月別アーカイブ: 2022年10月

いばら姫の語法 感想4

受講されたかたの感想、続きです~

Eさん

短く言うと、昔話と語法に感謝。昔話の研究者、リュティさん、小澤さん、ヤンさんに感謝です。それに尽きます。
もう少し長く言うと…世界中に散らばっていった、もしくは発生した昔話が語法によって貫かれている、そのことによる人間の性質の普遍性を強く感じました。
そして、昔の人の聞いて覚える能力も今とは比べ物にならない程、高かったんだろうなと思います。

昔の人の聞いて覚える能力かあ。
情報がほとんど耳からの言葉だけの時代を、人類は長く生きてきたんだものねえ。
聞く力だけでなくて、五感が鋭かったでしょうね。生き抜くために。
今は文字あり、映像あり。紙も捨てるほどある。もったいない。
簡単に伝えられるから、伝えることの重さも実感しにくいし、あんまりたくさんの情報が入ってくるから、覚えようにも覚えられない。何が覚えるべき大事なことなのかもわからない。
でも、聞いて覚える能力は手放してはいけないと、本能的に思います。
子どもはいい耳してるもの。楽しみながら鍛えていきたいと思う。
あぁ、わたしはもうおばあちゃんやけど、あきらめたらあかん、な。

語法から外れてしまった話は、聞き手の記憶に残りにくく、伝えたい気持ちが弱まったり、短い話になったり、消えてしまったりする。そんな残っている昔話を全部集めて、ギュッとしたら人間ができあがるわけですね(含世界性)。
人類への秘かなる応援話なんだなと、ヤンさんのお話を聞いて嬉しくなりました。昔話の口伝えは、ほとんど途絶えかけているのかもしれません。ありがたいことに今は、原話や再話テキストを手に取ることができるので、口伝えをこれから新たに始めるくらいの気持ちで、語法を駆使して語りや再話をしていけたらなんて楽しい人生だろうと思いました。

好きなことをして、それが人類の歴史とかかわっているを思うと、ほんのささやかなことでも、うれしいね。がんばろね。

最初はハテナ?な語法ですが、勉強し続けることで、テキストに対する引っ掛かりがなくなりました。例えば、平面性の表れね、と納得して語れるようになり、自分の好みやこだわりを手放すことができるようになってきたと感じます。
ヤンさんや先輩方は大変な努力されてテキストとにらめっこをしてきたことと思います。私は、ほとんどヤンさんの再話テキストを選んで語ってきたので、そういう部分の努力を全くしてきていません。まだまだ、自覚していない事がたくさんたくさんあると思うので、語法を分かって再話をすることで、語りを磨いていきたいなと思いました。ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございます。
あと、おひとり、お楽しみに~

**********

いま、来年度の語りの森の予定を立てているところ。
なんかもう1年が過ぎ去った感じ。
まだ総会は無理やろなあU_U

 

10月のおはなし会🌰

10月25日(火)

幼稚園 4歳児

ろうそくぱっ
おはなし「ギーギードア」『おはなしはたのしい』たなかやすこ
ろうそくぱっ

9月は、ほら、おはなし会当日に階段でこけたでしょ。
だから、7月以来のおはなし会になりました。
2か月も空いたら、子ども、成長するね~!
みんな、トミーになって、「わあ~~~!」って叫んでくれました。
ああおもしろかった!

幼稚園 5歳児

ろうそくぱっ
おはなし「わたしがテピンギー」同名絵本より
絵本「いました」五味太郎/ブロンズ新社
ろうそくぱっ

「わたしがテピンギー」は、今回が初出だったので、おそるおそるでした。
やっぱり今でも初めて語る話は緊張します。
ここでこう返ってくるだろうとか、こういえば分かるかなとか、手探りだからね。でも、そのぶん、新鮮です。
わたし「井戸の周りにいる女の子たちは、みんな赤い服を着ていました」
子ども(爆笑)
わたし「どの子がテピンギーだい?」
子ども「顔見たらわかるやん!」
子ども「顔知らんねん!」

テピンギーは、内容が結構シビアなので、五味太郎で締めました。
「ねました」でとっても嬉しそうに笑っていましたよ。

***********

言い訳
月曜に高校の保育が始まったのと、火曜に幼稚園おはなし会があったのと、水曜に図書館の絵本講座2回目があったのとで、いばら姫の感想がまだお二人分、報告できてませ~ん。
お待ちあれ~~~

 

 

