、聞く人によってとらえ方が変わるし、語り手によっても違う話に聞こえる時ってありますよね。つまり、ひとりひとり解釈が違うということなのね。そういう意味では、「再話」も「解釈」ですよね。ある資料を読んで私が解釈したのが、わたしの再話。ね。

そこで、はたと気が付いた。
同じ話型の話でも類話がいっぱいある理由に!
だって、地球上に今生きている、そして、今まで生きてきた人たちが、ひとりひとり解釈したら、同じ構造の話でも細部のみならずテーマまで変わって当然だって。
究極の多様性!!!

ラーマ―ヌジャンさんは、ある物語を知っていたら、それを語ることは、他の人々(聞き手)に対してだけでなく、物語そのものに対する義務なんだっていいます。
伝承は手入れが行き届いた状態に、伝達される状態に保たねばならない。さもないと、やっかいなことが起こるよと、「話されない話」はいっているのです。

はい、語りの森のテーマですね。
気に入ったお話を、あなたの愛する人に語ってください。

************

今日は午後におはなしひろばを更新します。
エチオピアのかわいいおはなし「うさぎ」
すぐ覚えられるから、聴いて、伝えてくださいね~

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です