月別アーカイブ: 2020年7月

生きている人形2🏃‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話

ここでは、生きている人形が主人公の伝説と昔話を比較して、その表現の特徴を考えます。

以下の写真はスイスのウーリ州のアルプスの伝説、全文です。

引用
伝説とは、恐ろしい出来事、不快な出来事に関する報告ー時としてまったく様式化されていない報告である。その点で物語の原型といえる。

たしかに、恐ろしいですよねえ。
どうしてこんな恐ろしいストーリーが伝わるのか。

白い霧とか、光の輝きとか、風のざわめきに、人が驚いたとする。

あれは、白い女だ、真っ赤な男だ、狩りの一行の物音だ、と解釈する。
これは、恐れを克服する第一歩。

白い女は救いを求める哀れな魂である、赤い男は傲慢を戒めている、狩りの一行は死者の群れである、とさらに解釈する。
その結果、説明されればある程度落ち着くことができるけれど、いっぽう、死者の世界と接触するんだから、さらに恐怖はつのることになる。

なるほどね。
じゃあ、この恐さは、文体の表現の面から見るとどう説明できるんだろう。

昔話は現実を抽象するが、伝説は現実的な想像を強いる。
この伝説の類話にこんなのがあるんだって。その最後の場面ね。
「(妖怪は)残った男の血まみれの皮を小屋の屋根に広げていた。それを見てみんなは恐れおののいた。それ以来、そこは屠殺(とさつ)の山と呼ばれている」
ね、現実的な想像を強いてますよね。
昔話ではどうでしょう。

ルンペルシュティルツヒェンはわれとわが身を引き裂きますが、紙の人形がまっぷたつになるイメージですよね。悪いお妃が四頭の馬に引き裂かれても血は流れない。狐の手と首を切り落としても血は出ない。リアルさがない。抽象的なのね。
昔話の平面性(こちら⇒)です。見てね。

あ、断っときますが、伝説って怖い話ばかりじゃないけど、ここでは恐い話を例に挙げてるのね。分かりやすいから。

次回は、生きている人形の出てくる昔話をみます。
リュティさんは、伝説から昔話へ戻ると、まったくほっとする、といいます(笑)

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きのうは、おはなしひろば、「三枚の鳥の羽」をアップしましたよ~
おはなしひろばも開設してそろそろ1年になる。コロナ騒動からほぼ毎日更新してたから、ずいぶん増えて189話になった。
今後、《おはなしひろば》の話を増やすのと、《日本・外国の昔話》の話を増やすのと、どっちがいいかなあと迷ってる。
今ね、《日本~》は83話、《外国》は76話。
暑いしちょっとペース落ちそうやし。

 

 

 

 

来年のカレンダー🌙🌞

世界も日本も、息がつまるようなストレスにさらされているような気がします。
わが市も、7月19日から、ほぼ毎日感染が報告されています。
秋からはおはなし会も再開できるのではという予測もひっくりかえりそうです。
若い感染者が多いからといって、楽観できない。年寄りは絶対かからないってわけじゃないんだから。
軽症や無症状が多いからって、油断はできない。重症者はいるんですから。

終息させたいです。

先日、アフガニスタン山の学校支援の会からお便りが届きました。
アフガニスタン山の学校支援の会っていうのは、写真家の長倉洋海さんがアフガニスタンのパンシール渓谷にあるポーランデ地区の子どもたち の教育支援のために作られたNGOです。こちら⇒

そのお便りに2021年のカレンダーができましたよってチラシが入ってたのです。
世界じゅうの子どもたちの笑顔、笑顔、笑顔。
いつもその笑顔に励まされます。

まだ7月なのに、来年のカレンダーなんて、早いなあって思ったんだけど、次の瞬間、あ、そのころコロナはおさまってるかもしれない、ワクチンができてるかもしれない、光が見えてるかもしれない、と思った。
賢くがまんしてれば、時がたてば終息するんだ。
希望のカレンダー!