10月の中級クラス

この度から中級クラスの報告させてもらうことになりました。よろしくです~(^^♪

1.マカトのたから貝 『子どもに語るアジアの昔話2/こぐま社』

2.豆のつる 『語りの森HP』

3.サヴィトリ姫と死神 『新編世界むかし話集7 インド・中近東編/インタープレイ』

4.豆まきの由来 『子どもと家庭のための奈良の民話』

5.金の鳥 『語るためのグリム童話3/小峰書店』

ヤンさん 手遊び:小さな畑

♪小さな種をまきました~ ぐんぐんぐんぐん芽が伸びて~ お花が咲きました~ ぽっ ♪中くらいの畑を…ぱっ ♪大きな畑を…がばっ ♪バカでかい畑を…ドカン

おはなし:おはなしかめさん 『朝鮮の民話/偕成社』

長い話と短い話がいい具合いにプログラムされた、楽しい大人のおはなし会!でした。お一人お一人、それぞれの感性でもって、おはなしを大切にされている様子がいつも伺えて、学びを深めることができます。ヤンさんのアドバイスでは、覚えたら語る、が印象的でした。いつも言われていることですが、今回は特に耳に残りました。同じ話をいくつかのグループに語る、ピタッとくる学年を探す、三者三様ここらへんとわかってくる、今の私と今のこの子ら。そして、次の年もその学年に語る、そうして自分の十八番のおはなしになっていく、とのことでした。

それと、名言が出たので記録…立てたい言葉は噛んでふくめるように丁寧に言う。以前から言われていたのかもしれませんが、初めて耳に残りました。忘れているのか、自分が変わってキャッチするものが変わったのか…噛んでふくめる!理解を進めるイメージを与える言葉だなと思いました。よく使う言い回しなんですかね。国語より数学が好きなのでお許しを。本を読みます~。余談ですが、最近「アルプスの少女ハイジ(ハイジの修行時代と遍歴時代)」と「シートン動物記」を読みました。子どもの頃に大人に紹介してほしかったな!と思う反面、今読むからいいのかなとも思える。次は「ツバメ号とアマゾン号」を読みます~長いので、読み終えるために、この場で宣言させてもらいました(^^)

次回は11/15㈫です。

いばら姫の語法 感想3

すっかり秋らしくなって、うれしいなあ。
きんもくせいの香りも終わってしまいましたが、空気が澄んで空が高い。

語法勉強会の感想のご紹介です。

Dさん

正直なところ、最近になって、昔ばなし大学で学んだ語法が、語ることにどう役に立つのかなと少し懐疑的な思いがありました。
心に描いたイメージを素直に自分の声に乗せて語る時、目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける。それだけではダメなのかな?知識が必要なのかなと思う事がありました。
でも、今日受講して、やっぱり聞かせてもらって良かったと思いました。

昔話は不思議の連続、あり得ない事が次々と起きて、聞き手の心を奪い力強く結末へと導いてくれます。
これには語法がなくてはならないと。
耳で聞く文学だからこそ、語法の大切さが理解できました。語法をおはなしの展開に沿って解説して下さり、とてもわかりやすかったです。

理論が実践にどう役に立つのかっていうのは、理論を一生懸命理解しようと頑張っているとその渦中ではわからなくなってしまうことって、ありますよね。泥沼になって(笑)
おっしゃっているような「目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける」ことが、語り手の仕事ですよね。でもそれ、とっても難しいと思います。
というのは、語り手に表現力が必要なだけでなくて、聞き手に語彙力と高い想像力が不可欠だからです。
語り手は自分の表現力を高めるために努力をする、これは当然なんだけど、聞き手の語彙力や想像力はどうすればいいでしょう?聞く力のある子どもだけをターゲットに語りますか?いやいや、そううまくはいかないし、そんな子は自分でどんどん本を読むでしょうね。
だれもが努力しなくても楽しんで聞けるおはなしが、求められるんじゃないかと思うのです。
そうなると、だれもが努力しなくても自然に楽しめる、想像できるテキストが必要になってきます。
時間の流れに沿って聞いているだけで、すうっと物語を思い描けるような言葉の連なりを語り手が口にしてくれたら、子どもはストレスなしに聞けますよね。
それが語法にのっとったテキストだと、ヤンは思うわけですよ~

また私は、「モリー」の様に自分で行動して幸せを掴みに行く主人公が好きで、どうしてもそんなお話を選びがちです。はらはらわくわくする様な。
でも、振り返ってみれば私自身も、気力と行動力でがむしゃらに突き進む時もあれば、局面で立ちすくんでしまって誰かの励ましや示唆によって進むべき方向を見いだす事ができたりと、いろいろです。
本当に昔話は、人生そのものだと感じました。
これからは、好きなタイプのお話ばかりでなく、違うタイプのお話も意識して選んでレパートリーに加えて行きたいと思います。

