月別アーカイブ: 2022年10月

いばら姫の語法 感想2

感想の続き~

Cさんです。

●感想
今回は、再話する時の事を考えながら語法を学んでいる自分がいました。
そして、小澤先生が再話の時に「同じ場面を同じ言葉の繰り返し」で加えられたというお話は、とても勉強になりました。

王子がいばら姫を発見するときの行動として、『語るためのグリム童話3』では、らせん階段を上っていく描写があるんですね。この部分は、前半で姫がらせん階段を上っていくときと同じ表現で繰り返されているんです。かつてこの描写がグリムの手によるものではないと知った時の、ヤンの驚きはどれほどだったか~!
以前、小澤先生が、グリムは生涯かけて再話を検討し続けて、7版まででおわったけれど、そこで完成したというわけではなく、人生の時間切れだった。そこで、もしグリムが現在生きていて版を重ねるならこうするだろうと考えて手を加えたとおっしゃっていたことを思い出したのです。
すごいなあ。
で、これで語ると子どもたちの集中度が抜群に上がるのね。
再話の力、語法の力がいかに重要かと思います。
まだまだ、まだまだ、がんばらねば!!!

●質問した事についての感想
時間的な流れに少し違和感を感じた部分に関してもう少し。
印刷の仕方が良くなかったのか、私は7枚で収まってしまって、ページ数が合っていないのですが
多分、5ページ目の「城のまわりには…」からの文章は、「いばら姫」と呼ばれる理由になるところなので必要なのですね。ただ、年月を感じさせない表現でも成り立つんじゃないかなぁ、その方が昔話的だなぁと感じてしまいました。
でも、逆に、ここの部分で急に時間の流れがゆっくりになったのを感じた事で、それまでがいかにスピーディーに無駄なく話が進んできたのを感じました。ずっとスピーディだと、それが当たり前になっているんですね。おもしろいです。

姫が指につむを指して、眠りに落ちた時、王さまやお妃や、馬や猟犬や、ハトやハエまで、ドミノ倒しのように眠っていきますね。その描写の後、
城の周りにはいばらが茂り始め、垣根のようになりました。とあって、そのいばらが年のたつにつれてどんどんのびて、やがて城全体を包み込んでしまったという部分があります。
この部分は、昔話の無時間性が働いていないのではないかという疑問でした(ね?)
昔話では、形態の変化は一瞬にして起きます。昔話の平面性が表れているところ。
ただ、いばら姫のこの部分は、そこから外れています。

そうね、どう考えたらいいのかな?
眠るのも一瞬、目覚めるのも一瞬、でもいばらは成長する。
でも、城を覆いつくしたらそこでピタッと止まるのね。やっぱり抽象的。

昔話の語法の本も読み進めながら、HPで噛み砕いた解説に助けてもらいつつ、学んでいこうと思います。
ありがとうございました。

『昔話の語法』小澤俊夫著/福音館書店
みなさん、読んで勉強しましょう~
秋の夜長に(❁´◡`❁)

宿題まだの人、出してや~ヾ(≧▽≦*)o

 

 

いばらひめの語法 感想1

ジミーさんが報告してくださったオンラインの昔話の語法勉強会、受講されたかたからご感想をいただいています(宿題やってん)。
ありがとうございます!
ご紹介しま~す(*^▽^*)

まずはAさんから~

わたしのパソコンの操作がうまくいかず、私の画面も音声も届かずすみませんでした。こちらには、ちゃんと画面も音声も届き、受講できました。

一つ一つの語法を丁寧に教えていただいたので、勉強の浅い私にとってはとても分かりやすく、いばら姫以外のお話の例もだしていただいて、勉強になりました。
語法は、その時には、うんうん、そうそうとわかっても、何度も繰り返し学んで、自分の中の刷り込まないといけないなと思いました。
語法を学ぶと語りは、違ってくるのですよね。。まだ、語る経験も少なく実感できていませんが。
語法の勉強会に参加するたびに、昔話が本当に深いものだと感じさせられます。
昔話は人生を語っている、奇跡を使って何かを語っている,と言われていましたが、そのこととは、少し違っているかもしれませんが、こどもたちは、昔話を主人公になって聞き、そのなかで、自分の人生を生きる力を培っていくのだと思います。

ちゃんと見聞きしていただけてよかったです。
オンラインっていうのは便利なんだけれども、パソコンやスマホがちょっとヘソを曲げると、ちゃんと機能してくれないんですよね。
でも、みなさん、あれ?あれ?っていいながら、勉強したい気持ちにひっぱられて、回を追うにつれ段々慣れてきてますよね、わたしも含めてね~
だから、引けているあなたも、勇気を出してジャンプしてみてくださいね。