お便りに書いてあった長倉さんの言葉、ちょっとだけ紹介させてください。休校中のポーランデの子どもたちのことです。
オンライン授業ができる環境はありませんが、学校が再開するのを心待ちに教科書に見入っているにちがいありません。健康であれば、勉学の遅れは取り返すことができます。

そう、健康であれば!
頑張ろうね( •̀ ω •́ )✧

 

 

 

 

ウェブおはなし会☁No.4 

2週間に1度、第2と第4火曜に行われている、ウェブおはなし会も4回目になりました。毎回新しく参加される方がおられ、久々にお顔を拝見し、画面を通じてとは言え、とても嬉しくなります(^^♪ 毎回語られる方、聞くだけの方、途中で抜けられる方、今回は友達の家で一緒に参加された方々など、様々です。

今回の参加者は14.5人でした。画像と音声が出ないトラブルが発生している方が数名おられましたが(私も初めての時はトラブルましたし、毎回1人はおられます (笑))、無事解決し、語りが始まりました。

🕯プログラム🕯

①「お化け学校の三人の生徒」 『おはなしのろうそく28』/東京子ども図書館

②「三匹のちょう」 『語りの森昔話集4 おもちホイコラショ』/語りの森

③「にんじんとごぼうとだいこん」 『語りの森昔話集4 おもちホイコラショ』/語りの森

④「ふしぎなたいこ」 『ふしぎなたいこ』/岩波書店

⑤「こぶとりじいさん」『語りの森昔話集4 おもちホイコラショ』/語りの森

⑥「だんまりくらべ」 『語りの森昔話集2 ねむりねっこ』/語りの森

語りの森の新刊『おもちホイコラショ』から語ってくれた方が3名もいました。「三匹のちょう」は自分も覚えたいと思っていたおはなしで、今回聞けて、改めて語りたくなりました。また、(私は日常語のクラスを受けていないので)、普段聞くことのできない日常語で聞けたのも楽しかったです。

ウェブで語るって、どんな感じ?今まで2回語らせてもらったのですが、普段の練習と変わらない感じです。私の場合、良くも悪くも緊張しませんでした。画面を通してしか聞き手の顔を見れない、しかも、私のスマホは一度に3人しか映らず、細かな表情まで分かりませんので、リラックスして語れました。ただ、聞き手の表情が見えない分、間は取りにくいですし、反応などは感じにくかったです。他の語られた方はどうですか?

日に日にコロナ感染者が増えており、勉強会の再開も目途が立たない状況です。講評はありませんし、自分の家でゆったりしながら、好きな時に好きなだけ参加できる、ウェブおはなし会、おすすめです。毎回おはなしを聞いてほっこり、癒されています~

次回は8月11日、10時から。パソコンがなくても、スマホで簡単にできますよ!ぜひお待ちしています♪

生きている人形🏃‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話

グリム兄弟が『子どもと家庭のための昔話』を出版したのは、1812年でしたね。
そのあとじきに、『ドイツの伝説』を出版しました。1816年・1818年。
これ以降、世界じゅうで昔話と伝説が集められ、出版され、研究されるようになりました。これは、グリム兄弟の偉大な功績のひとつです。
そして、それは、世界の人びとにどんな影響を与えたのでしょう。
グリムの時代は、識字率が高くなり、口伝えがどんどんなくなっていって、本来の昔話の伝達方法(メディア)が衰退する時代、その中でのグリム童話の出版です。

リュティさんは、昔話が世代から世代へ口伝えにされることは、今日では、破壊されたに等しいといいます。
いまは、新聞雑誌、ラジオテレビの時代だからです。
あらまあ、それどころか、リュティさんより数十年後の私たちの時代は、ネットの時代ですね。本もネットで読める。

今はこんな時代ですが、グリムに始まる昔話集・伝説集の出版によって、昔話・伝説はよみがえっただろうか。と、リュティさんは問いかけます。
答えは、青少年にとっては、よみがえったといえると言っています。
口伝えがなくなったその隙間を埋めているのが、昔話集と伝説集だというのです。

親や教師が、子どもたちに昔話をするとき、本に書いてあるとおりに語ったり、読んだりする。そのための昔話集なのです。
大人が子どもに読む、子どもは聞く
そして、グリム童話は、世界じゅうで最も人気の高い昔話集なのです。
(みなさん、語りの森昔話集も、子どもたちに読んだり語ったりしてくださいね~)

伝説は、地域的な要素が大きいです。
昔話よりはるかに強く語り手と聞き手の置かれている環境と結びついている。
だからこそ、子どもは、真実性のある話として、伝説に夢中になるというのです。
子どもは伝説を読む。幼いころ夢中で昔話を聞いたように。

かつて『子どもと家庭のための奈良の民話』を再話編集した時、かなり多くの伝説を入れました。語り手も聞き手も、自分の土地の話として愛情を感じることができると思います。奈良の子どもたちに読んでほしいと思います。