自分の中にいろんな自分がいる。当たり前のことだけど、たとえば、正直な子、明るい子、親切な子、考え深い子でなくっちゃという気持ちでがんじがらめになることって、あると思うんですよね。
でも自分の中の負の部分を、自分も周りの人も認めると、楽になる。
昔話はそういうことをしてくれるんじゃないかな?
Dさんの感想から、そんなことを考えさせていただきました~

さてさて。
わたしにとってもリュティ理論は、文芸論を超えて哲学としての魅力をたたえております。みなさんも、ご自分の生き方と照らし合わせておられるようで、仲間やなあと思えてうれしいです。
あともう少し感想をいただいているので、お楽しみに~

************

今日は、中学校の2学期のおはなし会についてのミーティングでした。
決めることは少しだったので、よもやま話から、コロナ後のおはなし会の在り方のような話になりました。
大人も子どもも、コロナで確実に人との距離が大きくなっている、それに反比例してオンラインを便利に使いこなすようになっている。
でね、若いお母さんにおはなしの大切さを伝えられるようなおはなしの場がもてないか、という意見に、ちょっと、かなり感動しました。

そんなおはなし会なら、コロナ収束していない今でも、すこうしずつ、実践していけますよね。
みなさんの行動力に期待します。

え?
ヤンはね、もう35年も一直線にやってきたからねえ。
その一直線の先、つまり現在、やりたいことがある。ありすぎて困っている。
なにかって?わかってるでしょ!
よい再話(^///^)
そのために学びたいことがいっぱいある~

 

 

10月の日常語クラス

奇数月に行っている日常語クラスですが、9月は思わぬ出来事のために10月に変更になりました。
メニューは以下のとおりです(*’▽’)

語り
「笛ふき婿」『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』語りの森
「ぬすっと人形」語りの森HPおはなしひろば
「腰おれすずめ」語りの森HP日本の昔話
「おおかみのおくりもの」『日本の昔話2』福音館書店
テキストを日常語に直す
「聞き耳」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
ヤンさんの語り
「じいよ、じいよ」『日本のむかし話舌切りすずめ』松谷みよ子 講談社

久しぶりにみなさんの日常語による語りを聞かせてもらって、ほっとしたような、安心するような気持ちをいただきました。
おはなしを聞かせてもらうというのはいつでもそうなんですが、日常生活の良いも悪いも混在する世界から、いっとき別の世界に連れて行ってもらえます。
日常語の勉強会では、すべてが語り手さんの言葉で語られるからか、とくにほっこり感を感じます。
どの話もそうだったんですが、今回、参加者さんの取り上げられた話ではなくてヤンさんが語られた話をどうしても一言いいたいんです。
「じいよ、じいよ」を久しぶりに聞けて良かった~~(((o(*゚▽゚*)o)))
もう、詳しい中身を忘れるほど前に聞いたきり、長いこと聞いていませんでした。
怖いといえば確かに怖い話なんですが、大人には怖くて面白い話です。

仲の良い老夫婦が、死んでも一緒に埋めてもらおうという約束をして、先におばあさんが死んでしまうんですよ。
おばあさんは、床の間に〝縦祀り〟(漢字がこれでいいのかわかりませんが)にしてもらって、おじいさんが亡くなるまでの間そこにいるんですよ。2~3年たって骨と皮ばかりになったおばあさんは夜ごと、隣の部屋にいるおじいさんに「じいよ、そこにいってもええか~」って聞くんですよΣ(・ω・ノ)ノ!
おじいさん、もう気味が悪くて、いい加減いやにもなってきてます。
そこへ、道に迷った旅人が一晩泊めてくれと言ってやってきます……。

子どもに語ることもできるけれども、大人は怖いだけじゃなくて面白いと感じられるから、わたしは大人の話かなと思います。
「ちいさいちいさい」とか、小さい子どもにもできる怖くて面白い話とは全く違う面白さです。
怖さですが、わたしはおばあさんの執着が怖いですし、おじいさんの薄情さがおもしろいし腹立たしいと感じます。
それらいろんな感情を、前に聞いたときに感じて覚えているから、ヤンさんがこの話の題を出してくれた時にものすごくうれしかったです!
日常語で語るということがとても生きていると思います。
参加者さんの話ももちろん楽しく聞かせてもらいました。
でも、わたしの中では、この日は「じいよ、じいよ」に、ぜ~んぶ持っていかれました(^O^)/