あ、ご感想。嬉しいですね。
何度も繰り返して学ぶ大切さは、ジミーさんも書いておられます。わたしも、この勉強会を続けていく中で、繰り返し学んでいるのです。
そして、語法の勉強が、語りを変える。そう思ってます。
Aさんもふくめ、語り手としての位置から感想をいただいていてうれしいです。

Bさんです~

いままで語法については小沢先生の本を少しかじっただけで、あまり深く考えていなかったのですが、お話を伺い、なるほど語法がわかると話が覚えやすいと言うことに気が付きました。
そして語法の箇所ではやはり子供が強く反応するとのお話も大変興味深かったです。

話の筋書きは変われど欠けたところがかならず満たされるような語法に基づく(予定)調和的なものは子供にとって安心するのでしょうね。
水戸黄門のドラマ終盤15分の流れにつながる物があるのかもしれません。海外に移ってもう十何年も日本の古典ドラマを見ていませんが、あるいみの繰り返しのもたらす効果というものが日常の文化の中にもあるのかもしれません。繰り返しのない物語ばかりをみるのは心身の成長にも良くないのかもしれないなぁともおもいました。

そうなんです、語法を意識して語ると、子どもたちの集中する箇所・反応する箇所がバチッとわかって、語り手と聞き手の思いが瞬時にひとつになるって感じでしょうか。
TVドラマの「ひかえおろう~」の例え、笑ってしまいました。もう知っているものと出会う喜び、そのものですよね。
Bさんは、海外からの受講でした。時差を乗り越えて参加してくださいました。
こっちは朝の10時、あちらは朝の2時、深夜です!
オンラインは、便利ですね~
そして、「とりいそぎ感想まで」ということで、のちほどもう一度、次のようなメールをくださいました。

あのあと、ジミーさんのおっしゃられた「なにもしてないいばら姫」の疑問について少し考えています。
いろんなこどもがいてもいいのだよ、それぞれのときがあるよね、というメッセージであればよいのですが、昨今のジェンダー問題などを考え出すと特に女の子に話すときには少し念頭においておいても良いかな、とおもいました。私自身もねずみの嫁入りとかを語るときに、微妙にひっかかっています。(親が娘の結婚相手をさがしまくり本人の意志がない、など)
でも引っかかりながら物語についての考察を深めていくのもまた面白いのかもとも思いました。

また奇跡を語るのではなくて、日常の普遍的なことを、語法を用いて奇跡的に語るというのも大変深くかつ面白く捉えております。
大変勉強になりました。

何もしてないいばら姫~笑
モリーはすごい行動力で人生を切り開いていくし、グレーテルも、はじめは泣いてばかりいるけれど、最後は魔女をかまどに突っ込んでやっつける強い人間に成長します。

でも、いばら姫は寝ていただけですね(~ ̄▽ ̄)~
それで幸せになっていいのだろうか・・・?
白雪姫も、小人の助言を無視して失敗から何も学ばずに殺されてしまいます。幸せになったのは単なる偶然~
ジミーさんはそのことをどう考えたらいいかと、当日の意見交換で言ってくださったのです。
子どもに語るとき、女性の生き方への偏見はないだろうかと、考えてみることは大事ですよね。
みなさんはどうしていますか?

リュティさんは、その「含世界性」という考え方の中で、昔話には全世界のあらゆることが映し出されると言うてはります。
それが、ヒントになるかと思います。
それから、時代によって、民族によって、独自の、人としての規範がある。それが昔話に影響することは多分にあると思います。それでも、その話が永く広く伝わってきたということは、その差異を超える普遍性があるのだろう、それは何だろう、とも思うのです。

そんなことも、みんなで考えていけたらいいですね!

は~い。
今日はお二人しか紹介できませんでした。
おいおいにほかのかたも紹介しますね。

あ、まだ宿題送っていないかた、まってま~すo(*^@^*)o

 

 

第21回昔話の語法「いばら姫」

昨日、オンライン限定で昔話の語法勉強会が行われました。
今回は21回目になります。
今回取り上げる話はグリム童話の「いばら姫」です。
この話は8年前の第1回昔話の語法勉強会で取り上げたものです。
もう8年もたつのかと感慨深いですが、今回同じ話にしたのは、最近勉強会に参加されるようになった方々は、当然初めのほうの語法勉強会は受講されていないですし、前にやった話も勉強したいというご要望があったからです。
初めのほうにやった勉強会でグリムの代表的な話をたくさん取り上げていますが、当時は録画するとか、オンラインで勉強会をするとか、オンデマンドで配信するとか、ま~~ったく考えつきませんでしたから、コロナの後の急なリモート化に語りの森(というか、このHPを作ってくれているヤンさん)が、果敢に追いついているということにすごさを感じています。
Viva!、自画自賛!!