おっと、話を戻します。

昔話や伝説を本にするというのは、子どもたちにとって大きな意味がある。
わたしたち、語り手はこのこと、よくわかりますね。
では、大人にとってはどうか。
リュティさんは、大人は昔話は子どものものだと考ているし、伝説も衰えているといいます。
なんか、どうしようもないみたいです。悲観的ですね~

でもわたしはね、大人のわたしはね、昔話を読んでると、励まされるのです。
がんばろ~と思えるのです。
小説だって面白いし夢中になるし考えさせられるけど、昔話はストレートにダイレクトに、励ましてくれるのです。
みなさん、そんなことありません?
わたしが子どもっぽいのかなあ。

おっと、話を戻します。

ともあれ昔話と伝説は、数百年の間、語られ伝えられてきた。
昔話と伝説の違いを、具体的に見ていこうというのが、この章の目的です。
次回は、めっちゃ怖いアルプスの伝説を紹介します。

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きのうはzoomを使ったおはなし会でした。
楽しかったよ。
もちろん、語りが楽しかったの。
でも、zoomに入られへん、顔が写らへん、声が聞こえへんという騒ぎもおもしろかった。
ジェニィさんが報告してくださるので、お楽しみに~o(*^@^*)o

 

 

 

地の雌牛4🐄おしまい

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第4章地の雌牛ー昔話の象徴的表現 つづき

さていよいよ、昔話に出てくる動物が、何を象徴しているかということを考えます。

地の雌牛のお話の続きです。
ある日、姉のアンネちゃんが、マルガレーテちゃんをさがしに行きます。
森の中で道に迷い、地の雌牛の家にたどり着きます。
雌牛は留守でマルガレーテちゃんひとり家にいます。
ああ、禁令は破られるためにあるんでしたね~

マルガレーテちゃんはアンネちゃんを中に入れます。
つづきは、本文をどうぞ。

ある日、身分の高い男が通りかかり、りんごを所望する。
アンネちゃんにはりんごがとれない。マルガレーテちゃんがりんごを取ってやる。
マルガレーテちゃんは男の息子と結婚する。おしまい。

昔話に出てくる動物は基本的に二つの役割を持ちます。
ひとつは、人をほろぼす敵で、ひとつは、人を救う味方。
どちらも彼岸の存在だけどね。
前者は例えば竜。第3章でみましたね。
後者は地の雌牛。グリム童話の「金の鳥」のきつねとか、ロシアの昔話の灰色狼とか。

まず前者の敵としての動物。
竜との戦いは、人の無意識の世界に潜んでいる悪とか不気味な力との戦いを象徴している。つまり自分との闘いだというのです。
また同時に、現実の世界における悪との戦いをあらわしている。
この戦いに勝つことが、人は王者となりおひめさまを手に入れるという象徴で表されるのです。

では、後者の援助する動物。
地の雌牛や人を助ける動物は、わたしたちの心の中にある意識されていない力の象徴ではないか、とリュティさんはいいます。
つまり、知性によってまだねじ曲げられていない、生まれながらの情感的な魂が、わたしたちを養い、導くことができる。

でもね、そのままの姿ではだめなんだって。
地の雌牛は殺されてりんごの木に再生してはじめてマルガレーテちゃんを幸せにできるのです。
かえるの王さまは、壁にたたきつけられてはじめて王子となり、姫は幸せになる。
きつねは、首と手を切られてはじめて人間になり、王の幸せは完全になる。

雌牛もかえるもきつねも、そのままでは次元の低い天性にすぎない。でも、それが高い次元の天性に変わると、幸せに到達できるというのです。
そして、変わるためには、悩み苦しみ、残酷な行いも省くことはできない。
そのための残酷な行為なのね。つまり極端な苦しみ。

引用
持って生まれた性質がどんなに身を守り養ってくれるにしても、それにまかせきってはいけない。生まれつきの傾向はいたわられ、甘やかされてはならない。精神の剣によって変化させられるというか、魔法を解かれ、救済され磨きをかけられなくてはいけない。

深いなあ(^///^)
昔話が伝えようとしていることは、道徳とかお説教ではないね。
もっと深い人の魂に関わることやね。

はい、おしまい。

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今日は月曜日。HP更新の日ですよ~
《日本の昔話》に、恐~い話をアップしました(❁´◡`❁)