眠る七人の聖者~伝説

マックス・リュティ『昔話の本質』
第2章眠る七人の聖者ー聖者伝―伝説―昔話 報告つづき

復活という奇跡を扱っている物語に、「三百八年間眠った僧院長」という伝説があります。

内容
僧院長エーヴォは、食後に森に散歩に行って、小鳥の声を聞いているうちに眠ってしまいます。30分ほどたって目を覚まして帰りますが、修道院の様子が一変していて、門番は一度も見たことがない男でした。
エーヴォが「誰にやとわれたんだ」ときくと、門番は、変な顔をして、
「ここの人間でもないのにどうしてそんなことを聞くんだ」といいました。エーヴォは、
「私はここの僧院長だ。昼寝から帰ってきたんだ」と叫びました。門番は、院長を呼んできました。院長は修道僧たちを全員集めましたが、だれも、エーヴォを知りません。皆、ひどく驚き、訳が分かりませんでした。
院長は、僧院の年代記を持ってこさせました。
書物をめくって探すと、1208年のところにエーヴォの名前が見つかった。この神父は308年間森で眠っていたのであった。エーヴォはそれをきくと、音もなく倒れ、砕けて塵となった。

おおお、恐いですね~~~
砕けて塵となるんですよ。

昨日読んだ聖者伝では、
聖者たちはみな頭を垂れて眠りにつき、神のみこころのままに死んだのに。

もう一つ聖者伝が紹介されています。「ジークブルクの修道院長エルフォ」
ストーリーは伝説のエーヴォさんの話とほとんど一緒なんだけど、エルフォが亡くなる部分を写しておきますね。
みんなはこの奇跡のゆえに神をたたえた。それからエルフォは教会へ行き、聖餐を受け、大声で神をほめたたえると、倒れて死んだ。これは、1367年のキリスト昇天祭の次の日に起こったが、この聖なる男が姿を消したのは、1067年の同じ日であった。

こうして伝説と聖者伝を比較して分かることは、伝説は、奇跡の不気味さや不思議さを伝えようとしているのに対し、聖者伝は奇跡を通じて神を讃えようとしているということですね。
伝説を聞く人は、驚き恐れ混乱します。聖者伝を聞く人は心が高揚して信仰心にみたされます。
つまり両者は語られる目的が異なるのです。
共通するのは、奇跡を事実であると信じさせようという意図があることです。だから、表現が写実的で、時間の流れに敏感です。年数で、事実を裏付けようとしていますね。

では、昔話はどうでしょうか。
次回は、グリム童話のなかの、子どものための聖者伝説から「十二使徒」を読みます。

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