ゴスペルを聴きに行きました  byぽん

ぽんです。
今日、地元のおはなしグループのメンバーが所属するゴスペルグループのコン
サートに行ってきました。
初めて聞く、ゴスペル。「どんなもんかなあ」と思いながら行ったんですが、い
やあ、素晴らしかった。
圧倒されました。感動して泣きそうになりました。
人の声って、すごいね。これほど素晴らしいものはないね。
表現する自由、歌う喜び、生きる喜び。溢れていました。
ゴスペルだもんね。もともと、そういうものだもんね。
演奏家(歌う人も演奏家かなあ?)は自分の感情の動きや思いを曲に合わせて、
観客の前に広げます。
そして「ねえ、聞いて。私と一緒に感じて。私のこの思いを受け止めて」と訴え
てくる。
歌の場合、それに歌詞がついてるもんだから、余計訴えてくるものは多い。
私達が普段しているお話ってどうだろう?と思ったのです。
語りも、歌と同じように、言葉にのせて、聞き手にそのお話の世界を伝えていき
ますよね。
でも、感情をそのまま聞き手にぶつけはしませんよね。
自分の思いをすべて聞き手に見せませんよね。
っていうか、それってダメって言われる。
淡々とってね。
でもね、本当にそれが正解?
淡々とが正解?淡々とストーリーだけを伝える、それが正解?
確かに、感情の動きや語り手の思いを前面に出すことはしません。
でも「語るお話を選ぶ」「プログラムを組む」、もうそれだけで、語り手の思
いって出てきませんか?
そして、語るとき、そのお話の世界を聞き手の前に広げるとき、自分の思いも一
緒に出てきませんか?
語り手の作るお話の世界は、それこそ、語り手のイメージになるのではないですか?
前面には出しません。でも、控えめながら、それってやっぱり語り手の思う世界。
それを、聞き手に見せるんですよね?
聞き手にそのおはなしの世界(ストーリーに沿って進む世界)を感じてもらうん
ですよね?
なら、これって、音楽や絵画と同じじゃないですか?
程度の違いだけじゃないですか?
音楽の演奏家の人達も、自分の音楽を聴いて貰ってる間、その場所と時間を共有
している聞き手と、一体感を持ってその時間を過ごすのではないです か?
語り手はどう?
私も、やっぱり聞き手の前に広げて見せた世界を、聞き手と一緒に見、一体感を
持ってその空間の中を漂い、お話の語られてる時間を過ごすことを、目 標にし
ているよね、と思うんです。
語りは、おはなしのストーリーを聞き手に見せます。
音楽も、その音楽の持つストーリーを観客に見せます。
どちらのストーリーも語り手や演奏家の思いの中で、展開されていってると思う
のです。
違うのはどれだけ出すかってこと。そう、程度の問題。
そんな風に思うんです。
本当に淡々とがBESTなら、いっつも一定に聞こえるように、その時の聞き手
の要求なんかお構いなしに、そのストーリーだけを進められるように、 生身の
人間が一回一回語るより、テープ(ああ古ーい)か何かに録音したものを流す方
がいいんじゃないですか?
生で音楽を聴く度に、繰り返される疑問。
   
        byぽん

4 thoughts on “ゴスペルを聴きに行きました  byぽん

  1. ジミーです。
    ぽんさん、ゴスペル聴きに行ったんですね!
    ブログを読んで、遥か四半世紀前に、「Mama,I want to sing」というゴスペルミュージカルを見に行った事を思い出しました。
    ゴスペルいいですよね!
    それで、淡々と語る問題ですが(笑)、私は、聞き手として、感情や語り手の解釈が感じられると、聞きにくいんです。
    でも、人によっては、感情がこもっている方が好きかもしれないとも思います。
    聞き手によるというのもあると感じます。
    だから、語り手の自分としては、悩むんですが、感情を込めて、なおかつ、聞き手にそれを感じさせない語りを目指そうと思ってはいるんですけど、そんなん出来るか!?とも思います。
    熱い思いをちょっと離れて見てる感じといいますか…
    ぽんさんみたいにうまくかけないけど、みなさんは、どうですか?
    ジミー

