眠る七人の聖者~聖者伝⛪

ちょっと仕事が入ったり、息子が帰ってきたりして、バタバタしてました。

はい、報告ね。
マックス・リュティ『昔話の本質』
第2章眠る七人の聖者ー聖者伝―伝説―昔話

きょうは、「聖者伝」について。

まだラジオもなかった時代、人びとは、夜の団らんで、いろいろな話を語ってきたけども、それは「話」であって、昔話とか伝説とかに分類分けされてはいなかった。分類したのは研究者なのですね。
でも、人びとは意識していなかったけれども、自然に、はっきりとした区別はあった。
この章では、聖者伝・伝説・昔話の区別と役割について考えようというものです。

わたしたちもあまり意識していないよね。
なかでも、聖者伝は、わたしなんか、無宗教なので、ほとんど関心もありませんでした。

ここでは具体的に、ヤコブス・ア・ヴォラジネ(1230?-1298)の『黄金伝説』から「眠る七人の聖者」をとりあげています。

内容(緑字は引用、野村訳)
ローマ皇帝デシウスが異教を広めるためにエペソスの町の人たちを殺させます。そのとき、キリスト教徒の若者七人が迫害を逃れて洞穴に隠れます。すると、神様が、七人を眠らせて追っ手の目をくらませます。
それから372年たって、・・・異教がはやり、死者の復活はない、と言いふらした。そのために信仰がいたくおびやかされたので、信仰の厚い皇帝テオドシウスはおおいに悲しみ、毛の衣を身につけ、宮殿の奥にこもってひざまずき、夜も昼も泣いた。これを見た慈悲深い神さまは、悲しみに沈んでいるテオドシウスを慰め、死者復活の希望を強めようと思った。そこで、豊かな愛を広げて、七人の殉教者を生き返らせた。みんなは挨拶をかわしたが、ひと晩寝たとしか思っていなかった。
みんなは、マルコに町へパンを買いに行かせます。ところが町のようすががらりと変わっています。
門の上に十字のしるしがあるので、不思議に思った。別の門へ回ると、そこにも同じしるしがあった。マルコはおおいに怪しんだ。門という門に十字のしるしがあり、町のようすがすっかり変わっているので、マルコは夢を見ているのだと思って、十字を切った。
だれもマルコのことを知りません。
マルコがお金を出すと、パン屋の主人は、土の中から掘り出した古銭だろうと言います。
マルコは僧正と総督の前に連れていかれ、僧正は、神が奇跡を示そうとしていることに気付きます。
僧正たちはテオドシウス皇帝をよび、みんなで洞窟に行き、復活した七人に会いに行きます。
聖者たちが皇帝を見たとき、聖者の顔は太陽のように輝いた。皇帝は中へ入り、聖者の前にひれ伏して、神をたたえた。
聖者の一人が言います。
主はあなたのためにーあなたが、死者の復活ということはあるのだ、と固く信ずるようにー大いなる復活の日に先立って私たちをよみがえらせたのです。このことはよく知ってほしい。なぜなら、ご覧の通り、私たちはほんとうによみがえって生きているのだから。母の胎内にいるこどもが何の害も受けずに生きているように、私たちも横になって、生きたまま眠り、何も害をこうむらなかった」
こう言ったかと思うと、聖者たちはみな頭を地にたれて眠りにつき、神のみこころのままに死んだ。皇帝は起き上がると聖者たちの上に身を投げかけて泣き、口づけした。
最後にこのように付け加えてあります。
ところで、聖者たちが377年(372年)寝ていたというのは不確かかもしれない。というのは、聖者たちは主の年の448年によみがえったのであるが、デシウスは、1年3か月しか国を治めなかった。そしてそれは主の年の252年のことであった。だから聖者たちは196年しか眠っていなかったように思われる。

長い文章、読んでくださってお疲れ様でございますヾ(≧▽≦*)o
どうですか、私たちがなじんている昔話とはずいぶん違っていませんか。

その違いをリュティ氏はこのように説明しています。
@描写が写実的。
@あらゆる事柄が念入りに関係づけられている。
@年数に端数があるのは、信憑性を高めるため。
@末尾の批評は、学問的注釈でありつつ、終止符の役割も果たしている。
@末尾の批評は、語られたことの真実性をもう一度強調している。
これらからわかるのは、この話は真実ですよという姿勢で物語られているということです。つまり、信じなさい、ということです。

この物語のテーマは奇跡(最大の奇跡は復活)です。
奇跡を物語るのが目的の話です。
奇跡を物語ることによって、異教徒を改宗させ、虐げられたキリスト教徒を励ます。それが聖者伝の目的なのです。

当然、「むかし、あるところに」と語りだして「ふたりは、死んでいなければ今でも生きていることでしょう」で終結させる架空の昔話とは、同じ「奇跡」を語っても、扱い方が異なるということです。
「いばら姫」の100年の眠りとは違うのです。

聖者伝というのは、聖職者の手によって書き留められたもので、民衆の口伝えではありません。
ラテン語の聖者伝Legendaというのは「読まれうるもの」という意味でです。
聖者伝には、奇跡が書かれていて、信心を起こさせ、信仰を強める力があると考えられています。
人が読むことができる物語というだけでなく、人が読まなければならない物語なのです。

さあ、ここで、「この世の光」を思い出してください。
幽霊が読むことを怠った聖なる書物。文字が縦に書いてあって分厚い本。
ほら~、ウイグル文字による聖者伝????
ゴメン、単なる素人の仮説o(*^@^*)o

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