それに今回はなんと初の海外からのご参加がありました(^^♪
すごいですね~、アイルランド在住の方が語りの森HPを見つけてくださいました。
時差があるのにご参加くださりありがとうございました(^^)
遠く離れた人たちともこうしてつながれるという、子どものころには考えられなかった世の中に生きているのだなと感慨深いです。

「いばら姫」は、第1回の勉強会の後、話の素晴らしさに感激して覚えました。
でも、どこかの勉強会でエントリーしただけで、子どもたちの前では語っていないと思います。
でも、とってもいい話ですし、今回のオンライン語法勉強会でも詳しく語法を学んでその良さを再確認しました。
今回は、語法をどういう風に語りに取り入れられるかなということを念頭に置いて講義を聞いていました。

昔話の語法の難しいところは、わたしが思いますには、すべては抽象性だと言えて、かつ完全性・固定性・平面性などの語法が、その時々によって入れ子状態になっていたり、並列になっていたりすることです。
それと、昔話の構造を語法と同時に考えないといけないことではないかと思います。
前は、語法なのか構造なのか区別がつきませんでした。
「別々なのか? 別々だから何なの?」と、頭の中がごちゃごちゃして全く霧の中でした。
やっと、今ならわかる、苦節10余年!みたいな(笑)
「続けてたらいつかはわかる」の見本みたいなもんです(*^。^*)
ヤンさん、みなさん、お疲れさまでした。
「いばら姫」の語法、楽しかったです~

あったかペーチカ

1.豆のつる 語りの森HP

2.この世の光 語りの森昔話集1/おんちょろちょろ

おはなしの話で2時間、二人っきりでおしゃべりと語りをしました。その中から話題になった一つを…お話を覚えて、何回も練習して、それが体に浸透しますよね。で、ある時、その話のテーマなんかが、自分の日常で行動や言動になって自然と現われる、体現できるようになっていることありませんか?それにふと気が付く。おはなし選びから始まっている、これと思った何か。共感したことが意思になって体現できるって事が自分で分かる(自分で体験)。語り手が、そっと手渡すおはなしが、聞き手自身の(無意識に求めていた)おはなしだった時、勇気をもらったり、そうありたいと共感したりすると、聞き手はどんどん自分らしくなっていけるんだろうな!と思います。聞きながら疑似体験しているので、現実は少しの勇気でできるかな~

二人でお互いの事を話して、聞いて、語りもあって、あっという間のペーチカでした。対話って処方箋ですね。こうして、いつも元気な二人は、さらに元気になって家に帰っていきました(笑)

次回 11/6㈰ 10:15~

ローカル列車の旅🚃その4

蒜山高原から見える山々は何事もなかったかのように迎えてくれました。


蒜山三座

はるかに大山


中国四国酪農大学校の牧草地

今回初めて気づいたのは「やまなし」の木と実!

やまなしの実はピンポン玉くらいの大きさでした。


明連川の河原のススキ


栗が豊作!10個ほど拾って帰りました。しばぐりって、おいしいのよね~

さてさて、日常へ運んでくれる帰路
蒜山高原からは真庭市のコミュニティバスで中国勝山へ。
コミュニティーバスは、「まにわくん」っていってね、どんだけ乗っても200円!
中国勝山まで1時間20分かかったけど、途中で乗ってきたお客さんはふたりだけでした。


ね、かわいいでしょ~

中国勝山からは姫新線で、例の新見まで。
じつは、姫新線のこの区間も廃線候補なのね・・・
それで、あえてこの線を使って帰りました。


中国勝山駅


新見駅

帰ってきて、やっぱり今回は疲れたなあって感じました。
体がちゃっちゃと動かへんかったからね。
でも、帰ってきて1週間、またどこかへ行きたくなってる私がいる(*^▽^*)
じきに全国旅行応援も始まるし~~~

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きょうの《おはなしひろば》は、『奥出雲の昔話』からの再話。亀嵩に残っている「まつぼっくり」
すぐ覚えられるから、語ってみてね~