  2. ぽんです。
    ジミーさん、コメントありがとう。
    私、やっぱり、程度もんだと思うんですよね。
    語り手の感情いっぱいに切々とやられてもねえ、引いちゃうし…。
    かといって、まるで機械みたいに語られてもねえ、それはそれで…、寝ちゃうし。
    感情を込める…っていうのも違うように思うし…。
    年初にも「演じる」「演じない」で議論白熱(かな?)みたいになった時もそうだったけど、まず、言葉の定義が出来てないのに、これ以上書いてもなあ、的なところもあるよね、と思いつつ…。
    面白い話は、面白く聞きたいし、聞いて貰いたい。
    かっこいい話は、かっこよく聞きたいし、聞いて貰いたい。
    ハラハラドキドキする話は、ハラハラドキドキ聞きたいし、そう聞いて貰いたい。
    そう聞こえるために、イメージする。でも、そのイメージは語り手の中にあるイメージ。
    だけど、語り手にはそれしかないからねえ。それに沿って語る以外に手立てはないわね。それに蓋して、語り手のイメージを全く出さずに、は、私は語れないかな。
    今はそう思ってます。
    皆さんはどう?
    難しい問題だけど、ご自分の意見、書いてみて下さいね。
    内緒だけど・・・。
    今、ヤンさん命の洗濯中。
    みんな、今の内やで。思うところ書いてや。
    正解も不正解もない、問題。
    書いたもの勝ち・・・。
    勝ち負けちゃうで。って?

  3. 毎度お邪魔致します。
    書いたもん勝ち、との事なので参戦?させて頂きますm(_ _)m
    音楽と語りと絵画と演劇とダンスと…(他にも色々ありますが…)
    程度の違いはあれど
    「感情を盛り込む、自分のイメージを伝える・表現する」という点では同じですよね。
    芸術と呼ばれるものは全てそうですよね~
    ただ、圧倒的に違う所があると思うのです。
    それは、自己完結しうる か 否か。
    つまり、その時その場に 伝える相手がいるか、いないか。いなくても成立するか、しないか。
    それって大きな違いだと思うんです。
    私は絵を描くのですが、絵 の場合は、誰もいなくても成立するし、一人で頭の中のイメージを紙にぶちまけて、一人でスッキリしたりもします。逆に、その絵を見た人の事を考えると、媚びたみたいな絵になるし、お仕事みたいで自分もスッキリしません。
    でも 語り は、相手が目の前にいて、そして、目と目で会話しながらおはなしをすすめるので、決して一人ではできません。その、目と目の交流・心の交流がなければ、それは一人芝居とか、朗読とか、スポットライトが当たってるひとが主役の、語りとは違う 何か じゃないかなぁ~
    あ!これや!!
    この「表現者が主役かどうか」
    ここに大きな違いがあるんじゃないですか?
    語りの場合、主役 は、おはなしの中にいるお姫さまだったり、ひつじ飼いだったり、お百姓 だったりで、決して表現者が主役ではない!
    語り手は聞き手と一緒にイメージを作って、動かしていくんですよね?
    聞き手がイメージしやすいように、
    どんな風にもイメージ出来るように、(どれもが正解ですもんね)
    具体的な事柄だけを伝える。
    その時に語り手のイメージを押し付けないように(押し付けたらイメージの幅が狭くなるもんね)
    具体的な事柄だけを伝える。
    また、どんどん話がズレていってるかも… ;^_^A
    そしてまた、どんどん長くなってる~(T_T)

  4. ぽんです。
    かぶさんコメントありがとうございます。
    かぶさんのご意見・・・納得。
    私、音楽は趣味で多少やるんですけど、絵は全く描かない、いや、描けない。
    なので、見ない。知らない。興味も殆どない。
    だけど、絵を描く人の語りに対するアプローチとか、感覚を知りたかったんです。
    自己完結しうる、か、否か。
    よっっっっっくわかりました。
    音楽でも、自己完結している人、いっぱいいます。「自分がやる」と言うことがまず、大切。音楽の場合それも勿論あり。その場合は聞き手なし。ああ、良い音楽出来たね、ああ楽しかったね。自己完結。しうる。
    学生の時の部活はそんな感じやったかなあ。演奏会でお客さん入れてたけど、聞き手は意識してなかったなあ。
    ただし、音楽の場合、演奏している人にスポットライトは当たっているものの、聞き手を意識して、聞き手にどう感じて欲しいかを考えて演奏している場合の方が多いでしょう。特にお客を入れてる場合はね。
    お芝居や、朗読はどうなんだろう。
    だれか、やってる人で語る人、答えてくれないかなあ?
    違いは何?
    かぶさんの意見とちょっと違うところは、後半。
    私、語りの場合、確かに主役は表現者である語り手は、主役ではないと思うんです。でも、お話の中の主役は確かに登場人物だとは思うんだけど、語りそのものの主役は、聞き手なんじゃないでしょうか?聞き手の貴方はどう感じた?どう思った?それを、一番に考えるからこそ、聞き手は、自分がお話の主役になって、お話の中に入り込んでいけるんじゃないかなあと思います。
    ちゃうかなあ?
    皆さんどう思います。
    もっとご意見お待ちしています。
    もっかい言うけど、正解はないのよ。だから、不正解もない。
    なので、これを読んでる皆さん、勇気をもって自分の意見を書き込んでほしいなあ。

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